巨大な機体が分断されるほどの衝撃だった

写真拡大

語り継がれる「スー・シティの奇跡」

 乗客285人、乗員11人を乗せたDC-10型機は緊急着陸を試みたが、右翼先端が地面に引っかかりそのまま激突炎上。火だるまになり猛スピードで転がっていく――。1989年7月19日、米国アイオワ州スー・シティのスー・ゲートウェイ空港では、まさかの光景が繰り広げられた。

【写真】8月には日本でも忘れられない大事故が

 この壮絶な事故を起こしたのは米ユナイテッド航空の232便。コロラド州デンバーの国際空港を離陸したが、第2エンジンの爆発により制御困難の状態に陥った。一方、緊急着陸先のスー・ゲートウェイ空港は毎日の離着陸が20便ほどで、周囲はトウモロコシ畑というのどかな地方空港。232便の対応には約半年前に実施した訓練が大いに生かされたという。

巨大な機体が分断されるほどの衝撃だった

 232便は冒頭の状況に陥ったことで滑走路を外れ、トウモロコシ畑で止まった。「全員絶望」の文字が思い浮かぶほどの不時着だったが、死者数は112人。コックピットクルーと非番で搭乗していた別の機長の連携により、搭乗者数の半分以下という数字に留まったのだ。

「スー・シティの奇跡」とも呼ばれるこの事故は、生存者の証言によるドキュメンタリーが多く制作されている。コックピット内での難しい決断や操縦を描いたものも有名だが、今回は「週刊新潮」のバックナンバーから、乗客たちの体験談をお伝えしよう。火だるまになった機内の中で彼らが見たものとは――。

(全2回の第1回:以下、「週刊新潮」1989年8月3日号掲載記事を再編集しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです)

 ***

大きな爆発音と共に機体が下降

 ケーブルテレビの会社で不動産ブローカーをしているチャールズ・マーツ氏(58)は、車で空港に向かった。いつもと違うことは何もなかった。悪い予感もない。いつも通り、ちょっとスピードオーバー気味に高速道路を飛ばし、空港の駐車場に車を入れターミナルでチケットを買う。イリノイ州シカゴ行きのユナイテッド航空232便。座席はエコノミークラスの27列目だった。

「搭乗手続きの際、“ファーストクラスにしてほしい”と頼んだんですよ。ところが満席だと言われてしまいました」

 と、マーツ氏は語る。これが結果的に生死の分かれ目だったことを、その時は知る由もなかった。ファーストクラスが空いていたら、あるいはエコノミークラスでも30列以降の座席だったら……。ともかく、232便は定刻より8分遅れ、午後0時53分に離陸した。

 天気は快晴。上昇を続ける232便は、まもなく水平飛行に移り、すぐに昼食が始まった。異変が起きたのは、午後3時を過ぎてからだった。

「最初は静かなフライトで、私も新聞を読んだりしていたんです。ところが、大きな爆発音と共に機体が下降を始めました。一瞬、何ごとかと思って身を硬くしましたよ」

 と、税金検査官のロバート・マンツ氏(40)は言う。

「その直後に、パイロットが機内アナウンスで“第2エンジンを失ったので、シカゴへの到着が遅れます”と知らせてくれました。その後は、ガタンと傾いては元に戻る、その繰り返しでしたね。傾く方向は常に右なんですよ。しかし、すぐに体勢を立て直して水平に戻りましたから、恐怖感を覚えるほどではなかったんですが……」

乗客はいたって平静だった

 232便は時折、横すべりをしたり、スリップするような感じで飛んでいた。少し気流の悪いところを通過する時のような揺れ具合で、「機体のコントロールがうまくできない訓練生が操縦しているかのようだった」と評した乗客もいる。

 実際、第2エンジンで爆発が起きた直後、アル・ヘインズ機長は管制塔と次のような会話をかわしている。

「機首をコントロールすることが、ほとんどできない。左に曲がれず、大きく右に曲がるしかないんだ」

 制御不能の状態になってしまったわけだ。これは1985年8月の日航機123便墜落事故と同じだが、232便は機首が上下左右に8の字を描くダッチロールに陥らず、機内もパニック状態にならなかったという。

「爆発音がして、高度がぐーっと下がった感じがした時は、おそらく乗客全員がハッとしたと思います。けれど、それ以降も乗客はいたって平静で、恐怖でパニック状態になったということはありません。客室乗務員にも浮き足立った感じは全然ありませんでしたよ。我々をリラックスさせようとしてか、イヤホンが配られ、短編映画が上映されました。上映されたのは、喜劇映画の『ケンタッキー・ダービー』でした」(獣医のロン・ローディ氏・39)

 シートベルト着用のサインも点灯せず、立ってトイレに行くこともできたという。本を読み続けた人や、菓子を食べ始めた人もいた。

「ラフ・ランディング」の予告

 こうしたリラックスムードが変わりだしたのは、最初の異変があってから約15分後。「やむをえず緊急着陸いたします。みなさん、冷静にしてください」というアナウンスがあってからのことだった。

 石油会社に勤務するトーマス・エングラー氏のように、

「私は、ベトナムで従軍したことがあるから、緊急着陸も何回か経験したことがあるんだ。機内にいる間、“この飛行機の状態からすれば、クラッシュ(墜落)することはないだろう”と踏んでいたよ。だから、そんなに怖いとは思わなかったね」

 という“猛者”はともかく、一般乗客が次第に不安感を高めたのも無理はなかった。クレジット・マネジャーのトム・ポストゥル氏(45)は、こう語る。

「緊急着陸のアナウンスに続いて、パイロットが“ラフ・ランディング(荒っぽい着陸)になるかもしれません”と言うんです。“これは車輪がうまく出ないということなのかもしれない”と少し緊張していたら、“ラフ・ランディング以上になる可能性もある”とアナウンスがあった。

 これは、着陸の4、5分前のことで、客室乗務員が客室の方へ来て、安全姿勢の取り方などを直接に指示し始めました。両膝の間に頭をはさんで前屈姿勢を取れ、というものです。赤ん坊は親の足の内側に入れて、体を守ってやるように、ということでしたが、“あんなことで赤ん坊を守れるのだろうか”と思いましたよ」

 ***

「心の中で妻に“さようなら”と言いました」――。第2回【大破した機体の外に「放り出された乗客の死体が散乱」…伝説の「UA232便不時着事故」で生存者が見た「戦場さながらの光景」】では、不時着の瞬間の機内や、生存者が見た凄惨な情景について伝える。

デイリー新潮編集部