反町隆史

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賛否両論の理由

 平成前期に大人気を博した連続ドラマの続編、フジテレビ系「GTO」(月曜午後10時、制作・関西テレビ)が始まった。20日に放送された初回の個人視聴率は3.8%。夏ドラマの初回視聴率としては上位だった。もっとも、SNS上には賛否が渦巻いている。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

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「GTO」は1998年に連ドラとして第1作が放送され、翌99年と24年に単発のスペシャル編がつくられた。

 主人公は反町隆史(52)が演じる鬼塚英吉。元暴走族のリーダーで、破天荒な高校教師だ。熱血で自由奔放、お調子者である。初登場時には25歳だったが、今は52歳になっている。

反町隆史

 初回には、視聴者を選ぶ「リトマス試験紙」のようなセリフがいくつかあった。その1つは自死を企図した生徒への言葉である。

「教師の仕事って知ってるか。生徒の未来を守ることだ」(鬼塚)。この言葉に胸打たれた人は今後もこの作品と良い付き合いができるだろうし、しっくりこなかった人は最後まで距離を感じるのではないか。

 第1作から28年が過ぎたが、鬼塚は本質的には変わっていない。同僚教師への暴力や女子生徒へのセクハラなどが原因となって、勤務先の学校を相次いで解雇されている。元教え子の宮澤龍之介(工藤阿須加)のコネで、なんとか私立誠進学園高校に就職したが、本人は相変わらずで、前途多難である。

 視聴者の賛否の分かれる最大の理由も鬼塚が変わらないことにある。ブレない男と快哉を叫ぶ人もいる半面、時代と合わぬと閉口する視聴者もいるはず。観る側の世代が大きく影響するだろう。

 鬼塚とは対照的に、学校も若者も激変した。鬼塚の売りは、神奈川県最大級の暴走族を率いていたという点だが、もはや暴走族は全国で約4500人しかいない(警察庁調べ、2024年)。暴走族という存在自体が若い世代の日常から消えた。ヤンキー文化も絶滅寸前だ。

 全国の暴走族の構成員は、1982年のピーク時には約4万2500人いた。その後、減少を続けたが、それでも前作の放送時である98年には約2万6000人を数えた。しかし、今の若者の多くは暴走族を見たこともないはず。これではイメージすら湧かないだろう。

 初回で教頭の中丸浩司(近藤芳正)は校長の大久保安博(宇梶剛士)に向かって、「(鬼塚は)元暴走族なんですよ!」と叫んだ。鬼塚の過去の悪事を告げ口する形になっていた。

 もっとも、今の若者はピンとこなかっただろう。あるいは元暴走族という言葉を過度に悪く受け止めたのではないか。もはや鬼塚の経歴の核心は、若い視聴者には本来の意味が伝わらなくなっている。

 担任することになった1年B組で、生徒の出欠を取る場面でも鬼塚と教育現場の深い溝が浮き彫りになった。鬼塚が生徒の名前を呼び捨てにすると、教室内に緊張が走った。今は生徒を「さん付け」することが広く浸透している。生徒からやんわり抗議された鬼塚は「味気ないじゃねーか」と不満を漏らすものの、受け入れざるを得なかった。

 教師が生徒を「さん付け」する動きは2000年代前半から始まり、20年ごろには全国に浸透した。背景には1999年施行の男女共同参画社会基本法などを受けた人権意識の高まりがあった。男子は「くん」、女子は「さん」と区別するのは、おかしいという話になった。

 生徒の名前を呼び捨てにするのはタブー化しつつある。生徒の尊厳が損なわれる上、教師と生徒の間に行き過ぎた上下関係ができてしまうと考えられたからだ。

変わった高校、変わらない鬼塚

 背景には教師の言葉に傷ついた小中高生が自死する事件が相次いだことがある。教師という立場を悪用し、女子生徒に性加害に及ぶ不届き者が後を絶たないことなども影響した。

 28年前の鬼塚が戦ったのは、直接的ないじめや管理教育だった。これも姿を変えた。今はSNSを使ったいじめが増えた。ガラホ見た目はガラケーだが、スマホ向けOSを搭載した携帯電話)を愛用する鬼塚は太刀打ちできるのか。

