ミサイル音や迎撃音が響く中、“戦時下”のドバイ住民は意外と平然…それでもMALIA.親子が日本帰国を急いだ決定打
「イランのテロ政権の脅威を取り除くため」――こんな名目で2月28日、アメリカとイスラエルが共同作戦でイランに攻撃を開始して始まった“戦争”。イランの報復攻撃はイスラエルだけでなくカタールやサウジアラビアなどにも及び、現在は中東全域を巻き込んだものになっている。
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【写真を見る】「数分で作った」非常用防災パックと、ドバイ脱出時の飛行機内の様子…ドバイに残した大切な家族、愛犬・BEARくんの姿も
日本でも、UAEアラブ首長国連邦の中心都市・ドバイに対する攻撃は大きく報じられた。世界的な観光都市のドバイには、ビジネスなどの目的で日本人も移住しており、2025年の外務省統計によるとその数は3,433人にのぼる。モデルで実業家のMALIA.(43)もその一人だ。

雑誌モデルやタレント、コスメ・アパレルブランドやワックスサロンなどの経営者として幅広く活躍するMALIA.はパキスタンと日本にルーツがあり、4度の結婚歴を経て4人の子を持つシングルマザー。2009年に立ち上げた自身の会社を順調に拡大させつつ、教育のため、2022年8月から7歳になる三男と共にドバイに移住していた。
「教育水準の高さはもちろん、平和で安全。それこそ日本より安全といわれる街でした」
そうMALIA.が言うとおり、ドバイは'26年の世界都市安全度ランキングでは第3位に位置し、住みやすい場所として知られていた。それが戦争の影響で一転し、航空便もいつ飛ぶのかわからない状況になったという。なんとか帰国できた彼女にドバイ脱出までのエピソードを語ってもらった。
突然の攻撃開始
「28日は土曜日で、子どもも学校が休み。いつもと変わらない週末でした。そこに突然、イランが攻撃されたというニュースが飛び込んできた。アナウンスを聞いてからも、“戦争って? いったい何のこと?”という感じで、実感はまるっきり湧きませんでした。その後、テレビやネットで繰り返し報じられて、やっと少しずつ現実味を帯びてきました」(MALIA.、以下同)
攻撃のニュースが流れた時、5時間の時差がある日本は深夜だった。日本から安否を案じる連絡がきたのは、数時間後のことだったという。
「友人たちから“大丈夫?”って、LINEもDMもパンクするくらいたくさん届きました。でも、私からすると、ニュースが流れただけでドバイの街は何も変わらない。危機感については、むしろ日本のほうがあったかもしれないですね。それでも28日の夜には一応、荷造りをしてエマージェンシーパック(非常用防災パック)を作っておきました。そうしたら、夜中の12時過ぎに、聞いたこともない音量で携帯が鳴った。日本でも地震の時に鳴る、あの警報音の5倍くらい、携帯が壊れるんじゃないかというくらいの音量でした。ミサイルが飛んだ時に鳴るものだったみたいです」
飛来するミサイルは軍が迎撃したため、街に直接の被害があったわけではないが、日中も“ブーン”というミサイルが飛ぶ低い音がやむことはなく、時には“ドーン”という迎撃音が聞こえてきた。はじめこそ誰もが驚いていたものの……。
「みんな意外とすぐに慣れましたね。そのうち、ジムでトレーニングしている時にアラートが鳴っても、誰も見向きもせず、平気でトレーニングを続ける様子もありました。国が軍の最新鋭の装備について情報を公開して、攻撃が来ても大丈夫だと安心させてくれたというのもあると思いますが」
自宅マンションの窓から外に目をやると、階下の共有プールでは多くの人がくつろぎ、遠くに見えるゴルフ場も完全に「通常営業」だったという。
「ただし“日本人以外は”ですね。私も含め日本人はみんな、“家を出ないで”という呼びかけに応えて、自宅にいるようにしていました」
帰国の予定が
政府からドバイ国際空港閉鎖のニュースが発表されると、危機感は一段と増したという。空港がイランからのミサイルによって攻撃を受けたのだ。
「3月1日に“空港をクローズしたから近づかないで”というアナウンスがありました。ターミナルは1から3まであるんですけど、私たちがいつも使っているのはターミナル3。その中にコンコースがA、B、Cとあって、爆撃されたのはBでした。このニュースを聞いた時、はじめて日本に帰れなくなるかも……と焦りました」
MALIA.親子には、小学1年生の三男の春休みに合わせて帰国する予定があった。
「戦争の一報があってから、学校はオンライン授業に切り替わっていました。とはいえ、さすがにこれでは授業にならないということで、13日からの春休みが1週間、早まったんです。なので14日発の香港経由日本行きのチケットを押さえていました。“そのタイミングで帰ればいい”と思っていたのですが、空港攻撃のニュースで、これではいつ飛行機が飛ぶかもわからないぞ、となりました」
その後、“3月3日に空港をオープンする”というアナウンスがあったものの……。
「飛行機を飛ばさない限り、足止めされている旅行者たちが脱出できないし、物流面でも色々なものが動かない。だから政府や(ドバイ拠点の航空会社である)エミレーツが強行したのでしょうが、空の安全が確保できなくて、結局1便も飛べず、予定されていたフライトはすべてキャンセルになったんです。その後、4日の夕方くらいから、少しずつ飛ばすようになりました。空港のサイトを見ていたのですが、もとは1日500便あったのが、3日の時点ではたった10便になっていましたね」
本当は“怖かった”
こうした事態を受けて、MALIA.は14日で押さえていたチケットを、5日の便に振り替えていた。
「“航空券の予約サイトがパンクしている”とみんなは話していたけど、私は早めに動いたので、5日朝に出発するチケットに振り替えることができていたんです。もっとも、エミレーツ職員の友人に話したら、“でも、その便はたぶん飛ばないと思うから期待しないほうがいい。飛んだらそれこそ奇跡だよ”と言われました」
だが、“奇跡”は起こった。MALIA.親子を乗せた便は無事にドバイを発ち、香港に向かうことができたのだ。ドバイの地から離れた時のことをMALIA.はこう振り返る。
「飛行機に乗っていても、眠れませんでした。鳴るはずがないのに、アラートが鳴るのでは……と敏感になっていたんです。警報音には毎回“うるさい、うるさい!”なんて強がって自分をごまかしていたけど、心の奥ではやっぱり怖かったんだろうな、って今ではわかります」
自分が怯えれば、幼い息子にも心に残る恐怖を与えてしまう――。息子の前では平気なふりをして、いつも通り「明るく強いママ」を演じた。
「だから機体が(経由地の)香港に到着した時には、本当に安心しましたね。緊張が一気にリリースされるのがわかりました」
後編記事【戦禍に揺れるドバイから必死で脱出したら“犬は置き去り?”と非難され… モデル MALIA.が明かす心痛】では、無事の帰国を果たしたMALIA.を襲った批判の声とその実情について紹介している。
取材・文/蒔田稔
デイリー新潮編集部
