(画像:エヴァンゲリオン公式サイトより)

 3月8日『新劇場版』(『序』『破』『Q』)シリーズ完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(正式には末尾にリピート記号)が公開、大ヒット中です。

 ドイツ人としてテレビコメンテーターも務めるマライ・メントラインさんが「旧TVシリーズ版以来のファン」を表明しながら注目するのは、ヒロインたちの変化。綾波、アスカ、そして新ヒロインの誕生!? 女性たちの『シン・エヴァ』を考察します。(以下、マライ・メントラインさんの寄稿です。個人の考察であり公式のものではありません。)

◆男性のエゴの中の女性像

 今般公開の劇場版でめでたく完結したエヴァンゲリオンシリーズは、宗教的なモチーフをちりばめながら展開される壮大な哲学心理ドラマであり、本場キリスト教哲学的国家であるドイツの人から見てあれはどうなんだ? あと文化考証的にアスカの設定とかはアリなのか? としばしば訊かれるけど、はい、アリです。ぜんぜんアリです。

 ぶっちゃけ宗教的要素どうのこうの以前にキャラクター自体が哲学的モチーフとして妙な力を放っていたので、私や周囲のドイツ学生たち(のうちオタク適性がある者たち)は議論の深みにハマりながら萌えまくっておりました。

 エヴァに登場する女性キャラクター造型の何が凄いかといえば、男性のエゴの中に存在する女性像を、あきれるほど的確に描き抜いているという点です。ゆえに男性視点とは何か、というテーマが逆照射で奥底まで浮き彫りにもなる。このへんは好き嫌い分かれるところかもしれませんが、筆者は大好きです。

◆綾波レイと碇ゲンドウの変態性

 で、いま改めて振り返ってみるに、その中でも綾波レイというメインヒロインの独自性とインパクトは空前絶後で、時代性を超えて今後もいろんな考察のコアになるだろうと思います。

 彼女は「自立性のある良妻賢母」の権化たる碇ユイ(故人)の再来となるべく製造された存在で、女性性というものを濃縮して体現するいっぽう、「男性を安心させる」要素を決定的に欠くのが大きなポイントでしょう。

 俗世感覚では男性からも女性からも扱いに困る存在であり、しばしば現世的に理想化されながら語られる古代宗教の「大地母神」なるものの核心って実はこんな感じなのではないか? と思わせぬでもないあたりが素晴らしい。

 また、亡き妻である碇ユイを復活させようとしながら綾波レイをひたすら磨き上げ、しかも大量に培養してしまう碇ゲンドウのある意味ドイツ的に真面目で真摯な変態性も素敵です。まさに男性性と女性性の高次元での葛藤と融合。

 綾波は神性と何かしら関係がありながらクローン量産可能で、個体ごとに多少の性格差があったりするらしいあたりも生々しくまた切なくて良い。

 疑似キリスト教的な小道具抜きに、原始女神信仰的な何かを多角的にシミュレートできるのも本作の大きな見どころといえるでしょう。

◆報われないアスカ

 綾波レイの正体というか異質性を「直観的に」察して反発するサブヒロインとして惣流・アスカ・ラングレーが登場するわけですが、綾波レイへの反発心の強弱などシリーズ中での性格設定のブレ幅が大きく、字数が限られた場での紹介が難しい人物です。

 それでも、
・「万能秀才」的なスペックの高さを「意固地さ」がどうしても上回ってしまう
・決戦の場で常に「あと一歩」及ばず敗退し、見せ場をシンジに譲ってしまう
 役どころという印象は絶対的について回る感じですね。

 苦労と葛藤の割に報われず、とかいいながら、人気的には綾波レイと同格かそれ以上っぽいのが味わい深い……。【※以降『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のネタバレを含みます※】