「デビュー55周年記念公演も、軒並み中止や延期となっていたのですが、7月に浜松で数カ月ぶりにディナーショーをやったんです。『誰かがスタートして、ライブをやっていかなければ』と思ったの。

『コロナを怖がっているだけでは、前に進めない。自分の責任でやっていこう』と覚悟して決断しました。あたしの根本の精神は男だから、決断も速い。男は、決断力と包容力だから(笑)。

 コロナ感染予防対策で、お客様の数をいつもの半分以下にして、食事とショーも完全に別の場所という形式で。数カ月ぶりにステージで歌ってみて、喜んで歌を聴いてくださる皆さんの顔を見ました。『なんて素晴らしい世界で生きてきたのだ』と感じ、歌手という仕事の素晴らしさを再認識しました」

 そう笑顔で語るのは、2020年に歌手生活55周年を迎えた美川憲一(74)。半世紀以上にも及ぶ自身の芸能生活を、冷静なまなざしで振り返る。

「ヒット曲が続いて『紅白』にも出た後に、あたしは薬物事件を起こし、一度はテレビから消えました。それから、またバラエティ番組やCMで復活させていただき、今もこうして歌わせていただいています。それがいつか終わることも、いつも覚悟しています。

 すべてを経験したせいか、何があっても『美川憲一』という存在を、どこか冷静に見てるんです。あたしには、自分で『美川憲一』をプロデュースしている感覚がある。だから歌だけでなく、バラエティ番組でも順応できたのだと思います」

 そんな美川の原動力となったのは、2人の母親の存在だという。

「昔から、あたし自身は、お金や豪邸を建てることに興味はなかったの。ただ、生みの母と育ての母、自分にとっての2人の母親を『幸せにしたい』という気持ちで歌ってきました。

 もちろん、自分に投資して美しさを保ち、ステージでいい服を着て歌い、観客を魅了する。エンタテインメントとして、それはいちばん大切だと思っています。その考えは、淡谷のり子さんから学びました。

 20歳のとき淡谷さんに、『美川君は低音の声がいいから、歌謡曲じゃなくて、いつかシャンソンを歌いなさい。あと、あなたは顔が美しいのだから、美しいままでいなければ駄目。見られる商売なんだから』とアドバイスされたんです。

 それでシャンソンの歌い手、越路吹雪さんを紹介してくださった。淡谷さん・越路さんと、若いころから多くの時間を過ごしていたから、いくら売れてもお金が足りなかった(笑)」

 大御所歌手にして、バラエティ番組などでは、「芸能界のご意見番」という顔も持つ美川。最近の芸能界のさまざまな問題に関しても、自身の経験を踏まえつつ、語ってくれた。

 まずは、2020年初に世間を騒がせた、東出昌大の不倫問題。「イメージが仇になった」と美川は語る。

「東出君の不倫にしても、結局はイメージの問題なの。昔の火野正平さんなんか、演技もイメージも『やんちゃな男』だったから、何人浮気しようと許された。

 東出君は二枚目で善人というイメージで売っていたぶん、なかなか世間にも許されないのだと思います。あたしのように、ふだんからありのままで活動していれば、ここまで叩かれなかったかも……。あたしも何度か路線が変わったし、彼も復活後は路線変更すべきね」

 一方、アンジャッシュ・渡部建の「多目的トイレ不倫」に関しては、「あたしにも実害があったし、そんなに騒がないであげてほしい」と言う。

「彼の場合は普通の不倫でなく、もう病的なほど性欲が強いというか、性癖という感じよね。ただ、トイレに呼ばれて来る女も、どうかしてると思うわ!

 じつは、あたしも渡部君の事件には影響を受けているのよ。あたしが男性トイレで立ちションしてると『美川さんらしくない』と言われてしまうんです(笑)。だからって個室に籠るのもへんだし、女性トイレにも行けない。そこで、多目的トイレを使うことが多かったの。

 でも、渡部君の騒動以来、使いにくくなっちゃった(笑)。彼も多目的トイレを借りて謝罪会見するくらいの覚悟で、復活してほしいわね。そしたら、あたしも世間も許すわよ」

 渡部に笑ってエールを送りつつも、「奥さんを、もっと大切にしなさい!」とのアドバイスも。

 2020年2月、槇原敬之被告が覚醒剤取締法違反などの疑いで逮捕された。逮捕は、1999年に続き2度め。前述のように、美川にも1970年代後半、薬物事件で表舞台から消えた経験がある。

「事件で、どん底までいきました……。芸能レポーターや記者に罵倒され、テレビに出る機会がなくなりました。それでも、『さらし者になってもいい。負けてたまるか』と、執行猶予も明けないうちから、地方の小さな温泉宿などで歌っていたんです」

 そこから復活を遂げた美川だからこそ、薬物事件を起こした芸能人たちの復活を願う思いは強い。

「いまは時代も変わったので、薬物事件から復帰するには、本当に時間がかかる。もし現在、あたしがあの事件を起こしていたら、完全に終わっていたと思います。

 沢尻エリカさんなんて、本当に素晴らしい女優なんだから、どれだけ時間がかかろうが人に何を言われようが、女優としてこの世界に戻ってくるべき人だと思います。まだ若いんだから、引退なんかしなくても、やり直せるわよ!

