ピンク色の髪が印象的な朝倉かすみさん

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 時代小説「けんぐゎい」で第175回直木賞を受賞した朝倉かすみさん(65)。北海道の小樽市出身で現在は札幌市在住、3度目のノミネートでの受賞となった。女性では最年長となる直木賞受賞だった。会見で「デビューが43歳だったので、老婆作家になりたかった」とのコメントも印象的だったが、ピンク色に染めた髪に驚いた人も少なくないのでは。まだ彼女の作品を読んだことのない人に、メディア文化評論家で「週刊新潮」の書評欄「Bookwormの読書万巻」の執筆も受け持つ“本読み屋”の碓井広義氏が、朝倉かすみワールドを案内する。

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 第175回直木賞に朝倉かすみさんの『けんぐゎい』(光文社)が選ばれました。「ついに直木賞なんですねえ」と感慨深いものがあります。

ピンク色の髪が印象的な朝倉かすみさん

 今回は朝倉かすみワールドの“原点”とも言うべき作品たちを紹介したいと思います。

「朝倉かすみ」という作家の名前を知ったのは2003年のことでした。もう23年も前になります。私はその前年から北海道にある大学に単身赴任していました。住民票も移して、ちゃんと道民になりました。

 クルマも雪対策で4WDにしたし、新聞も多くの道民と同じく「道新(北海道新聞)」を取りはじめました。

 そして03年、道新で「朝倉かすみ」の名を目にします。小説「コマドリさんのこと」で第37回「北海道新聞文学賞」を受賞したというのです。小樽市在住の女性とのことでした。

小説現代新人賞『肝、焼ける』

 その「コマドリさんのこと」をちゃんと読めたのは2005年11月。第72回「小説現代新人賞」を受賞した表題作を含む初作品集『肝、焼ける』(講談社)が刊行されたのです。

 表題作「肝、焼ける」の主人公“わたし”は、年下の男と遠距離恋愛中の31歳の独身女性。相手の自分への気持ちがつかめない。そんな「肝、焼ける(じれったい)」状態から脱したくなって、男が住む北の町へとやってきた。会うまでの微妙な時間を過ごす銭湯や寿司屋。これまでの仕事や恋愛の回想が、ほろ苦くも愛しい。そして、ついに男と向き合う瞬間が近づいてくる。

 朝倉さんの文体の特長は、短いセンテンスの連打にあります。観察と表現に齟齬と遅延がなく、リズムが心地よい。また、ヒロインの眼から見た若い男女、中高年の男女がリアルでユーモラスです。

 収録作の全5編に共通するのは、30代女性の日常と本音をすくい上げる力の確かさです。新人とはいえ、すでに自分の「ポジション」を持っているのです。

 先述の「コマドリさんのこと」では、小さな田舎町の小さな事務所で働く独身女性の心の軌跡が優しく描かれます。「一番下の妹」は、同僚である40代の独身女性たちの恋や不倫を眺めながら自身も揺れている若い女性がヒロイン。いずれも30代女性の“普通の生活”が非凡に描かれています。

「コマドリさんのこと」もよかったですが、「肝、焼ける」はさらに上手い!と思いました。新人とは思えない独自の小説世界を巧みに構築していたのです。こういう嬉しい“出会い”があるから「本読み屋」はやめられない。

吉川英治文学新人賞『田村はまだか』

 次々と出てくる新刊を読んでいると、ついこの間、読んだ本のことさえ忘れてしまいそうになります。

『田村はまだか』(光文社)は2008年の2月に出た本。6年におよんだ北海道の大学への単身赴任が終りを迎え、ちょうど東京の大学に移る直前でした。ずいぶん懐かしい。でも、この小説のことはよく覚えています。とてもよかったからです。

 読了後、家族にも薦めたので、全員が回し読みしたほどです。実は、朝倉さんの小説の中で今でも一番好きなのは、この『田村はまだか』です。

 深夜、路地の奥にある小さなスナックに5人の男女が集まっている。小学校の同級生で、皆40歳。クラス会の3次会だった。そして彼らは田村を待っている。店に向かっているはずだが、現れない。ふと誰かが口にする。「田村はまだか」と。

