伊東純也の”世界屈指の強み”を恩師が明かす「これをうまく生かしたからこそ、今がある」【北中米W杯 日本代表選手の恩師を総直撃】
【北中米W杯 日本代表選手の恩師を総直撃】
【ロング版】伊東純也〈前編〉 物静かなイナズマはオランダの英雄ヨハン・クライフに憧れていた(元甲府監督・佐久間悟)
FW伊東純也(ベルギー1部ゲンク/33歳)
6月に開幕する2026年北中米W杯で、「優勝」を目標に掲げている森保ジャパン。高く険しい山を乗り越えなければならないが、大願成就に近づくためには、この男の力が必要不可欠だ。日本が誇るスピードスターをプロ1年目からつぶさに見てきた佐久間氏に聞いた──。
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──伊東が甲府入りした2015年に監督として直々に指導した。
「5月にGMだった私が監督を務めることになりました。それまで4-4-2の右MFがメインでしたが、1トップの背後のシャドーを主戦場としました。ボールを奪った後にカウンターを仕掛けるスタイルがよくフィットし、純也の良さも発揮された印象でした」
──シャドーに据えた時の反応は?
「純也はいつも物静かで何も言わない人間。手厳しいことを言っても『はい』と言って黙々と取り組むタイプ。(試合中の課題である)『消える時間をなくそうよ』と声掛けしたこともありましたが、その時も反応を示さなかったと思います。そんな彼が『もっと長く使ってくれたら活躍できます』とアピールしたことが一度だけあり、強く印象に残っています」
──確固たる自信があったのでしょうね。
「純也のプレーで素晴らしいのは、どんな時もスペースを意識してプレーできるということ。相手にマークされたら一瞬下がり、距離や角度を取ってフリーになり、それから簡単に前を向いてプレーできる。クロスボールにしても絶妙な感覚を持ち合わせています。彼の一挙手一投足を見ながら『(オランダ代表のレジェンド)ヨハン・クライフだ』と感じるようになってました(笑)」
──伊東はクライフに憧れ、柏移籍後は(クライフの代名詞)背番号14でした。日本代表でも14番が定着しています。
「本人も『自分がクライフに似ている』という自覚が、どこかにあるのかも知れませんね(笑)」
──プロ入りして10年以上が経過して「ハードワークのできるスピードスター」に変貌した。
「22年カタールW杯直後の技術委員会で当時の反町委員長(康治=清水GM)が『これぞジャパンズウエーだ』と純也の守備を例に挙げてくれた。(相手に)カウンターを繰り出された瞬間に50メートルくらい一目散に後ろに走り、敵にタックルしてボールを奪い、起き上がって30メートルくらい駆け上がってクロスを上げたシーンでした。本当にうれしかったですね」
──フィールドプレーヤー最多出場時間を誇る伊東は、献身的なプレーも際立っています。
「甲府時代には見られなかった。自分が(監督として)強調していたことを7年後、世界の大舞台で体現してくれた。人の成長は凄いと感慨深く感じました」
──30歳になってもスピードは衰えません。
「20〜30メートルの距離で走りを競わせたら、世界トップと日本人選手でもそれほど差がないんです。でも10メートルのスプリント力というのは別です。純也はその「0(ゼロ)-10(ジュウ)」がピカイチなんです。立っている状態から、一気に加速できるのは傑出した能力。これをうまく生かしたからこそ、今がありますね」
──北中米W杯を集大成と考えているようです。
「両サイドやシャドーなど多彩なポジションで使え、献身的にボールを追い掛けてくれる彼のような選手は、森保監督にとって本当に心強いと思います。持てる力をすべて出し切り、日本の快進撃の原動力になってほしいと願っています」
(聞き手=元川悦子/サッカージャーナリスト 絹見誠司/日刊ゲンダイ)
※ロングインタビュー版は日刊ゲンダイDIGITALで公開中。関連記事から要チェックだ。
▽伊東純也(いとう・じゅんや) 1993年3月9日生まれ。神奈川・横須賀市出身。33歳。逗葉高から神奈川大。2015年にJ甲府入り。翌年にJ柏に完全移籍。19年にベルギー1部ゲンクに移籍。22年7月にフランス1部スタッド・ランスに移籍。25年8月に古巣ゲンクに復帰した。17年に日本代表初招集。22年カタールW杯に出場して16強入りに貢献した。スピードスターぶりから愛称は「稲妻」。身長176センチ・体重66キロ。
▽佐久間悟(さくま・さとる) 1963年7月7日生まれ。東京都出身。埼玉・城西大川越高から駒沢大。卒業後にNTT関東(現J大宮)でプレー。引退後は大宮、甲府で監督を歴任。2016年には甲府の副社長、GM、監督の三足のわらじを履いた。指導者としてJ2優勝、2度のJ1昇格、天皇杯制覇の実績がある。21年3月にJ甲府を運営する山梨スポーツクラブの社長に就任した(3月をもって退任)。
