中村敬斗が第2次森保Jで10得点の主軸に 恩師が明かす“うまい選手”から「戦える男」への変貌【北中米W杯 日本代表選手の恩師を総直撃】
FW中村敬斗(フランス2部スタッド・ランス/25歳)
第2次森保ジャパンで24試合10得点と主軸選手に成長したアタッカーは、間違いなくW杯上位進出のカギを握るだろう。三菱養和コーチの恩師に教え子の成長曲線とW杯本大会の期待度を聞いた。
【恩師直撃】久保建英らU17メンバーへ「おまえら、どうせ消える」 合宿のたび言ったワケ(U17日本代表元監督・森山佳郎)
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──千葉の中学から三菱養和に来た経緯は?
「ユース所属選手が敬斗と幼馴染みで『面白い小6の子が養和に来たがっている』という話を聞きました。練習に来てもらって『ドリブルとシュートが他の小学生とまったく違う』と感じました。足に吸い付くようなドリブル、柔らかい足首でスルスルッと抜けるところに強烈なインパクトを受けました。『この子は伸びそう』と思い、セレクションを受けてもらって加入が決まりました。敬斗はボールを蹴らせるとピンポン球のように飛んでいく。(ボールの)芯を捉えるのがうまいのでシュートミスも少ない」
──当時からずぬけていた存在でしたか?
「『僕は(養和で)ドリブルをやりたい』と聞かれて『好きなようにやりな。でもボールを取られたら、しっかり守備をして奪い返してゴールまで行ってほしい。ウチは全員攻撃・全員守備。それができないと試合には出られないよ』と伝えました。本人はすぐにコミットしてくれました」
──当時から守備の意識を植え付けたのですね。
「守備は、森保(日本代表)監督からも強く言われていること。代表でも『ウブさんと同じことを言われます』と言っていました。今につながっていて良かったと思います」
──U-15代表から年代別代表の常連だった。
「ゴリさん(J仙台の森山佳郎監督)が率いたチームで(久保)建英ら良い選手が多かった。呼ばれるたびにルンルン気分で行っていました」
──2017年U-17W杯後、Jガンバ大阪入りすることが決まった。
「スカウトが養和OBで熱心に誘ってくれた。加えて18年からセレッソ大阪で香川真司、柿谷曜一朗を早くから使ったクルピ監督の就任が決まっていた。ところが半年も経たないうちに解任されてしまい、敬斗は(トップから)U-23に落とされた。まさに天国から地獄でした。でも森下仁志U-23監督に守備強度のなさなど親身になって指導してもらい、19年のYBCルヴァン杯のニューヒーロー賞を獲得。副賞のお菓子を持ってきてくれた。良い思い出です」
「この試合にすべてを懸けます」
──第2次森保ジャパンの第1戦.23年3月のウルグアイ戦で日本代表デビューを果たした。
「それから1年間で4ゴールを決め、今の地位をつかんだ。25年10月のブラジル戦に招待してもらい、娘と2人でメインスタンドで同点ゴールを見ました。彼は心からプレーを楽しんでいた。養和のポリシー<サッカーを楽しむ>を実践してくれて胸が熱くなった」
──3月のイングランド戦でも存在感を示した。
「試合前に『この試合にすべてを懸けます』と連絡があった。フランス2部所属なので試合ごとに活躍しないとW杯メンバーに選ばれない──という危機感が強かったと思います。うまい選手から<戦えてハードワークできる選手に変貌した>ことを痛感しています」
──養和からは中村の4学年上の相馬、1学年下のDF望月ヘンリー(ともに町田)がW杯メンバーの候補選手です。
「(相馬)勇紀が22年カタールW杯代表に滑り込んだ。運を持っている選手です。ヘンリーは日本人離れした身体能力を持っています。養和は昨年50周年を迎えました。私も指導して36年。<心を育てること>に注力してきました。優れた人間性を備えている3人が、大舞台に立つ日が来ることを心から願っています」
(聞き手=元川悦子/サッカージャーナリスト)
▽ 中村敬斗(なかむら・けいと)2000年7月28日生まれ、25歳。千葉・我孫子市出身。小5までJ柏のジュニアでプレー。中学から三菱養和SCに所属。18年にJ・G大阪入り。19年夏にオランダ1部トゥウェンテに移籍。ベルギー1部、オーストリア1部を経て23年8月にフランス1部スタッド・ランス(現2部)に完全移籍。同年に日本代表初招集。24年1月のベトナム戦で54年ぶりの「代表デビューから国際Aマッチ出場6試合6得点」を記録した。
▽生方修司(うぶかた・しゅうじ)1968年10月13日生まれ、57歳。神奈川・横浜市出身。国士舘大卒業後に三菱養和会に入社。ユース監督などを歴任しながらFW永井雄一郎(浦和やカールスルーエなど)FW田中順也(柏やスポルティングなど)、J町田所属の代表FW相馬勇紀、同DF望月ヘンリー海輝らを育てた。