 田村は小学校時代から不思議な男だった。父親はいない。男出入りの激しい母親と2人暮らし。年中ジャージを着て、頭は虎刈り。だが、勉強はできたし、走るのも速い。とはいえ田村が皆から一目置かれていたのは、1人だけどこか大人の風格があったから。「孤高の小6」だった。

 実に巧妙な小説です。そこにはいない田村のことを各人が想い、それと同時に「忘れられない人」「自分に影響を与えた人」のことを振り返る。それは会社の先輩だったり、年下の恋人だったり。変わらないのは「その人がいなければ今の自分はない」と思えるような人物であること。

 深夜のスナック、昨日と今日との境目で、彼らの過去と現在とが交錯していく。それにしても、田村は一体どうしたのか……。

 朝倉さんの作品の特徴である小気味いい短文の連なりと、深い情感をさりげない言葉に託す表現に、益々磨きがかかっていきます。

女たちの化学反応『感応連鎖』

『田村はまだか』で第30回「吉川英治文学新人賞」を受賞した後の2010年に出た長編小説が『感応連鎖』(講談社)でした。例によって、男からは窺い知れない女たちの内なる葛藤のドラマが描かれます。

 登場するのは4人の女性――。節子は子ども時代からの肥満体。顔も大きい。周囲に自分を「異形」と認識させることで、いじめから逃れてきた。絵理香は他人の気持ちを読んで操るのが得意。美少女の由季子はその外見ゆえに自意識過剰気味だった。そして4人目が、彼女たちの担任教師・秋澤の妻である。

 ごく普通の男であるはずの秋澤を触媒に4人の女たちの心が化学反応を起こす。1人の行動が玉突きのように他者へと影響を与えていくのだ。まさに感応連鎖。

 自らの人生における主人公は自分だ。そんなヒロイン同士は、互いの眼にどう映っているのか。どう思われているのか。何気ない日常が女たちの戦場と化す。

不思議な味わい『幸福な日々があります』

 さらに、なんとも不思議な味わいの長編小説が、2012年に刊行された『幸福な日々があります』(集英社)です。

 ここにはヒロインである「わたし」が2人いる。結婚したばかりの幸福な時代の「わたし」と、夫と別れようとしている10年後の「わたし」が交互に登場するのだ。

 森子は46歳の専業主婦。3つ年上の夫は大学教授だ。見た目も穏やかな性格も森子を大事にする気持ちにも文句はないはずだった。しかし、森子は突然宣言してしまう。親友としてはすごく好きだが、「夫としてはたぶんもう好きじゃないんだよね」と。離婚に応じようとしない夫を家に残し、ひとり暮しを始める。

 10年前に結婚した時も言い出したのは森子のほうだ。どこか安心したかったからだが、望み通りの生活に入ってからも時々心が揺れた。たとえば、夫は何でも習慣化する。森子は単純作業は好きだが、習慣は苦手だ。「しなければならない」という雰囲気、ルールめいた感じが窮屈なのだ。他人には贅沢と思われそうだが、森子は誰にも言わなかった。

 物語は10年を行ったり来たりしながらゆっくりと進んでいく。連載時のタイトルは「十年日記」で、心の動きがまさしく詳細に書き込まれている。人はなぜ人を好きになり、なぜそうではなくなっていくのか。夫婦の深層にじわりと迫っていく佳作です。

 最後に2010年に発表された『ぜんぜんたいへんじゃないです。』(朝日新聞出版)は、朝倉さんの初エッセイ集。

 当時50歳だった“新人”作家の日常は、恋愛や冒険や蘊蓄に溢れているわけではない。それなのに、独自の“おかしみ”につい引き込まれてしまう。中でも母親をめぐる「京子レジェンド」は必読です。

 というわけで、朝倉さん、直木賞受賞、おめでとうございます!

碓井広義(うすい・ひろよし)
メディア文化評論家。1955年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。テレビマンユニオン・プロデューサー、上智大学文学部新聞学科教授などを経て現職。新聞等でドラマ批評を連載中。著書に倉本聰との共著『脚本力』(幻冬舎新書)、編著『少しぐらいの嘘は大目に――向田邦子の言葉』(新潮文庫)など。

デイリー新潮編集部