《両親が知的障害》里親の元から逃げ、ゴミ屋敷に住む実母を選び...非行、高校中退を経て、18歳で初めて会った父親の"正体"〉から続く

 両親に知的障害があることから、生まれてすぐに乳児院へ預けられ、児童養護施設で少年時代の多くを過ごしたNEXT-GOさん(32)。

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 YouTuberやラッパーとして活動する彼に、18歳で実現した存在すら知らなかった父親との対面、両親の出会いとNEXT-GOさんを授かった経緯、両親への思いなどについて、話を聞いた。


NEXT-GOさん

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18歳で初めて父親と会った瞬間「あ、違うな」と

――18歳の時に初めてお父さんと会ったそうですね。

NEXT-GOさん(以下、GO) 高校を中退して、行くあてもなく、また母親と高齢者の彼が一緒に暮らす団地の家に戻ったんですよ。その頃には、高齢者の彼が寝たきりになっていて、介護ヘルパーの方が家に出入りしていました。その福祉関係の方がすごく親身な人で、僕の身の上話を聞いているうちに「父親を探すべきだ」と動いてくれて。母親に何度も問い詰めて、ついに父親の居場所を見つけ出してくれたんです。

 それで仕事から帰ってきたら「お前の父親見つかったぞ」と言われて、突然で何のことか分からなくて。

――実際に会ってみて、どんな思いがありましたか。

GO 親子かどうかを調べるDNA鑑定の時に初めて会いましたが、僕が心のどこかで期待していた「父親像」とは全く違って。話し方とか、見た目の雰囲気とか。そして、父親も知的障害を持っていると知らされて。

 僕の中でいろんなことが腑に落ちましたね。なぜ母親は一人で僕を育てられなかったのか、なぜ僕は施設に預けられたのか。その根源として、両親そろって障害がある事実があったんだと。

――お父さんの知的障害の程度は、お母様と比べるとどうなのでしょうか。

GO 父親の方が、より重いと聞いています。母親はまだ日常的な会話がある程度成立しますけど、父親はコミュニケーション自体がかなり難しい。感情のコントロールも苦手で、すぐにカッとなったり、逆に自分の殻に閉じこもってしまったり。だからこそ、後に僕との衝突が生じて、それが絶えなかったんですよね。彼も彼で、どう息子と接していいか分からず、もどかしかったのかもしれないですけど。

――お父さんとお母さんは、どこで出会ってNEXT-GOさんを授かったのでしょうか。

GO 母から最近聞いた話ですが、2人は障害者向けの作業所で出会ったそうです。お互いに惹かれ合ったんでしょうね。でも、2人とも自分のことで精一杯で、計画的に子供を授かったわけではなかった。

 最終的に母が学生の頃にいた障害者施設の職員を頼って出産を手伝ってもらったらしいです。結局、父と母は妊娠が分かる前に別れており、父は母が出産したことを風の噂で聞いたものの、僕を探すことはしなかったと父本人から聞いています。母親も1人では育てられず、僕が乳児院に預けられることになったと。

――お父さんとは衝突が絶えなかったとおっしゃっていましたが、具体的にどんな衝突が?

GO 父親と再会して、父方のおばあちゃんの家で一緒に暮らし始めたんですけど、もうケンカしまくりました。些細なことでぶつかってくるんです。僕が友達を家に連れてきてテレビをつけていたら、突然「うるさい!」と怒鳴り出して、最終的に「お前の存在が邪魔だ」とまで言われて。僕もカッとなって「お前なんて父親じゃねえじゃん、18年間も会ったことなかったくせに!」と叫んでしまって。

 今は父親が障害者のグループホームにいるから、ほとんど会っていませんが。

「あなたの名前を付けたのは私よ」と自慢げに言う母親

――両親を責めたくなる気持ちはありますか。

GO 正直ありますし、ふとした瞬間に黒い感情が湧き上がってくることがあります。「なんで俺を産んだんだ」「こんなレベルで子育てできるなんてよく思ったよな」とか。特に、小学生でも分かるような社会のルールが分からなかったり、自分のことしか考えていないような言動を目の当たりにする時なんかに、その気持ちが強くなりますね。「僕がどれだけ苦労してきたか、分かっているのか」と。

 ただ、矛盾しているようですが、今は母親のことは好きなんです。小学生から高校生の頃までは、憎しみに近い感情を抱いていたけど、いろんな経験をして大人になってみて、「彼女も障害のせいで思うように生きられなかったんだ、仕方ないんだ」と思えるようになって。それでも複雑な気持ちは消えませんけど。

 去年、5年ぶりに母親と再会した時に、彼女が「あなたの名前を付けたのは私よ」と自慢げに言ったんです。その瞬間、僕の中でドロッとした感情が湧き上がってきて、「名前は誰でも付けられるよ」と言い返しました。

――「名前は誰でも付けられるよ」という言葉には、どういった気持ちが。

GO 半分は「産んだなら、ちゃんと育ててくれよ」。もう半分は、「自分の分をわきまえてほしい」という気持ちですね。子育てという、人間にとってとても大事なことから逃げたのに、名前を付けたことだけを自分の功績のように語らないでほしい、と。愛憎が入り混じった、自分でも整理できない感情でしたね。

 5カ月前に、僕のYouTubeの企画で母親と父親を31年ぶりに再会させたんです。僕の家で親子3人で食事をしようと。そしたら母親が父親にぞっこんで、あからさまに「女」の顔になってるんですよ。甲斐甲斐しく世話を焼いたりして。その光景を見ていて、また複雑な気持ちになりました。「そこまでできるなら、俺が子どもの頃に、その愛情を少しでも向けておいてくれよ」と。口には出しませんでしたが。

最悪の記憶が、僕の人生のコンパスになっている

――アル中の伯父さんやお母さんの高齢者彼氏の存在は、トラウマになっていますか。

GO めっちゃトラウマです。居酒屋で悪酔いして大声を出している人を見ると、当時の恐怖が蘇ってきて、心臓がバクバクします。でも、皮肉なことに、あの伯父さんがいたから、「こういう大人にだけは絶対になりたくない」という、強烈なストッパーにもなっているんです。

 例えば、友達とガーッと飲んでいる時に、ふと「あ、このままだと、あれになる」と思って、そこで飲むのを止められる。部屋が散らかってくると「このままだと、あのゴミ屋敷になる」と思って、すぐに片付ける。最悪の記憶が、僕の人生のコンパスになっている。だから、ある意味では、ありがたいっちゃありがたいんですよ。こうやってYouTubeで独立して活動できているのも、ああいう人間の底辺みたいなものを間近で見てきたからこそ、地に足をつけて頑張れるんだと思っています。

――高校卒業後は仕事が続かなかったとのことですが、そうなると住む場所にも困るような状況だったのでは。

GO 始めの頃は、どん底でした。でも、子供の頃の葛藤がハングリー精神を培ってくれてたみたいで、20代前半の頃から、個人事業主や経営者として個人で音楽の仕事をしたり、飲食店を経営したり、YouTuberとして生活費を稼ぐ様になって。今では築100年の大きな古民家で一人暮らしを満喫してます。

〈「子供に遺伝したらと考えると…」両親、祖母が知的障害の32歳YouTuberが語る、発達特性検査をずっと躊躇している「本当の理由」〉へ続く

(平田 裕介)