職場に山ほどいる「クソ野郎」上司を回避し、 自らもならないためのルールとは? 【橘玲の日々刻々】
出版社で働いていた20〜30代の頃の話だが、たまに読者から抗議の電話がかかってきた(会社にいきなり乗り込んでくるひともいた)。その多くは、多少面倒でも、説明すればわかってくれたが、なかにはとてつもなく理不尽なクレームもあった。
そこから、どうやら世の中には一定の数の「かかわりあうとヒドい目にあう」人物がいるらしいことに気づいた。その割合は1%から最大5%くらいで(さすがにそれ以上ということはないだろう)、毎日を穏やかな気持ちで暮らすいちばんの秘訣は、この「やっかいなひと」とかかわらないようにすることだ。これが、私が自由業(フリーランサー)をしている大きな理由のひとつで、人間関係を選択できるだけで幸福度は大きく上がる。
じつはこのことはみんな気づいていて、英語圏ではasshole(アスホール)問題と呼ばれる。「ケツの穴」のことだが、卑語で「クソ野郎」のことだ。
ロバート・I・サットンはスタンフォード大学経営理工学部教授で、2003年にハーバード・ビジネス・レビュー(HBR)の特集「ブレークスルー・アイデア」で、採用や昇進における“no asshole” rule(ノー・アスホール・ルール)を提案した。職場からasshole(クソ野郎)を追放するルールが必要だという、日本語に訳して100字にも満たない短い文章だったが、これがすさまじい反響を引き起こした。
国内のビジネスマンから始まって、やがてイタリアのジャーナリスト、スペインの経営コンサルタント、アメリカ大使館(ロンドン)の経営担当参事官、上海の高級ホテルのマネージャー、アメリカ合衆国最高裁判所の調査員などなど、世界じゅうのあらゆる職種のひとたちから数えきれないほどのメールが送られてきた。みんな自分自身のasshole体験を知ってほしかったのだ。
ここから、世の中にはasshole(クソ野郎)に苦しめられているひとたちがものすごくたくさんいることに気づいたサットンは、「人から聞いた恐怖や絶望にまつわる話をはじめ、彼らがクソ野郎の攻撃を毅然と切り抜けた方法や、思わず笑ってしまうような復讐譚、嫌なやつらに対するささやかな勝利の話」などをまとめることを思いついた。これが『チーム内の低劣人間をデリートせよ クソ野郎撲滅法』(パンローリング)で、原題は“The No Asshole Rule; Building a Civilized Workplace and Surviving One That Isn’t(ノー・アスホール・ルール 文明的な職場をつくることと、そうでない場合は生き延びること)。
asshole(クソ野郎)とは何者なのか?
サットンは、スタンフォード大学に准教授として赴任したばかりの29歳のときのasshole体験がいまだに忘れられないという。未熟で授業にも自信のない新米教師だったが、3年目に学生たちの投票による学科内の最優秀教師に選ばれた。卒業生からこころのこもったハグをしてもらったばかりのサットンに対して、同僚の女性が駆け寄ってくると、満面の笑みを浮かべたままあざけるように囁いた。「ロバート、ようやくここのお子さまたちを満足させられたんだから、これで腰を据えてきちんとした仕事ができるわね」このエピソードからわかるように、「クソ野郎」は男だけではない。
asshole(クソ野郎)とは何者なのか? サットンはこう定義している。
1 その人物と話したあと、標的となった側が委縮し、侮辱されたと感じ、やる気を吸い取られるか、あるいは見くびられたように感じるか、とくに、標的自身が自分のことをダメ人間だと思い込んでしまったかどうか。
2 その人物が自分より立場が上の人間にではなく、下の人間に狙いを定めているかどうか。
