ドイツ2部で研鑽を積む町野。さらに逞しくなった印象だ。写真:元川悦子

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 2022年カタール・ワールドカップに出場する日本代表に追加招集され、今年7月にはドイツ2部のホルシュタイン・キールに赴いた町野修斗。彼がJ3のギラヴァンツ北九州から這い上がってきた選手だというのは広く知られている。

 カタールW杯の日本代表メンバーに目を向けると、ロアッソ熊本や松本山雅FCでプレーしたシュミット・ダニエル(シント=トロイデン)、松本や水戸ホーリーホックで実績を積み上げた前田大然(セルティック)のように、J2経験者は何人かいるが、J3に身を投じ、数年後にW杯メンバーまで成り上がったのは、まさに稀有な例。この叩き上げのキャリアを町野は誇りに感じているようだ。
 
「履正社高校の時、(横浜F・)マリノスから誘ってもらって、名前のある名門クラブに入れたのは嬉しかった。だけど、試合に出られる可能性は高くなかった。実際、マリノス時代は力不足を感じる日々で、外に出るしか選択肢がなかったですね。

 J3の北九州に行く話が浮上した時には、『僕を欲しがってくれるチームがあるなら幸せだな』と思ってすぐに決断しました。

 2019年のメンバーは、郄橋大悟(町田)やディサロ(燦シルヴァーノ=湘南)君、鈴木国友君(松本)、福森健太君(栃木)、國分伸太郎君(山形)、加藤弘堅君(長野)といった良い選手が揃っていて、みんな試合に出ることに飢えていました。僕自身も高いモチベーションを持てたし、すごく楽しかった。仲間に活かしてもらえて、8ゴールを取ってJ2昇格に貢献できました。翌2020年も主力の大半が残ってJ2に挑みましたけど、僕自身も7得点という結果を残せた。あの2シーズンで自信を取り戻すことができました。

 もともと中学(FCアヴェニーダソル)や高校の頃から、関わった人たちに『日本代表だったり、J1でバリバリ活躍してくれないと困る』と言われてきたし、『お前には素質がある』という評価ももらっていました。正直、自分の中ではピンと来てなかったけど、自信だけはどこかにあった。だからこそ、『自分には伸びしろがあるんだから、試合にさえ出れば、どんどん上向きになっていく』という感覚を持っていた。それを具現化できたのが北九州だったのかな。僕にとっての最大の転機ですね」と、町野は小林伸二監督のもとで懸命に成り上がろうとした貴重な2年間に改めて思いを馳せた。

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 町野のように年代別代表歴が皆無でも、ちょっとしたきっかけでブレイクする選手は少なくない。今の代表を見ても、伊東純也(スタッド・ドゥ・ランス)や毎熊晟矢(C大阪)らもそういう存在だろう。20歳前後の時点では完成形に辿り着かない選手も少なくない。遅咲きの町野も時間を要したのである。

 やはり大きかったのは、2つカテゴリーを落としてでも試合出場に強くこだわったことだ。日本サッカー協会の反町康治技術委員長も「現状に甘んじることなく、試合に出られる環境に勇気を持って行けるかどうかでキャリアが大きく変わってくる」と語ったことがあったが、町野はその筆頭と言っていいだろう。

「マリノス時代にはまともに練習もできていなかったんですけど、北九州で逆を取るターンに磨きをかけたのもプラスに働きましたね。それが試合でだんだん出せるようになった。

 自分の中で一番印象的なのは、2020年の北九州対徳島戦(7月29日)で椿直起(千葉)のプロ初ゴールとなった2点目をお膳立てした反転です。1人で局面をかわして1対1を作り出すという、自分が描いていた理想に近いプレーを出せたんで、あの時はメチャクチャ嬉しかった。本当にスカッとしました」と、町野は3年前のシーンを昨日のことのように振り返る。

 そういった成功体験が積み重なり、急成長を遂げた町野は2021年に湘南へ完全移籍。横浜を離れて3年で、ついに最高峰リーグに自らの力で戻ったのだ。
 
 湘南時代は最初のシーズンこそ4得点と適応にやや苦しんだが、2022年のW杯イヤーに入ると凄まじい勢いでゴールを量産。5月の川崎フロンターレ戦の2発を筆頭に、結果を出し続け、強烈なインパクトを残すことに成功したのだ。

 この活躍ぶりが日本代表の森保一監督の目に留まり、7月のE-1選手権を戦う日本代表に初選出。香港戦と韓国戦で合計3ゴールをゲットし、彼自身が大会前に掲げていた「3得点」を見事にクリアすると同時に、得点王を獲得。W杯直前の9月のドイツ遠征メンバーにも滑り込んだのである。

「でも後半から出たアメリカ戦では本当に何もできなくて、大きな挫折を味わいました。世界の中の自分を知ったというのかな。アメリカは世界的に見ればまだ強豪国という位置づけではないのに、その相手に太刀打ちできなかったわけですから。ディフェンダーの腕の強さとか、捕まれた時にボールを収められないとか、いろいろありましたけど、大きな差を感じたのは確かです」

 確かにアメリカ戦の翌日のメディア対応に出てきた町野は、呆然自失状態だった。あまりにもショックが大きすぎて、自身を客観視できなかったのだろう。
 
 カタールW杯で3試合にスタメン出場した前田も、2019年コパアメリカに参戦した際には「このままだったら自分は東京五輪にも出られないし、カタール・ワールドカップなんて夢のまた夢」だと思うくらいの危機感を覚えたという。

 浅野拓磨(ボーフム)にしても、2016年夏に初めてシュツットガルトへ移籍した頃には「何でこんなにボールが止まらないのか」と戸惑いを吐露していた。

 町野も22歳の時点で世界との差を痛感する機会があったのは非常に大きな意味があった。カタールW杯ではピッチに立つことができなかったが、むしろそれ以上に、アメリカ戦の経験が自身のターニングポイントになったとも言えるかもしれない。
 
「海外へ行きたいと思ったのも、アメリカ戦が一番大きかったですね。もちろんカタールに呼んでもらって出られなかった悔しさもありましたけど、もっと成長したいと思うなら、外国人の当たりや球際の強さのなかでやらないといけないと感じたのは確かです」

 自分の進むべき方向性が明確になった町野は、アメリカ戦から10か月後にはドイツの地に立っていた。新たな挑戦の先にはもちろん欧州5大リーグの1部クラブ、チャンピオンズリーグに出られるようなビッグクラブに赴く夢もある。

 北九州や湘南時代のように、町野は今、高みを目ざして貪欲に突き進んでいる。

※第2回終了(全3回)

取材・文●元川悦子(フリーライター)