【柳瀬 博一】育児と親の介護を同時に担う「ダブルケア」で日本は倒れる…80代母親が「買い物難民」になった大学教授が覚えた危機感
「ダブルケア・クライシス」が日本を襲う
「ダブルケア」をご存じだろうか? 「親や親族の介護」と「子育て」を同時に行っている状態を指す言葉だ。このダブルケアが、今そしてこれからの日本の危機=クライシスになる。それが「ダブルケア・クライシス」である。
さらに、日本の都会で働く人の多くは地方出身者だ。つまり、介護しなければいけない親は、地方に暮らしている。ケアのためには帰省が必要だ。地方に高齢者の親を抱える人は介護帰省が日常化する。ダブルケアに加え、この介護帰省が重なると、当事者の負担は計り知れない。
ダブルケアを担う世代は、日本の社会と経済を回す働き盛りの40代半ばから60代半ばである。社会の中心で働きつつ、自分の親と自分の子供、二つの世代の「ケア」も同時にこなす。時間的にも、金銭的にも、体力的にも、そして心理的にも、へとへとだ。この世代が倒れると、家族はもちろん、日本経済と社会が「倒れる」。
団塊世代が本格的な介護対象者に
ダブルケア問題を抱える人口は非常に大きい。
ケアされる側の親の世代には、860万人を超える「団塊の世代」(1947〜49年生まれ)が含まれる。75歳以上の日本の人口は2026年4月時点で約2150万人にのぼる。潜在的には、その大半が何らかのケアが必要となっている。一方、ケアする世代、つまり親と子のケアをしながら社会の中心で働く世代は、団塊ジュニア世代(1971〜74年生まれ)を中心とする45〜64歳。人口は約3458万人。両方を足すと5000万人を超える。
2026年1月には、菅直人元首相(79歳)が認知症で要介護3であることが報じられた。菅元首相は団塊世代の1歳上の1946年生まれである。団塊世代が本格的な介護対象者になることをまざまざと知らせるニュースだ。
一方、働き盛りの世代の子どもたちはどうだろう。金銭的に独立していない「未就学児〜大学生」が多数含まれる。つまり、子育てというケアが、この世代の多くにはすでにのしかかっている。
以上を読んで、読者の皆さんはぎくりとするはずだ。ほとんどの方が、ケアする側、あるいはケアされる側の当事者だからである。
両親が免許返納で「買い物難民」に
ダブルケアと帰省介護ケアは、日本の危機ではないか。そう気づいたのは、私自身が当事者になったからだ。
1964年、静岡県浜松市生まれ、現在61歳の私は、東京で大学教員を務めている。高校生の子供が1人。家族とは東京住まいだ。兄弟もまた東京と海外で家庭を持っている。長年父と母は浜松の実家で二人暮らし。ともに健康だったので、2010年代半ばまでケアの必要はなかった。私たち兄弟は、子育てに専念すればよかった。
うちの場合、親のケアが必要になったのは彼らが70代半ばを超えてから。二人とも自動車免許を返納したためだ。浜松市は人口77万人を超える政令指定都市で、全国市町村特別区1741の中で16番目に大きい。東海道新幹線が通り、地元の私鉄も黒字路線。スズキやヤマハなど上場企業が多数本社を構えるが、人々はもっぱら自動車で生活し、商業施設の大半は郊外のロードサイドにある。典型的な自動車社会なのだ。ゆえ、自動車を手放すと途端に「買い物難民」になる。
これは浜松に限った話ではない。実は、首都圏と京阪神の中心部を除く日本の大半は鉄道社会ではなく自動車社会。だから、高齢化に伴う免許返納は、そのまま大量の買い物難民を産む。
その数が凄まじい。農水省の2020年の推計では、食料品の購入が困難な買い物難民人口はなんと904万人。65歳以上の老人の4人に1人である。
政府の推計から6年経った今、団塊世代が後期高齢者を経て80代に差し掛かろうとしている。買い物難民の高齢者の数は軽く1000万人を超えているはずだ。そしてこれからますます増える。その全員が誰かがケアをしなければ「ご飯にありつけない」つまり生死に関わる状態にあるのだ。
