平松政次氏が“カミソリシュート”を初めて投げたのはプロ3年目の体育館「滑るし、傾斜もないし」
大洋(現DeNA)一筋に18年間プレーした平松政次氏(78)が9日、ニッポン放送「ショウアップナイター60周年 名球会ラジオ」(木曜後5・10)にゲスト出演。同氏の代名詞となっている「カミソリシュート」の“誕生秘話”を明かした。
現役生活を送った18シーズンのうちBクラスが13度で優勝経験のない平松氏。だが、“カミソリシュート”と恐れられた“伝家の宝刀”を武器に弱小球団のエースとして通算201勝を挙げた。
巨人戦では金田正一(国鉄)の65勝に次いで歴代2位の通算51勝。伝説の“巨人キラー”だ。
インタビュアーを務めた松本秀夫アナウンサー(64)からカミソリシュートの“誕生秘話”を聞かれると、投げ始めたのはプロ3年目だと明かす。
「社会人の時の投手コーチの人に“シュート投げられるか?”っていうのは(言われて)。投げる気はなかったですから。“こうやって投げるんだ”“はい、分かりました”って。まあ、馬耳東風ですよ」と社会人野球の日本石油(現ENEOS)時代にコーチから教えてもらいながらも聞き流して試合では投げなかったという。
だが、「(プロ1年目が)3勝4敗でしょ、(2年目が)5勝12敗。次の年ですよね。次の年にシュートを(初めて)投げるんだけども。その時の、キャンプの時の投球を…その日、雨でね。マウンドで、グラウンドで投げれなかったんで。体育館でボールを投げたんですけど」。
マウンドの傾斜どころか、足元が土でもない板張りの体育館での投球練習。
「滑るも滑るし、傾斜もないし。そこでも“勝てない投手”ということですから。そこで投手コーチに投げろと言われて投げてる時に、その時のキャプテンの近藤カズ(近藤和彦)さんとかアキ(近藤昭仁)さんとか…この人たちが主力打者で。打者も(雨のため外で)打てないから投手の球を見るために。その時、(持ち球が)直球とカーブしかないんですよね。カーブもね、しょんべんカーブです。(キレが)良くない。ベテランの2人が“他にボールないのか!”って。その時に怒られたように、見下ろされたように言われたもんだから。その時、瞬間的に思い出したんですよ。“投げます!”って言ったの。“何投げるんだよ”っていうから“シュートです”って。今まで2年間ぐらい全然忘れてましたよ?それを思い出して投げたのよ。そしたら6球続けて投げましたけど、本当にキレたというか、うなったというかね。“なんでこんなボールを(試合で)投げないんだ!”って2人が言いましたよ」
これが右打者の内角を鋭くえぐる“伝家の宝刀”誕生の瞬間。“ダブル近藤”先輩が投手コーチに「平松が凄いボール投げてる!」と報告し、一気に大エースへの道がひらけたのだった。
「なんで投げないんだって言ったって初めて投げるんだもんね。(周囲は)びっくりしてました。投げる本人がびっくりしてるんですから。それがハマったんです」と笑う平松氏。
これを“カミソリシュート”と命名したのが、平松氏がアマチュア時代から大ファンだった長嶋茂雄さんだった。
「試合が終わって打てなかった、と。その時に長嶋さんが談話で“平松のあのシュートは打てないよ、カミソリみたいだよ”って言ったのが、それが始まりなんです」
大好きな人に命名してもらった“カミソリシュート”。そして、それを武器に球史に残る“巨人キラー”として大活躍したのだった。

