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事件、事故、自殺、または孤独死などが原因で、人が亡くなった不動産を指す「事故物件」。古典エッセイスト・大塚ひかりさんは、古典文学に登場する曰く付きの邸宅を長年ファイリングするなかで「事故物件で不幸に遭う人がいる一方、大きく運が開ける人もいる」ことに気が付いたそうです。そこで今回は大塚さんの著書『事故物件の日本史』より一部引用、再編集してお届けします。

【書影】事故物件で不幸になる人と運が開ける人、その違いとは?大筭ひかり『事故物件の日本史』

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「事故物件」吉良邸跡を蘇らせたのは

古典文学には、繰り返し不幸が起きる事故物件に対する呼び名「凶宅」がある。

同じ「凶宅」と呼ばれる屋敷でも、被害を受ける者と受けない者がいる。そのカギは、過去の悲劇への理解と敬意、そして周囲(家族)を納得させる説得力である。

もう一つ、まったく異なる文化圏からやって来た、違う価値観を持つ「異人」とも言うべき者は、被害を受けないことがある。

「事故物件」と題するマンガには、怪奇現象が起きてもまったく気にせず、事なきを得た、勉学にいそしむ外国人留学生のエピソードがあって、もとよりフィクションであるとしても、人の心理と物事の道理をよく取材した作品であると感じた(「事故物件」『強制除霊師・斎 自殺女房』小林薫著、斎監修)。

また、事故物件に住んでブレイクした「事故物件芸人」松原タニシ氏の著書には、事故物件を買い叩く中国人が登場し、これまた、さもありなんと思ったことだ(『事故物件怪談 恐い間取り』3)。

不退転の覚悟で勉学に励む外国人留学生や、5000年の歴史と筋金入りの合理主義で鍛え上げられた中国人商人にとっては、たかだか近代以降にできた物件で多少の怪異があっても、意にも介さぬということかもしれない。

仮名手本忠臣蔵

その伝で言うと、吉良上野介(義央<よしなか>。よしひさ、とも)邸のあった土地が蘇ることができたのも、武士とは違う価値観を持つ町人の存在が大きいのではないか。

江戸中期、浅野内匠頭(長矩)が、江戸城の殿中で上野介に斬りつけた。理由については、朝廷の饗応役を命じられた内匠頭が、礼法指導者である上野介に十分な付け届けをしなかったため、パワハラに遭い、たまりかねた内匠頭が斬りつけたとされるが、真相は諸説あって明らかではない。

内匠頭は即日切腹を命じられ、お家は取り潰しとなり、一方の上野介にはお咎めなしであった。そのため翌年、主君の仇を討つために、47名の赤穂浪士が吉良邸に討ち入って(実際に討ち入ったのは46名)、上野介の首級をとり、さらにその翌年、浪士たちも切腹した。

この事件は平和な世間を騒がし、『太平記』(室町時代)の世界に仮託した(江戸時代には武家の出来事を文芸にするのは禁じられていたため)『仮名手本忠臣蔵』として文楽や歌舞伎の人気演目となり、今も時代劇のネタとして名高い。

事件の起きた吉良邸

問題は、事件の起きた吉良邸である。

吉良邸は2500坪を越す豪邸であったが、上野介のほか、家老・小林平八郎はじめ、吉良家のスタッフ16人が殺されている(山本博文『赤穂浪士と四十六士』など)。


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要は事故物件となってしまった。

そのため跡地には武家が入るのを嫌がり、「町人地となった」というのだ(栗原亮『忠臣蔵の真実』)。

ブレイクスルーを起こすのは、別の価値観を持つよそ者

武家の刃傷沙汰による怨念など気にしない町人、武士にとってはまさしく「異人」が事故物件の住人となったのである。

外国人が事故物件を安く買い叩くのにも似た、頓着のなさを感じる。

このように、事故物件を蘇らせるのが、時に「異人」であること、誤解を恐れずに言えば「よそ者」であることは興味深い。

※本稿は、『事故物件の日本史』(祥伝社)の一部を再編集したものです。