 管理教育も後退した。生徒の人権が尊重され、自主性や多様性が重んじられるようになったからだ。ブラック校則など行き過ぎた管理は糾弾の対象になる。

「変わらなかった鬼塚」は「一変した学校」とどう戦うのか。それとも時代に迎合してしまうのか。前作に続いて脚本を書いている遊川和彦氏(70)がどう描くのかが見どころである。

 遊川氏は、天海祐希(58)主演の日本テレビ「女王の教室」(2005年)や、松嶋菜々子(52)主演の同「家政婦のミタ」(11年)を書いた名匠だ。だからこそ、鬼塚を変えなかったことには深い意味があるに違いない。「GTO」続編の賛否が分かれることもあらかじめ分かっていただろう。

 遊川氏は、ヒロインの純(夏菜)と周辺に次々と不幸が訪れるダークな展開のNHK連続テレビ小説「純と愛」(2012年度後期)も書いた。同作品は今も評価が真っ二つに割れている。意見が分かれるのは遊川作品の特徴の1つとすら言える。遊川作品は視聴者を喜ばせることより、考えさせることや揺さぶることを優先しているからだ。

 おそらく今回は「28年間の変化で教育現場は何を得て、何を失ったのか」を考えさせるつもりだ。だから鬼塚を変えず、学校と社会の変化に戸惑う立場にしている。

 たとえば教師による不適切な指導や人権意識の高まりなどを背景に、生徒は「さん付け」で呼ばれるようになった。しかし40代以上の視聴者の中には強い違和感を覚える人もいるだろう。

 生徒の呼び方の変更、教師との関係の変革により得られたものがあるはずだ。一方で、失われたものもあるように思える。ドラマが観る側に考えることを要求している。

 鬼塚が勤める誠進学園高には「教師フィードバック制度」があり、生徒が教師の授業や態度を評価する。低い評価を受けた教師は解雇されることもある。荒唐無稽な話と思う視聴者も多いだろうが、ドラマほど厳格ではないものの、評価は実際に存在する。

 教える側に対する評価制度は2000年代半ばから広まった。生徒が教師の教え方や対応についてのアンケートなどに答えることで、評価が行われる。教師は低評価でも解雇されないが、立場は厳しくなる。

 教師の評価制度が導入された背景には、文部科学省が2007年、「学校評価の実施と結果の公表」を義務化したことがある。学校と教師は一方的に教えるだけでは済まなくなった。暴走族が身近に存在した世代には、信じがたい話かもしれない。やはりドラマ側は視聴者に考えることを求めている。

若者の本質が掴めるか

 鬼塚は誠進学園高でも星のマーク付きのTシャツを着て登校する。もう52歳だから、観ている側まで照れくさくなる。愛車も1973年に発売されたKawasakiの750RS(通称・Z2)で同じ。空冷4サイクルで加速性能が良く、暴走族が愛したオートバイの代表格だった。

 ここまで鬼塚を変えなかったのだから、遊川氏は現代の教育現場で戦わせるつもりだ。本当は鬼塚を教頭や校長にしてしまい、その活躍や苦悩を描くことのほうが簡単だっただろう。

 演じる反町も演じやすかったかもしれない。近年の反町は渋いミドル役ばかりだから、この作品でおどけたり、生徒にからかわれたりする場面はしんどそうだ。ただし、校長や教頭になっていたら、鬼塚の破壊力は生かせず、ありきたりの学園ドラマになってしまう。続編の意味がない。

 一方で、鬼塚は弱音も漏らしている。「年のせいか、このところ高校生のことがよく分からなくて」。それでも戦い、再びヒーローになるのか、それともドン・キホーテになってしまい、視聴者からも失笑されるのか。

 変わらない鬼塚には活路もある。高校にも社会にも不変のものがあるからだ。第1作が放送された1998年、愛や友情、希望を歌う沖縄のバンド「MONGOL800」が結成された。その「小さな恋のうた」(2001年)などを泣きながら聴く若者は当時も今もいる。おそらく若者の本質は変わっていない。

 変わらない部分を遊川氏と反町が描き切れたら、第1作のファンだけでなく、新たな視聴者も惹き付けられる。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社。放送担当記者・専門委員として、1994年のNHK連続テレビ小説「春よ、来い」のヒロイン途中交代や、1999年のフジテレビ「愛する二人別れる二人」のやらせ問題などを特報する。2015年に毎日新聞出版へ入社し、サンデー毎日編集次長を務める。編集者としては「小池百合子都知事の真実」などを担当した。2019年に独立。元・放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部