感情をコントロールすることは良いこととされているが、弊害もある。脳神経外科医の菅原道仁さんは「脳にどんどん負担がかかり、身体の不調となって現れる。このSOSサインを見逃してはいけない」という――。(第1回/全3回)

※本稿は、菅原道仁『幸せな人は「感じる脳」を持っている』(宝島社)の一部を再編集したものです。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tadamichi

■怒りや悲しみを押し殺す代償

それにしても、私たちは日々の中で、自分の感情を後回しにすることを、驚くほど無意識のうちに繰り返しています。

私たちは家庭や学校や職場の中で、少しずつ「感じる前に抑える」術を覚えていきます。

たしかに短期的に見れば、感情を抑えることは「正しい選択」のように見えることもあるでしょう。怒りを飲み込めば、その場の空気は乱れませんし、悲しみを隠せば、弱さを見せずに済みます。不満を口にしなければ、表面上の平穏は保たれます。

心理学行動経済学には「双曲割引」という考え方があります。これは、将来の大きな損失を防ぐことよりも、目の前の小さな安定を優先してしまう心の傾向を指します。

要するに、私たちの脳はもともと、目先の安全や損失回避を優先しやすい設計になっているのです。そう考えると、感情を抑え込むことが、その場しのぎとして選ばれやすいのは不思議なことではないのです。

その場をやり過ごせること。関係がこじれないこと。空気が乱れないこと。そうした短期的なメリットはたしかに存在します。しかし、脳と身体はその裏で確実に代償を払っているのです。

■“借金”が身体の不調として現れる

感情を押し殺すことは、問題を消し去ることではありません。将来の健康を担保にして、その場の平穏を買っているようなものなのです。そして、その“借金”は時間がたつほど大きくなっていきます。

長年積み重なった沈黙は、やがて慢性的な身体症状として現れます。同時にそれは、人間関係においても、本音を伏せたまま表面的にやり過ごす行動パターンとして定着していくのです。だからこそ、言葉にならない身体の不調を軽く見ないことが大切なのです。

感情を言葉にすることは単なる自己表現ではありません。ましてや自分をわかってもらうためだけの作業でもありません。脳と身体の負担をこれ以上増やさないための、きわめて現実的な防衛手段でもあるのです。

■「お腹のサイン」を見逃してはいけない

感情が身体に現れると言っても、その出方は人によってさまざまです。ただ、多くの人が不調を感じやすい場所には、いくつかの共通点があります。胃や腸、首や肩、そして心臓です。

これらはいずれも自律神経の影響を強く受ける部位であり、感情の揺れや未処理の緊張がもっとも反映されやすい場所だと言えます。

では、具体的な部位ごとに、身体が発する警告の意味を紐解いていきましょう。

まず注目したいのは、情動の波をもっとも敏感に受け止める「お腹のサイン」です。私たちの消化管には数億個もの神経細胞が張り巡らされており、これは腸管神経系と呼ばれています。

腸管神経系は脳からの指令を受け取るだけでなく、ある程度は独自に働くことができます。そのため腸は「第二の脳」とも呼ばれることもあります。

もちろん腸が脳そのものになるわけではありませんが、それほど複雑で自律的な情報処理を行っているということなのです。

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■脳が「危険」と判断し、腸へ伝令

さらに脳と腸は、迷走神経という大きな神経の束を通じて、たえず双方向にやり取りをしています。

迷走神経は脳と内臓をつなぎ、心拍や呼吸、消化などを整えるうえで重要な役割を担う神経です。とくに副交感神経系の中心として、心身を回復モードへ戻す働きに深く関わっています。

交感神経は身体を闘争や緊張へ向かわせるアクセルであり、副交感神経は休息や回復を促すブレーキです。

脳が「いまは危険かもしれない」と判断すると、視床下部や自律神経系が働き、身体は休息や消化よりも、まず身を守る方向へ切り替わります。

その結果、胃や腸への血流は後回しになり、蠕動(ぜんどう)運動や胃酸分泌、腸の動きのバランスが崩れやすくなるのです。

ここで重要になるのが、迷走神経の働きの質です。楽器の弦に心地よい張りが必要なように、迷走神経にも「トーン」があると考えられています。

トーンが高い人ほど、不意のストレスにさらされてもすばやく心を落ち着かせることができますし、逆にトーンが低いと不安に飲み込まれやすく、ストレスに対して脆くなりやすいと考えられています。

