映画『教場 Reunion』©フジテレビジョン ©長岡弘樹/小学館

写真拡大

 『教場 Reunion』の話題に入る前に、まずはこれまでのシリーズの時系列を整理しておきたい。2020年1月放送の第1作『教場』(フジテレビ系)では、初任課短期課程第198期の学生たちの物語が描かれ、翌年1月放送の『教場II』(フジテレビ系)では同200期。通常、警察学校の短期課程は半年間のようだが、第1作の序盤で黒板に記された日付は「令和元(2019)年」の初夏。クライマックスで出てくる第199期のシーンは「令和2(2020)年4月」だったので、なぜか1年の隔たりがある。第2作も同様に「令和3(2021)年4月」から第200期が始まっていた。

参考:『教場』はなぜこれほど巨大なシリーズとなったのか 木村拓哉が導く“オールスター”俳優

 今回の『教場 Reunion』で描かれるのは第205期。綱啓永演じる門田が、木村拓哉演じる風間を呼びにくるシーンなどで、これが「令和5(2023)年10月」から始まる物語であることがわかる。前段で触れた違和感はさておき、第200期から今回の第205期までは2年半(厳密に『教場II』のラストから数えれば2年)の時間経過があるということだ(とはいえ、中盤に登場した第200期の杣利希斗は、伊佐木陶子との間に生まれた子どもが3歳になったと語っているので、そこにもまた微妙な齟齬を感じるのだが)。

 また、2023年4月期に放送された連続ドラマ版『風間公親-教場0-』(フジテレビ系)では、平成31(2019)年の1月から物語が始まり、ストーリー上の大きな転換点となる北村匠海演じる遠野が命を落とす事件――同時に風間が右目を失う事件でもある――は同年の2月下旬の出来事であった。その後、風間は警察学校の教官としての職に就くのであり、終盤で教壇に立つときに着席しているのは第198期の学生たち。ここで『教場』に戻ってくるのである。そして、ラストで風間の前に幻影のように現れた森山未來演じる十崎が「妹は、どこだ」と呟くところで幕を下ろした。

 この『教場0』のラストシークエンスがどこの時間軸に属しているものなのかは明示されていないが、風間の服装から察するに、新たな警察官たちを送り出した卒業式の後と見受けられる。もっともそれが第200期の卒業式なのか、あるいは『教場 Reunion』の直前の第204期なのかは重要な問題ではないだろう。風間の“右目”の真実が明かされた『教場0』を経たことで、この『教場』というひとつの大きな物語の主軸となるものが、風間と十崎の因縁へとシフトしただけに過ぎないのだ。

 さて、『教場』ならびに『教場II』、そして今回の『教場 Reunion』と、警察学校を舞台に学生たちと風間の対峙が繰り広げられるときには、毎度同じようなかたちで物語が運ぶ。教練や実習の様子を織り交ぜながら、風間が目を付けた学生の問題行動があぶり出されていき、退校届が突きつけられる。そして多くの場合、ひとつのパートで2人の学生にフォーカスし、そのどちらかが退校する。このパターンこそ、『教場』という作品の様式美というやつだ。

 今作においては最初のパートで門田と、佐藤勝利演じる矢代にフォーカスする。続いて齊藤京子演じる星谷と浦上晟周演じる石黒。猪狩蒼弥演じる渡部と中村蒼演じる若槻。順調に“いつもの『教場』”を進めていくなかで、“いつもとは違う”が二度ほど訪れる。一つは金子大地演じる笠原の一連だ。実家の町工場のために警察官になるという強い志を持ちながら、指が欠損していることを隠していた彼に、風間は“秘密を守る共犯者”になることを持ちかけ、退校届を文字通り握りつぶす。これはいうまでもなく、同じように身体的ハンデを背負い、それでも警察官としてやるべきことを全うしようとする笠原に、自身を投影して選んだ行ないであろう。

 この“風間教場”において常に機械的で冷酷無比な教官であり続けた風間が、一人の人間として、信念を持った警察官としての表情を見せる瞬間。それはもう一つの“いつもと違う”部分にも通じていくものだろう。過去の“風間教場”ならびに“風間道場”出身の教え子たちが、密かに十崎のゆくえを追って連携を取っていること。そのなかで、風間と十崎の因縁の正体――つまり先述の「妹は、どこだ」の意味――がはっきりと見えてくるのである。自ずと、『教場 Requiem』では『教場0』でも見られなかった風間の人間的な部分がよりあらわになるような予感がただよう。

 それにしても、この教え子たちが“期”や各々の立場をまたいで動く姿。警察官を育てる教場という場が単なる一期一会の空間としてではなく、一般的な学校の教室における教師と生徒の関係以上に、風間という教官のもとで同じ志を持つ者同士がつながる場所であることが象徴されているといえよう。もちろんそれは、今回のラストシーンで示されるように“悪い意味”でも、なのかもしれない。

 最後にひとつだけ気がかりなことを挙げるとすれば、今作がNetflixでの配信公開だったのに対し、次作『教場 Requiem』は劇場公開されるという点だ。『教場 Reunion』単体では完結しておらず、これを観ておかなければ『教場 Requiem』を把握するのも難しい作りとなっているに違いない。よくあるテレビドラマの劇場版(あるいはテレビ放送されたSPドラマと連動した劇場版)とは異なる、メディアを横断する続編の難しさがここにはあり、作品評価よりも興行的な成否への興味がどうしても勝ってしまう。(文=久保田和馬)