『九龍ジェネリックロマンス』鯨井令子のキャスティングの妙 白石晴香&山口由里子の対比
知らない場所なのに、不思議と懐かしい。かつて香港に実在した巨大スラム街・九龍城砦を思わせる“九龍”こと第二九龍寨城を舞台に、不動産屋で働く男女のロマンスを描く『九龍ジェネリックロマンス』。原作は『恋は雨上がりのように』の眉月じゅん。柔らかく繊細なタッチと、平成的な情緒をまとった空気感が、作品全体にノスタルジーを漂わせている。
参考:吉岡里帆、自信が持てなかった過去からの変化 「理想の自分がはっきり見えるようになった」
九龍で働くOL・鯨井令子は、先輩社員・工藤発に少しずつ惹かれていく。工藤もまた鯨井に好意を寄せているのか、自然と近づいていくふたりの関係。しかしある日、鯨井は工藤に自分と瓜二つの婚約者がいたことを知る。名前もホクロの位置も同じという、ただの偶然とは思えない存在を機に、自分の過去の記憶が曖昧であることに気づいた鯨井は、もう一人の“鯨井令子”と、自身の正体を探り始める。
そんな“ふたりの鯨井令子”の謎が物語の核心となっていく本作の構造を、より際立たせる演出のひとつが声優のキャスティングだ。
本作では「鯨井A」と「鯨井B」、それぞれに異なる声優が起用されている。アニメでは幼少期の回想や記憶喪失といった設定を同じ役者が演じ分けるケースも多い中、本作ではあえて「声を分ける」ことで、ふたりの鯨井の存在そのものに意味を持たせているのではないかと推測できる。
記憶を失った“レコぽん”こと鯨井Aを演じるのは、白石晴香。『姫様“拷問”の時間です』の姫や『ゴールデンカムイ』のアシリパ、『妃教育から逃げたい私』のレティシアなど、これまで彼女が演じてきたのは、ギャグ要素も交えながら、表情豊かに可愛さを見せる役どころが多かった印象だ。そんな白石が本作で演じる令子は、ぐっと大人びた存在である。本作ではユーモアを抑えた静かな演技が印象的で、上品な熱を感じさせるようなこれまでとは違う白石の一面を楽しむことができる。
第1話、工藤への恋心を自覚するシーンでの「私、この人のことが好きだ」という一言も、感情をあらわにするのではなく、落ち着いたトーンで静かに語られる。その抑えた表現がかえって余韻を生み、控えめな鯨井Aの中に確かに存在する想いとして、鯨井Bとの違いを際立たせている。ちなみに作中では、製作陣の遊び心として、街中の一角に白石晴香本人を模したポスターが登場するシーンもあるので、ぜひ見つけてみてほしい。
■吉岡里帆は2人の声優が演じ分けた鯨井令子をどう体現する? 一方、鯨井Bを演じるのは山口由里子だ。コミックスPVでも令子の声を担当していた彼女は、『ONE PIECE』のニコ・ロビンや『新世紀エヴァンゲリオン』の赤木リツコなど、“影のあるお姉さん”像に定評のある声優だ。白石の令子がどこか可憐さを残しているのに対し、山口の令子は凛とした美しさと憂いをまとい、「同じなのに、まるで別人」というコントラストを際立たせている。
こうした背景を踏まえると、2025年夏に公開される吉岡里帆と水上恒司主演の実写映画にも、ますます期待が高まる。公開された超特報映像では、アニメ版のシーンと実写映像が呼応するように構成されており、作品に通底する記憶と現実の交錯を象徴しているようにも見える。
なかでも期待が高まるのは、アニメで2人の声優が演じ分けた鯨井令子という存在を、吉岡がどう一人で体現するのかという点だ。当然のことながら、実写では表情や声に加えて身体性までもが演技の要素となるぶん、アニメとはまた違ったアプローチが求められる。アニメでは声でより一層強調された鯨井AとB、それぞれの違いをどう立ち上げていくのか。吉岡の演じ分けが、実写ならではの挑戦になることは間違いない。
アニメ、漫画、そして実写映画へと広がっていく『九龍ジェネリックロマンス』の世界。
懐かしさと違和感が同居する舞台で描かれるのは、恋愛というよりも、もっと複雑で、もっと個人的な、誰かを想う気持ちだ。ふたりの鯨井令子が交錯する本作は、現実でもネットでも、自分の“あり方”が揺れやすくなった今の時代だからこそ、胸に響くものがある。
ただのラブストーリーでは終わらないこの作品が、これからどんな形でラストを迎えるのか。その過程を“令子たち”と一緒に見届けるのもまた、ひとつのロマンスなのかもしれない。(文=すなくじら)