 槇原敬之さんも、楽曲は大好きだし、同じ歌手として才能豊かな人だと思うから、いつの日か復活してほしい。逮捕で、隠していたプライベートまで明かされるのも芸能人の性。

 でも、先日の裁判で『恋人がいるので幸せ。もう大丈夫』とか言ったでしょ? あれは駄目よ。あくまでも、弱い自分を自分自身で支えなきゃ! また彼氏と別れたら、危ないかもしれないわ」

「長瀬智也さんみたいに、40歳前後って、自分の将来に悩む時期なのよ。『裏方になる』といっても、彼ぐらいの才能や魅力があれば、また表舞台に出てくると思うわ」

 最近、続発する芸能人の独立問題を、美川はそう見ている。

「昔は、『独立すると仕事が減る』というイメージがあったけど、ほとんどが事務所の圧力じゃなくて、テレビ局や映画会社が気を遣って使わなくなるだけなの。本当の実力があれば、事務所に頼らなくても、ちゃんと仕事はあるんだから。

 中居正広さんが、いい例でしょ。独立しても、あれだけテレビに変わらずに出ているのは、彼自身の実力と人柄のおかげだわ。事務所に関係なく、テレビに必要とされてる人なのよ。

 手越祐也さんにしても、事務所を離れたほうが、自由にのびのびと活動できるんじゃないかしら。彼のキャラクターは、ジャニーズ事務所の外のほうが生きるわ。頑張って」

「タピオカ炎上騒動」から引退した木下優樹菜に関しては、「引退まですることはなかった」と言う。

「彼女が結婚した後に青山の路上で偶然会ったんです。子供を2人連れた木下さんは、本当に人懐っこくて屈託ない人。楽屋でも、街中でも、彼女はいつも笑顔で好印象でした。

 ただ、『男好きのする顔ね』と思いました。何か危険な匂いがしたの。『こういう女性と結婚できたフジモン(藤本敏史)は幸せ。でも、気をつけないとやばいわね』と直感したわ。

 炎上や不倫があっても、引退なんてしないで戻ってらっしゃい! いくら叩かれても、あたしみたいに素の自分をさらけ出せばいいの」

 若くして人生を終えた三浦春馬さんと木村花さんについては、こう語る。

「三浦さんには、ガラスのような繊細さを感じていたんです。彼は一見、華やかだけど、孤独だったと思うんです。人間はみな、弱いのよ。三浦さんも、木村さんも、弱くても気持ちを切り替える強ささえあれば、自殺なんて選ばなかったんじゃないかしら」

 彼らの死には、後悔に似た感情があるという。

「もしもだけど、どこかで接点があって、あたしが彼らのそばにいたなら、何かできたんじゃないかと思ってしまうんです。

 一度でも彼らと出会って、『どん底まで落ちて這い上がった自分の生きざまを、伝えてあげることができていたら』と、三浦さんや木村さんのニュースを見て思いました」

 美川自身、常に逆境を力に変えてきた。

「薬物事件後、どん底の時期も『どんな状況でも歌う。いまに見ていろ』と思っていた」

 美川お馴染みの「おだまり!」は、この苦難の時期の産物だ。

「薬物事件後、ステージで歌っていると、歌を聴いていない酔っ払いに、汚ないヤジを飛ばされたことがあったの。そこで、思わず初めてオネエ言葉で、『おだまり!』って怒鳴ったんです。すると、喧嘩にならずに大爆笑が起きたの。『これは商売になる』と、正直に思いました(笑)」

 美川のオネエ言葉は、1980年代後半には、コロッケのものまねにより、お茶の間にも浸透した。これにも秘話がある。

「コロッケがものまねで売れてきたとき、あたしから『あたしのものまねやってよ』と頼んだんです。ものまね番組で『さそり座の女』を歌ってくれて、のちにあたしは『ご本人』として、番組で共演したんです」

 それから、美川は再ブレイクを果たす。1991年には『NHK紅白歌合戦』にも復活、「タンスにゴン」のCMでの「もっと端っこ歩きなさいよ」は流行語に。

「20歳過ぎにデビューしたころ、自分が40歳までは生き残ってないとも思っていたの。おっさんになってまで、歌の仕事なんてないと思ってたから(笑)。

 でも、おかげさまで、今もしぶとく歌ってます。これからも、皆さんに美川憲一という存在を喜んでいただけるなら、どんな形であっても嬉しいです」

 コロナ禍にデビュー55周年を迎えた美川。最後に、嬉しそうに「55年めの初体験」を語った。

「ずっと家にいたから、運動嫌いなのに、1日1時間はトレーニングやストレッチをしていました。じつは、生まれて初めてダンベルを持ったのよ(笑)。体が以前より、かなり柔らかくなり引き締まったけど、腕が細くなっちゃったわ(笑)」

みかわけんいち
1946年5月15日生まれ 長野県出身 1965年に歌手デビュー。数多のヒット曲を持ち、『NHK紅白歌合戦』に26回出場(うち7回は、『さそり座の女』を歌唱)。バラエティ番組では、「元祖ご意見番」としても活躍。2020年、デビュー55周年を迎えた

(週刊FLASH 2020年8月18・25日号)