「電気代は月15万円」板橋区の交差点にある“謎のド派手スポット”「熊野町レトロ」が撤収へ 86歳オーナーが明かす「始めた理由」と「終わらせる事情」
東京・板橋区の熊野町交差点そばに、黄金色の釈迦如来像、大砲、ホーロー看板、信楽焼のたぬきなどが所狭しと並ぶ一角がある。通称「熊野町レトロ」と呼ばれるこの昭和レトロな珍スポットを作ったのは加藤正衛さん(86)だ。
【画像】「日本に1台しかない」熊野町レトロにある幻の小型木造トラックや展示された珍品の数々と取材に応じる不動産王だった加藤正衛さん、理容師として働いていた時の姿も
加藤さんが交差点そばの私有地で展示を始めたきっかけは、「交通事故を減らしたい」という思いだった。だが、約4年間、熊野町交差点の風景の一部となっていた熊野町レトロは、6月25日に撤収するという。なぜ、この空間を作り、いま幕を下ろすのか。現地を訪ね、加藤さん本人に話を聞いた。
「バカにされるかも」展示を始めた当初の複雑な心境
加藤さんが熊野町レトロを始めた背景には、熊野町交差点の事故の多さがあった。同交差点は2022年、全国の交差点のなかで人身事故件数がワースト1位となった場所でもある。
交通事故を減らすために、なぜ骨董品や昭和レトロな品々を並べることにしたのか。
加藤さんは、その経緯を振り返る。
「はじめは、交通安全祈願のために家にあった像を置いただけ。バカにされるんじゃないかって、恥ずかしい気持ちがあった。
でもだんだん展示品を増やしていくうちに、警察から「熊野町交差点の事故が減っている」と言われるようになった。
展示を見るために訪れる見物客も増えて、やっぱり意義があるんだなと思えた。最終的にどれくらい事故が減ったのか知るのが楽しみ」
加藤さんが並べている品々は、レトロな看板やラジオ、古い生活道具、車両、骨董品など多岐にわたる。
中でも今一番のお気に入りは、加藤さんが「日本で1台しか残ってない」と説明する幻の国産車メーカー「オオタ」の木造小型トラックだ。一部の展示品には、来歴や入手した経緯も記されている。
こうした品々を集め、価値を見極める感覚は、どのように培われたのか。
加藤さんは1940年、高知県宿毛市で5人兄弟の次男として生まれた。元警察官の父は会社に勤め、母は、子どもたちが生まれる前から質屋を営んでいたという。
「幼い頃は、よく母の商売の手伝いをしていた。扱った物が売れなかったら、物々交換のために沖ノ島に行くんだよ。1000円相当の品物だったら、1000円相当の魚と交換して、売り子に売りに行かせるんだ」
小学校高学年になると、自分でも商売をするようになった。
「小学校5~6年で、夏休み期間中に1本5円でアイスキャンディーを売っていた。利益は2円で、1日150本売れば300円の利益があるんだ。当時の労働者の日当が240円だから、それなりに稼いでたんだよ。
冬になると正月用の飾りなんかも自分で作って、500円のセットで売っていた。小遣いは小遣いでもらうけど、貯めてた。
そういった幼少期の環境は今にも通じてるよ。だから、こんなことやったって失敗しないんだ」
理容師から不動産オーナーへ 22棟のビルを所有した成功人生
幼い頃から商売人としての感覚を身につけてきた加藤さんの人生は、16歳で高知を離れたことで大きく動き出す。
「最初は、理容師になるために16歳で尼崎に出た。切符を集めだしたのは、この時ぐらいからだよ。
当時、高知から大阪までの切符は1080円だったけど、今なら1枚7000円くらいする。コレクションを始めた原点であり、初めて地元を出て人生を変えるきっかけになった切符なんだ。
今みたいな特急電車じゃなくて普通の機関車だったから朝5時半に地元を出て、大阪に着いたのが夜8時。だけど、盲腸になって2、3か月で、地元に帰っちゃったんだ。それからは、愛媛の一本松というところにいた」
加藤さんが価値を見出したのは、切符だけではなかった。
「一本松の床屋で働いていた時は、隣が郵便局だったから、記念切手が発行されると、だいたい情報が入ってくるんだ。当時、切手は10円とか15円だった。今みたいにブームじゃなかったから、買いやすかった。
そのとき買った切手は、1961年、21歳の年に金が欲しかったから東京で売った。買ってから5年も経っていなかったけど、値上がりがすごかったよ。
いろいろ集めて、まとめて売ったら80万円くらいになった。当時の俺の給料は、月700円だったから、ものすごい金額。それが俺にとって初めての投資みたいなものだった」
加藤さんは1960年、20歳の時に上京。代々木のワシントンハイツ(在日米軍施設)で理容師としてのキャリアを積み、自身でも理髪店を経営するようになった。
「1970年に、日大病院で床屋を経営するようになって、そこからいろいろな縁ができた。不動産業を始めたのは1973年ごろだね。
バブルのときに一度整理したけど、一番多いときは22軒のビルを持っていて20億円かけたビルもあったよ。一番貸していたころは、俺ひとりが管理しているだけで180店舗あった」
「早めのうちに手を引く」86歳が下した決断
不動産業で成功を収めた加藤さんだが、切符から始まった収集も続けていた。かつては所有するビルに自身のコレクションを展示し、「歴史発見館」として公開していたこともある。
そして、交通安全祈願をきっかけに、自慢のコレクションは熊野町レトロという形で再び人目に触れることになった。
やがて多くの人が足を止める場所となったが、なぜ今、撤収を決めたのか。
「こんなことやってたら他になんでもできないでしょ。毎日見とかないといけないから、どこか行きたいと思ったって行けねえんだもん。
過去にはお釈迦さんの頭の上に上がって写真撮った学生がいて、『滑って転んで頭打ったら死んじゃうよ』って注意したことがある。
事件でも事故でも起こされたら俺だってやってる意義がないわけだ。早めに手を引いておかないと」
撤収作業は、6月25日を最終日に3日間かけて行われる予定だという。
加藤さんは、約4年間「熊野町レトロ」を運営した中で得た“意義”について語った。
「敷地内には、見に来た人が感想を書けるメモ帳を置いているんだけど、先月だけで約300枚。1枚ずつ糊付けして保管している。
今では合計7冊、2000枚以上になっている。これを読んでいると心が打たれて、やる気が湧いてくる。宝物なんだ」
熊野町レトロに並べられていたコレクションは撤収後、加藤さんが所有する物件に保管されるという。今後、どこかで展示を再開する予定があるのか尋ねると、加藤さんは「やるかやらないか分からない」と答えた。
取材・文/鮫島りん 集英社オンライン編集部ニュース班
