(※写真はイメージです/PIXTA)

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退職後は、住み慣れた土地を離れ、好きな場所で暮らしたいと考える人もいます。しかし自分たちが60代になるころには、親は80代、90代を迎えます。夫婦の希望だけで住まいを決めようとしても、高齢の親の生活状況によっては、思い描いていた計画を見直さざるを得ないこともあります。

移住先の物件まで決めた直後、88歳母から届いたメッセージ

「移住は諦めてほしい」

夕食後、浩司さん(仮名・65歳)のスマートフォンに、母の澄子さん(仮名・88歳)から短いメッセージが届きました。

浩司さんはすぐに返信しました。

「急にどうしたの?」

しばらくして返ってきたのは、

「あなたたちまで遠くへ行ったら、何かあったときに困る」

という一文でした。

浩司さんと妻の由美さん(仮名・64歳)は、その数日前、移住先として考えていた地方都市の中古マンションを内見したばかりでした。

浩司さんは65歳で会社を退職。退職金は約1,800万円で、夫婦の年金は合わせて月約24万円です。住宅ローンを完済した自宅を売却し、その資金も使って、温暖な地域へ移り住む計画を立てていました。

きっかけは、二人で何度も旅行した海沿いの町です。

「退職したら、冬でも暖かいところで暮らしたいね」

そんな話をするようになったのは5年ほど前。現地へ何度も足を運び、スーパーや病院、交通機関まで調べていました。

候補のマンションは駅から徒歩圏内。自宅を売れば住宅ローンを組まずに購入できる見込みで、あとは契約時期を決めるだけでした。

ただ、一つだけ気になっていたのが澄子さんの存在です。

澄子さんは浩司さん夫婦の家から車で40分ほどの場所で一人暮らしをしています。買い物や食事は自分でこなし、介護サービスも利用していません。

浩司さんは月に2、3度様子を見に行っていました。

「母は元気だし、妹も近くに住んでいる。だから大丈夫だと思っていました」

しかし、移住の話を聞いた澄子さんは不安を募らせていました。

数ヵ月前には、自宅で電球を交換しようとして転びそうになったこともあり、夜に体調を崩したときには浩司さんへ電話をかけています。

由美さんはメッセージを読みながら言いました。

「お義母さん、本当はずっと不安だったんじゃない?」

内閣府『令和7年版高齢社会白書』では、2025年には65歳以上人口に占める一人暮らしの割合が男性18.3%、女性25.4%と推計されています。高齢者の一人暮らしが増えるなか、日常生活は自立していても、緊急時への不安を抱える人は少なくありません。

「あと何年待てばいい?」夫婦で初めてぶつかった移住への思い

その夜から、夫婦の間でも意見が分かれるようになりました。浩司さんは、移住をいったん延期すべきだと考えました。

「母も88歳だし、今ここを離れるのはやっぱり無理なんじゃないか」

由美さんは納得できませんでした。

「じゃあ、あと何年待てばいいの?」

責めるような言い方ではありませんでしたが、浩司さんは言葉に詰まりました。

由美さんも、澄子さんを心配していないわけではありません。しかし、夫婦は5年間かけて移住の準備を進めてきました。由美さん自身も、退職後の生活を楽しみにしていたのです。

「お義母さんが元気なうちは待つ、となったら、いつになるか分からないでしょう。そのころ私たちも70代になっているかもしれない」

そこで浩司さんは妹にも相談しました。

妹も母の様子を見ることはできますが、仕事があり、全面的に任せられる状況ではありませんでした。家族で話し合った結果、まず澄子さんの生活で何が不安なのかを整理することにしました。

地域包括支援センターにも相談し、見守りサービスや生活支援について情報を集めました。

厚生労働省の「介護予防・日常生活支援総合事業」では、市町村が地域の実情に応じ、訪問型・通所型サービスや生活支援などを実施しています。介護認定を受ける前の段階でも、地域包括支援センターなどに生活上の不安を相談することができます。

最終的に夫婦は、予定していたマンションの購入を見送りました。ただし「移住そのものを諦める」とは決めたわけではありません。

まず2年間は現在の家で暮らし、その間に澄子さんの見守り体制を整える。半年ごとに家族で状況を確認し、移住できる時期を改めて考えることにしたのです。

「母に言われたから全部やめる、では妻も納得できない。かといって、今すぐ遠くへ行くのも自分は心配でした」

自分たちの老後を考える時期と、高齢になった親を支える時期は重なることがあります。移住や住み替えを考える際には、資金や住環境だけでなく、親の生活を誰がどのように支えるのかまで含めて家族で話し合っておくことも必要です。