2010年代後半、うちの親がまさにそんな買い物難民になった。実家の近所には、数百メートル離れたところにコンビニが2軒あるだけ。スーパーやショッピングモールは数キロ先。親だけでは買い物に行けない。タクシーを使う手もあるが、コストがかかる。私たち兄弟は定期的に自家用車で帰省し、親の「買い物ケア」をするようになった。
親のケア、というと身体的な「介護」のイメージがある。だが、今述べたように首都圏や京阪神の中心を除く日本のほとんどの地域は自動車社会だ。免許返納した高齢者は、健康であっても「買い物難民」になる可能性が高い。宅配サービスなどを含む「買い物ケア」が必須なのだ。この点は、首都圏や京阪神の中心に暮らしているとわからない現実である。
親の介護と子どもの教育問題が同時にのしかかる
次のきっかけは2020年のコロナ禍の真っ最中に起きた。
当時86歳の父親が体調不良で入院し、退院後に特別養護老人ホームに直行してからわずか1年、2021年春に87歳で亡くなった。80代前半の母親が一人実家に残されたのである。コロナ禍ではますます買い物が難しい。病院などの通院も一人では困難である。私たち兄弟は、帰省の頻度を月に1度以上に増やし、ときには有給休暇をとり、買い物はもちろん病院への通院や金融機関への対応などをサポートするようになった。
そして自宅に戻れば、我が家にも「子育て」というケアがある。東京で子育て経験のある方ならばお分かりの通り、とにかく金も手間もかかる。
現在の日本は晩婚世帯が多い。かつて日本人の多くは20代に結婚し、すぐに最初の子が生まれていた。だが、初婚年齢はどんどん上がり、30歳以上で初めて子供が生まれる世帯が中心となった。2024年の統計では、40〜44歳の女性による出生数(4万3,463人)が、20〜24歳の出生数(4万2,754人)を初めて上回っている。40代はもちろん50代や60代の世代で、自分の子供がまだ大学生だったり場合によると高校生や中学生だったりするケースは珍しくない。
うちもそうだ。管理職などの要職を任され、仕事で多忙を極める周囲の働き盛り世代との会話も、親の介護と子供の教育や受験ばかり。
厳しすぎる「ダブルケア」の定義
ダブルケアの問題はメディアで大きく取り上げてこられなかった。これまでの定義がかなり厳しかったからである。
「ダブルケア」は、2012年に横浜国立大学相馬直子准教授(当時)、英国ブリストル大学山下順子上級講師(当時)により、「介護と育児が同時期に発生する状態」を指す概念として生まれた。この研究を背景に、2016年4月、内閣府男女共同参画局が、「育児と介護のダブルケアの実態に関する調査」 (株式会社NTTデータ経営研究所実施) を行った。実に先進的な取り組みだったと言える。ただしこのとき弾き出されたダブルケアを行う人口は、たった約25万人。
なぜこんなに少ないのか。買い物が困難な高齢者だけで1000万人近くいるという政府のデータとも符合しないスケールだ。調査に当たったNTTデータなどにも問い合わせた。理由が判明した。この統計におけるダブルケアの定義が
? 自分の親・祖父母が要介護状態で
? 自分の子供が小学生以下、主に未就学児
というかなり限定された条件だったのだ。介護がないと一人では暮らせない老親を抱えつつ、乳幼児を抱えたお母さんお父さんというイメージである。
この調査では、非常に重要な事実も明らかになっている。2016年時点で、「ダブルケア」の当事者は、女性が男性の2倍もいるのだ。明らかにおかしい。子供がいてかつ老親を抱えているのは、男も女も関係ない。にもかかわらず、当事者としてカウントされている人口は女性が男性の2倍。いかに日本において、家庭におけるケアが「女性の仕事」となっていたかがうかがえる。
【つづきを読む】日本政府は「介護と子育ての両立の困難さ」を軽視している…80代母親の免許返納で「生活が激変」した60代大学教授が思うこと
【後編を読む】日本政府は「介護と子育ての両立の困難さ」を軽視している…80代母親の免許返納で「生活が激変」した60代大学教授が思うこと
