スタバで「フラペチーノ」飲む人が知らない"真実"
日本でも1800を超える店舗を持つ一大カフェチェーン、「スターバックス」。なぜ、スタバだけが「特別」なのでしょうか(写真:yu_photo/PIXTA)
日本で3番目に多い飲食チェーンなのに、令和の今もわれわれ消費者に特別な高揚感を与えてくれるスタバ。
ブランディングやマーケティングから見ても、一貫した理念や戦略があるように思えるが、実は「コーヒーを大切にしてきた歴史がある一方で、人気商品は、コーヒーとは正反対にも思えるフラペチーノである」など、矛盾とも思える部分も少なくない。
しかし、この「矛盾」こそが、スタバを「特別な場所」にしてきたのかもしれないーー。
『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』『ブックオフから考える 「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』などの著作を持つ気鋭のチェーンストア研究家・谷頭和希氏による短期連載の第1回。
なぜ、スタバだけがこうも「特別」なのか?
出先でちょっと時間が空いた時。少しだけ贅沢したい時。あるいは日常の喧騒から離れて一休みしたい時。そんなときに人はふと、スターバックスに足を運んでしまうのではないだろうか。
スターバックス。今や全世界に3万店舗近くを構え、日本でも1800を超える店舗を持つ一大カフェチェーンだ。
しかし、ふと、筆者はこう考えてしまう。
なぜ、スタバだけが、と。
日本、いや、世界にカフェチェーンはいくらでもある。そんななか、人はスターバックスについてなにやら特別なイメージを持っている。マーケティング的にいうなら、スタバは「ブランディング」に成功している。
スタバを象徴するあのロゴ(と言っただけで思い浮かべられるだろう)があるだけで、どこか、テンションが上がるのだ。逆にそのロゴを見て「なんかシャラくさいな」と思ってそこを避ける人もいるだろう。しかしそれだって、ある意味ではスタバに特別な意味合いを見いだしているということだ。
考えてみてほしい。ほかのカフェチェーンでこのように特別なイメージを見いだせる店があるだろうか。そもそもチェーンストアは、「そこだから行く」店ではなく、「そこでいいから行く」店だろう。わざわざチェーンストアに好んで行く人はあまりいない。カフェチェーンだって同じである。街にたまたまあって、たまたま時間を潰したいから、なんとなく入るのである。
でも、
「スタバに行きたい」
という言葉を、人は変だと思わない。スタバには、そう思わせるだけの「特別感」があるからだ。
筆者はチェーンストア研究家としてこれまでいくつかの書籍を出版し、チェーンストアについて消費者の視点から考えてきた。その知見からみても、スタバがこのような「特別感」を持っているのは非常に稀有なことだと思う。
本連載で私が向き合いたいのは、この「特別感」である。
スタバが抱える「矛盾」とは?
ここで私は指摘したい。スタバの「特別感」とはそこに存在する「矛盾」にあるのだ、と。スタバは「矛盾」した存在で、それこそが、その不思議なカフェを考えるヒントになる。これを明らかにするために、少しだけ脱線した話をしたい。
かつて、「木更津キャッツアイ」というドラマがあった。この作品は2002年に放送された宮藤官九郎のテレビドラマで、題名のとおり、千葉県木更津を舞台にした青春群像劇だ。この中のセリフがとても興味深い。ヒロイン的存在である酒井若菜演じるモー子は、神社でこうお祈りする。
「木更津にスタバができますように!」
このセリフは、スタバが持つイメージが詰まっている。それをはっきりさせるためには、例えば、このセリフをこう変えてみるとわかりやすい。
「木更津に吉野家ができますように!」
たぶん、こう願う人はいないと思う。やはり、このセリフはスタバでなければならない。
では、なぜスタバでないといけないのか。それは、スタバが「そこにしかない」という特別感と関係が深いからだ。このドラマでは木更津が地方・郊外の「何もない」場所として描かれているが、そこに輝きをもたらす存在として「スタバ」は描かれている。スタバは「特別」で、「そこにしかない」なにかがある場所だというわけだ。
しかし、実際のデータを見てみると、興味深いことがわかる。
