テキスト系妄想メディア「ワラパッパ (WARAPAPPA )」より

みなさんこんにちは!ワラパッパフレンズの天久です!
今月末、ついにこのノベライズシリーズをまとめた単行本
『ノベライズ・テレビジョン』が発売になります!

全32編のノベライズがぎっちり詰まった妄想短編集。
大ボリュームでお値段1260円で大変お買い得になっております!
いや、我ながらマジで面白い本ができました。
是非、自分で買うか人に買わせるか、いずれかの方法でゲットしてください!



それでは引き続き今回のノベライズ「ごきげんよう」をお楽しみください。




「ごきげんよう」をノベライズする

 賽は、投げられた。
 丸みを帯びた立方体は、壇蜜の両手を離れ、宙に舞った。
 低い放物線を描き、着地した客席前のスペースで、
 六色の側面を見せながら、慣性にまかせた回転をはじめる。
 イメージ通りの放物線に、壇蜜は微かな、安堵の吐息を漏らした。
 気だるく、かと言ってそれが媚態にならず、
 年相応の慎みと分別を感じさせる、サイコロの投げ方……。
 壇蜜にとっては、後のトーク内容よりむしろ、
 そうした立ち振る舞いの方が、重要なのであった。
 三十過ぎという、遅すぎるグラビアデビュー。
 しかしそこに至る辛酸と、海千山千の男性遍歴のなかで、
 壇蜜は妖艶な魅力と、したたかな処世術を身につけていた。
 ブレイク後の荒波も持ち前の知性で乗り切り、壇蜜は次の段階に入った。
 あとはいかに同性の反感をかわし、お茶の間にその認知を定着させるか。
 気を抜けば、漏れ出てしまうフェロモンを抑制し、
 しとやかに放たれたサイコロはまるで、
 壇蜜の行く末を占うように、まばゆい照明のなか、転がり続ける……。

 なぎら健壱は薄いサングラス越しに、壇蜜の横顔を盗み見た。
 テレビカメラの手前、ほんの数秒は転がるサイコロを見つめていたが、
 宿酔いのなぎらにとって、それは吐き気をもよおす拷問に過ぎなかった。
 それよりも、最近巷で話題だという「エッチなお姉さん」を見てみたい。
 収録中にも関わらず、好奇心のおもむくままに、
 魂胆の透けた視線を、ドレスのスリットにはしらせる。
 しかしなぎらは、そんな自分が嫌いではない。
 開き直り、とはまた違う。
 それは異色のフォークシンガーとして、世間体などどこ吹く風と、
 自由気ままに生きてきた、いわばなぎらの「流儀」であった。
 馬鹿だねえ、オイラも……。
 気がつけば、半ばそれが使命でもあるかのように、
 壇蜜の胸もとを食い入るように見つける、己に気づいて、
 なぎらは胸の裡で、独りごちた。
 ライク・ア・ローリングストーン、転がる石のごとく……。
 自身の生きざまと重ね合わせるように、
 なぎらは転がるサイコロに、視線をもどした。

 サイコロの回転は次第に弱まり、熱い衆目のなか思わせぶりに、
 側面に書かれたトークテーマを見せつける。
 北斗晶はその双眸に渾身の力を込めて、めくるめく賽の目を見据えている。
 北斗の願いはただひとつ、賽の目が「当たり」に止まることだった。
 サイコロの六面にはひとつだけ、「当」のひと文字が記されている。
 そこに止まると客席と視聴者の中から抽選で、
 スポンサーからの素敵なプレゼントが贈られるのだ。
 そりゃ、アタイの投げたサイコロじゃないよ?
 でもどうせなら、当たって欲しいじゃないか!
 そうすりゃお客さんだって喜ぶし、なんとなく目出度いじゃないか!
 それが北斗の、偽らざる心情であった。
 元人気女子プロレスラーとして、会場を沸かせ、
 引退後は夫、佐々木健介を盛り立てながら、
 自分自身も「鬼嫁キャラ」で、お茶の間の人気者となった。
 生来の竹を割ったような性格と、女だてらの不屈の精神が、
 北斗晶の人生を切り拓いていったのだ。
 そんな彼女の曇りなき眼に、邪心はなかった。

 止まりかけたサイコロが、寝返るように側面を変え、
 またその反動があらぬ方向へ、サイコロを傾かせる。
 その動きに客席と一体となって、一喜一憂する自分自身を、
 小堺一機は遠い場所から見ていた。
 ごきげんようにサイコロトークが導入され、もう二十年以上、
 小堺は転がるサイコロを見続けてきた。
 トークの話題を完全なる運にゆだねるという、斬新な企画は、
 瞬く間に世間に認知され、当時は合コン、宴会の定番とさえなった。
 しかしその熱もやがて冷め、いまはおなじみの日常風景として、
 昼過ぎのテレビ画面のなかを、転がり続けている。
 一時は染みついたイメージを払拭するため、降板を申し出たこともあった。
 サイコロが見るのもいやで、角砂糖さえ怖れることもあった。
 しかし、いまでは達観している。
 いや、むしろサイコロと共に歩んだ人生に、小堺は感謝している。
 万物は流転する。
 たとい賽の目は六つに限られていても、
 そこから生まれるトークに、同じものは、ふたつとない。
 ゆくゲストの流れは絶えずして、しかももとの人にあらず。
 淀みに浮かぶ芸能人は、かつ消え、かつ現れ、久しくとどまる例しなし。  
 私だけが川のほとりに立って、その流れを見つめている。
 浮き世の流れから、諸行無常の芸能界から、遠くはなれて、
 確率論の宇宙から、この世界を見下ろしている。
 では、そんな私はいったいに何者であろうか?
 小堺の脳裡に、かのアルベルト・アインシュタインの言葉が浮かんだ。
 神はサイコロを振らない。
 たしかに私だけが、サイコロを振らない。
 では私は、神なのだろうか?
 いや、そんなはずはない。
 私が神の、はずがない。
 会場の観客が、カメラの向こうの視聴者が、神さまなのだ。
 私はただ、神と芸能界をつなぐ、仲介者に過ぎない。
 父なる神と、子なるイエスと、それをつなぐ聖霊が、三位一体を成すように、
 お客さまと、ゲストと、私によって、この世界は完結するのだ!
 

 壇蜜が、なぎら健壱が、北斗晶が、
 それぞれの想いを胸に、揺れるサイコロを見つめている。
 立方体が大きく傾くたびに、客席の歓声はいち段と高鳴る。
 天使の翼がもった小堺が、いま、自身の肉体に降り立った。
 揺れるサイコロの、動きが、止まった。




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