特定の犠牲者に対して、地位の高い(大きな権力をもつ)者が日常的に攻撃行動を行なうのはいまでいうパワハラで、学校でのいじめにもあてはまる。それをサットンは12に分類している。――思い当たる経験のあるひとも多いのではないだろうか。
卑劣な12の行為
1 個人攻撃
2 “私的な空間”への侵入
3 不快な身体的接触
4 言葉による、あるいは身振りでの脅しや恫喝
5 辛辣な冗談や、からかいに見せかけたあざけり
6 やる気を萎えさせる好戦的なメール
7 被害者の信用失墜を意図した行為
8 人前で屈辱を与える、または相手の名誉を損なう仕打ち
9 無礼な割り込み
10 二面性のある攻撃
11 不快な表情
12 相手が存在しないかのような扱い
「職場にはクソ野郎は山ほどいる」
assholeによる被害はどの程度の規模なのだろうか。アメリカでは次のような調査結果がある。
・2000年の研究によると、ミシガン州在住の700人の被験者のうち27%の労働者が、職場での不遇を経験していて、およそ6人に1人が執拗な精神的虐待を受けている。
・2002年の研究では、のべ500人の従業員のうち60人が「職場でひどい目に遭遇」し、36%が同僚や上司から「執拗な悪意(1週間に1度以上の攻撃的な行動)」を受けたと述べた。さらに20%ちかくの従業員が「そこそこ」から「かなり」ひどい嫌がらせを受けていた。
・130人の看護師を対象にした1997年の研究では、90%以上が過去1年のあいだに医師から言葉による嫌がらせを受けた。461人を対象にした2003年の研究では、過去1カ月で91%が言葉による嫌がらせ(攻撃されたと感じる扱い、軽視、侮辱)を経験している。主な加害者は医師だが、患者やその家族、同僚の看護師、上司の場合もあった。
こうした状況はヨーロッパも同じで、イギリスの調査では、労働者の30%がすくなくとも週に1度の割合でいじめにあっている。とくにいじめの多い職場は刑務所、学校、郵政公社で、研修医でもその割合が高かった。過去1年でいじめにあった研修医は37%にのぼり、84%が研修医に対するいじめを目撃している。またオーストラリアでも、「35%が最低でも1人の同僚から言葉によるいじめを受けている」との調査結果がある。
これを簡潔にまとめると、「職場にはクソ野郎は山ほどいる」のだ。
こうした調査によると、嫌がらせのほとんどは上司から部下に対するもので、およそ5〜8割、同じ地位による同僚の嫌がらせはおよそ2〜5割で、部下が上司に働く"逆"嫌がらせは1%にも満たない。いじめや心理的虐待のほとんどが同性同士によるもので、63%の女性が女性によるいじめの被害者で、62%の男性が男性によるいじめの被害者だった。――これは、男性の上司から女性の部下への嫌がらせが「セクハラ」に分類されるからではないだろうか。
サットンの同僚でもあるスタンフォード大学のデボラ・グルーアンフェルドは、「下の者に対して権力を行使できる地位に就くとどうなるか」を長年にわたって研究している。この研究が不穏なのは、「ごくささやかな権力であっても、驚くほど人々の思考や行動を――たいてい悪いほうに――急速に変えてしまう」ことを示しているからだ。
被験者の学生を3人ひと組にして、中絶や大気汚染などの社会問題について長時間議論させたあと、そのうち1人をランダムに選んで、ほかの2人の意見を評価する権限を与えた。30分後、実験者がクッキー5枚をお皿にのせてもっていくと、3人が1枚ずつ取った後で、“権力”のある学生が2枚目のクッキーに手を伸ばす確率が有意に高かった。しかも大口を開け、クッキーの食べかすをテーブルにまき散らしながら。
この実験は、評価者となった学生がパワーをもつように振る舞っただけでなく、評価された学生が相手のパワーを認めるようになることも示している。ヒト(とりわけ男)はヒエラルキーをつくるように進化してきたので、最初は対等だったにもかかわらず、ささいなちがいが心理に大きな影響を与え、それが態度に現われるのだ。