例えば店舗数だ。公式サイトによると、日本にあるスタバの数は、実に1885店舗(2023年9月末時点の数字)。これは、日本の飲食チェーンにおいてマクドナルド・すき家に続いて多い数字だ。
スタバの国内店舗数グラフ(編集部作成)
カフェチェーンとしては一番の数で、ドトールコーヒーは1068店舗だし、タリーズコーヒーは777店舗、コメダ珈琲でも968店舗である(ともに2023年2月末現在。すべて公式サイトによる数値)。ドトールとタリーズを足しても1845店舗なので、スタバのほうが多い。
モー子の願いは叶った、いや叶いすぎた
チェーンストアの数や位置を調べることができるサイト「ロケスマ」で見ると、このようにスタバは数が多すぎて、もはや正しく表示されることは難しい様子だ。
ちなみに木更津にもばっちりスタバはある。しかも、市内に複数だ。
今や日本中に店舗があり、旗のすべては到底表示されないスタバ(写真はロケスマWEBのスクリーンショット)
時代が下がっているとはいえ、モー子の願いはかなったわけである。いや、むしろ、かないすぎたと言ってもいい。もし、現実のデータに合わせて考えるなら、モー子の願いは、
「木更津に吉野家ができますように!」
と言ったほうが自然なのである。吉野家の店舗数は、スタバに遠く及ばない。
このモー子のセリフの中にこそ、スタバの矛盾がある。つまり、全国「どこにでもある」スタバがなぜか、「そこにしかない」特別感を持っているのだ。
コーヒーにこだわってるのに「フラペチーノ」という矛盾
それだけではない。スタバの矛盾は商品にもよく現れている。スタバをサードウェーブコーヒームーブメントのきっかけだとする考えは一定の妥当性がある。実際、スタバの実質的な創業者であるハワード・シュルツの自伝を読むと、スタバがそのコーヒーにいかにこだわっているのかが力説されている。シュルツはこう言う。
「われわれの使命は、すばらしいコーヒーの味を理解する人々を増やすと同時に、そうしたコーヒーに接し、楽しめる場所を広げることなのだ」(ハワード・シュルツ『スターバックス成功物語』)
シュルツは、スタバを創業させる前にイタリアにコーヒー留学ともいえる旅をしており、そこで出会ったイタリアのカフェ文化に感銘を受けて、これをアメリカで流行させることに使命感を覚えたという。
こうしたコーヒーへのこだわりは、シュルツ個人の想いを超えて、現在までも続いている。スターバックスコーヒージャパンの現在のミッションステートメントには「人々の心を豊かで活力あるものにするために-ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから」とある。
ここにもしっかり「コーヒー」という言葉が入っているのがわかるだろう。コーヒーへのこだわりこそ、スタバの1つの軸を作っているといってよい。
しかし、スタバによく訪れる人がいるなら思い浮かべてほしい。今のスタバが強く押し出し、いつも話題になっている商品はなんだろうか?
それはフラペチーノである。氷菓子を表す「フラッペ」にイタリア語風の接頭辞がついているこの商品は、現在のスタバの中核を成す商品で、月ごとに売り出される限定味は、スタバユーザーの中でも大きな話題となる商品の1つだ。メロンがふんだんに使われた「The メロン of メロン フラペチーノ」や、全国各地の名産品が使われたフラペチーノはSNSなどでも大きな話題を呼んだ。
しかし、このフラペチーノは、本場イタリアのコーヒー文化にはまったく存在しない商品である。それどころか、凝縮された苦味を楽しむコーヒーやエスプレッソに対して、甘さが際立っている点においては、正反対の商品だといってもいい。また、中にはコーヒーやエスプレッソがまったく入っていない商品もある。
これを評して評論家のブライアン・サイモンはこう言う。
「利益追求に打ち込むスターバックスは、砂糖とミルクたっぷりのドリンクを目玉とするフラペチーノ・カンパニーになってしまった」(『お望みなのは、コーヒーですか?──スターバックスからアメリカを知る』より)
『お望みなのは、コーヒーですか? スターバックスからアメリカを知る』(筆者撮影)
本物のコーヒー文化を追求し、それをコーポーレート・アイデンティティとするはずのスターバックスは、実は「フラペチーノ・カンパニー」だという。なるほど、ここにも一種の矛盾があるだろう。
スタバはサードプレイスなのか?