ところが、現代のデジタルライフは、この迷走神経を錆びつかせてしまいやすい環境です。

■自律神経の乱れをチェックする方法

スマートフォンの通知やSNSによる絶え間ない刺激は、脳に小さな緊急事態を何度も発生させ、交感神経というアクセルを踏み込み続ける状態を作りだしてしまうからです。

その状態が続くと、迷走神経による回復モードがうまく発動しにくくなり、心身は慢性的な疲労へと傾いていきます。

こうした目に見えない自律神経のコンディションを知るうえで、重要な指標となるのが心拍変動(HRV)です。

これは心拍の安定性を見るものではなく、むしろ心拍のゆらぎ、つまり拍動ごとの間隔のバラツキを測る指標です。

ストレスが少なく、迷走神経がうまく機能しているとき、心臓のリズムは外部環境に応じて柔軟に変化し、そのゆらぎは大きくなります。

逆に、不安や過労によって心身から余裕が失われると、心拍のリズムは遊びのない機械のように一定になっていきます。

この「ゆらぎの低下」こそ、脳と身体が悲鳴を上げている隠れたサインなのです。

■胃の痛み、下痢、便秘、食欲不振、過食…

自律神経の調整力が落ちた結果、その不調は、もっとも敏感な器官の一つである胃腸へと波及します。胃の重さや痛み、あるいは下痢と便秘の繰り返し、食欲不振や過食といった反応。これらはすべて、身体が懸命に発しているSOSにほかなりません。

また、強い不安や緊張が続くと、腸は刺激に対して敏感になり、普段なら気にならない腸の張りや動きまで、つらい症状として感じやすくなります。

つまり、同じ胃腸の動きであっても、脳が警戒モードにあるときには、より強い不快感として受け取られやすいのです。

朝はなんともないのに、通勤前になると急にお腹が痛くなる。大事な会議や面談の前に、胃がキリキリと痛む。人間関係で強いストレスを感じている時期だけ、便通が大きく乱れる。こうした症状が現れるのはそのためです。

■原因不明の胃腸の不調が示すこと

実際、過敏性腸症候群(IBS)を悩む人に、不安や抑うつの傾向が併存しやすいことはよく知られています。

菅原道仁『幸せな人は「感じる脳」を持っている』(宝島社)

これは、IBSが腸そのものの問題だけでなく、脳の過度な警戒状態やストレス反応が、症状の現れ方を大きく左右していることを示しています。

もちろん、これは「胃腸の不調はすべて気の持ちようのせいだ」という意味ではありません。そうではなく、胃腸は生理学的に見て、感情やストレスの影響を受けやすい臓器であり、未処理の緊張が身体反応として現れやすい場所ということなのです。

実際、私たちは緊張するとお腹が痛くなったり、人間関係で悩むと胃が重くなったりすることを、日常の中で何度も経験しています。

だからこそ、検査で大きな異常が見つからないのに胃腸の不調が続くときには、食事や生活習慣だけでなく、脳がどれほど長く警戒モードに置かれていたのかという視点も、あわせて持っておく必要があるのです。

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菅原 道仁(すがわら・みちひと)
脳神経外科医
菅原脳神経外科クリニック院長。医療法人社団赤坂パークビル脳神経外科理事長。1970年生まれ。杏林大学医学部卒業後、クモ膜下出血や脳梗塞といった緊急の脳疾患を専門として、国立国際医療研究センターに勤務。2000年、救急から在宅まで一貫した医療を提供できる医療システムの構築を目指し、脳神経外科専門の北原国際病院(東京・八王子市)に15年間勤務。毎月1500人以上の診療経験をもとに、2015年6月に菅原脳神経外科クリニックを開院。現在は、頭痛、めまい、物忘れ、脳の病気の予防を中心に医療を行う。著書に『すぐやる脳』(サンマーク出版)など。
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(脳神経外科医 菅原 道仁)