あるいは、スタバが掲げる店舗コンセプトである「サードプレイス」という概念もまた、矛盾に満ちている。
サードプレイスとは、社会学者のレイ・オルデンバーグが提唱した概念で、自宅でも職場でもない、第3の居場所のことを示す。そこで人は、普段の生活の役割から解放され、さまざまな人と自由気ままに交流することができる。
スタバはこの社会学の概念を掲げて、顧客がリラックスできる空間を作ることを目指している。
しかし、この「サードプレイス」という概念は、提唱者のオルデンバーグの考えではかなり厳密に定義されている。それは例えば、「会話が重視される」とか、「中立な場所である」「平等な場所である」というように決められていて、そこで提唱される8つの条件に合致してはじめてその場所がサードプレイスとなるのである。
これらの定義と比べるとスタバはどうか。細かくは今後の連載で検討するけれども、やはりスタバ内で「会話」が多く飛び交っている光景は想像しにくいし、そもそもそこは商品を買わなければアクセスすることのできない空間で、決して平等な空間ではない。
サードプレイスではないにもかかわらず、サードプレイスであることを喧伝している、ここにも矛盾があるだろう。
スタバを考えていくと、そこかしこにこうした「矛盾」が現れるのだ。
ここで筆者は、「矛盾」を抱えているスターバックスが不誠実だと非難したいわけではない。むしろ、その「矛盾」こそがスタバをここまで巨大な企業に成長させたのではないかと考えているからだ。
例えば、先にも触れたフラペチーノこそが、1990年代後半のスタバがグローバル企業になる足がかりになったと、ブライアン・サイモンは指摘する。
スタバがスペインに進出する際、フラペチーノのような、本場のコーヒーショップには置かれない商品があることで、既存のカフェと競合することなく出店を伸ばすことができたのはその一例だろう。スタバの「矛盾」を生み出すフラペチーノは、スタバの躍進を助けているのである。
ビジネスとしてきわめて有効に働いている「矛盾」
そして、詳しくは次回以降に譲るが、スタバを世界的企業に育てたハワード・シュルツは最初、フラペチーノを販売することに反対の立場だった。
「純粋主義なわたしは『どうしてわたしたちはこれをやろうとしているんだ? フラペチーノの会社にはなりたくない。うちはコーヒーの会社だ』と言ったんです」(「フラペチーノに反対したのは『間違いだった』スターバックスの元CEOハワード・シュルツ氏が明かす」/Business Insider Japan)
もし、スタバがコーヒーにこだわり、フラペチーノを捨てていれば……。
「そこにしかない」という特別感は「スタバに行きたい!」という動機を否応なしに私たちに持たせるが、それで実際に店舗が一店舗しかなければ、ビジネスとしての成長はない。「そこにしかない」のに「どこにでもある」、つまり行きやすいということで実際の利益を多くあげられるのだから、ビジネスとしてこの「矛盾」はきわめて有効に働いているといえるだろう。
これまで、スタバがその「特別感」を保ち、躍進を続けることができた理由としてよく言及されてきたのは、「直営店の多さ」である。フランチャイズシステムに頼ることなく、直営で多くの店を経営することで、本部の意図がそのまま反映され、「特別感」が保たれ続けるというわけだ。
しかし、これは本当だろうか。いくら直営店が多いとはいえ、その店の数は莫大で関わる人の数も並の数ではない。単純に直営店だからといってその特別感が保たれ続けるというのは少し単純すぎるのではないだろうか。
やはり私は、スタバが持つ「矛盾」こそが、その経営をひっそりと支えてきたのではないかと考えている。そして、その「矛盾」について考えることは、これまでのマーケティングの考え方にはなかった、新しい経営の捉え方を示唆するものになるのではないだろうか。
これから数回、私はスタバの歴史を振り返りながら、この「矛盾」をひもといていく。それはどのような姿を私たちに見せ、どのようなことがその分析からわかるだろうか。(第2回:スタバ「フラペチーノを発明してない」意外な過去に続く)
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(谷頭 和希 : チェーンストア研究家・ライター)