「ウーマン・リブのカリスマ」田中美津が未婚の母になり鍼灸師になった背景
1970年代のウーマン・リブを牽引した伝説の女性であり、上野千鶴子さんをして「フェミニズムの原点。時代をあらわす固有名詞」と言わしめた田中美津さん。映像作家の吉峯美和さんは、2019年、その田中美津さんに4年間密着したドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』を完成させた。
多くの話題を呼んだこの作品が、2024年8月7日に天国に旅立った田中さんの三回忌を前に、2026年7月17日から23日までアップリンク吉祥寺にて再上映されることとなった。2019年の初回上映に合わせ、吉峯さんが田中さんのどんなところに惹かれたのかを綴ってもらった記事の再編集にてお届けしている。
その第1回は、70年代を席巻した田中さんに、当時3歳だった吉峯さんが惹かれ、密着をした理由について、吉峯さんにつづってもらった。
吉峯さんは、密着するにつれ、ウーマン・リブのカリスマである田中さんの「闘う女」とかけ離れた「女性としての生の顔」に触れていったという。吉峯さんが見た母であり、職業人である「カリスマ」の素顔とは何か。
ウーマン・リブは子どもを産まない?
1970年代、日本の女性たちに大きな影響を与え、社会現象にまでなったウーマン・リブ運動。その伝説的なリーダーと聞いて、どんな女性を思い浮かべるだろうか。
私は強くて、厳しくて、下手なことを言うと怒られるんじゃないかとさえ思っていた。しかし、実際の田中美津さんは全く違って……小柄で、飄々として、おおらかな笑顔。ウーマン・リブを全く知らない世代の私は、4年前彼女の人柄とその言葉の力に魅了されて、初めての自主映画を撮り始めた。
公開まで1ヵ月、このところの試写などで改めて驚かされたのは、「田中美津」に貼りついてとれない「女性解放のカリスマ」というイメージだ。当時を知る男性は特に、「田中美津=闘う女」として尊敬していたと言い、この映画がそれとは別の、悩んだり迷ったりもする一人の女性であり母親である「田中美津」を描いていることに戸惑うようだ。
映画完成を盛り上げるトーク・イベントに快く協力してくれた、美津さんの旧知の男性たち、田原総一朗さんや原一男監督も、「え!!田中さんに子どもがいたの?結婚はしてない?誰が育てたの?一人で!!すごいね…」というふうなリアクションである。どうやら、ウーマン・リブは結婚もしなければ、子どももいない、女の幸せと言われるものに背を向けて、生涯かけて闘いに生きている女というイメージ(というかそうあってほしい願望)が強くあるらしい。そんなわけないでしょ!
メキシコで未婚の母になり、鍼灸師の道へ
強い女のイメージが貼りついてしまっている美津さんだが、実は生まれつき虚弱な体質だ。
リブ運動半ばにして異国へ逃れたのも、このまま突っ走り続けると大病になるおそれがあったからだと言う。1975年の国際婦人年、初の世界女性会議がきっかけで訪れたメキシコ、美津さんは現地の男性と恋に落ち、妊娠出産した。しかし美津さん曰く、「私以上に自分中心の男は、恋人にはいいが夫には向いていなかった。結婚はせずに帰国、生活に必要なお金を得ようと、鍼灸師の資格をとった」。
自分の体をよくしながら、一人で子どもを育てていくために、鍼灸師という仕事を選んだのだ。鍼灸学校に通うため、生活保護を受給した時期もあると言う。まさにシングル・マザー奮闘記である。
以来、76歳になった今も現役の鍼灸師として治療を続けている。ウーマン・リブ時代の田中さんは1対多数の関わりで、その卓抜した言葉によって女たちを魅きつけた。しかし鍼灸師になってからは、一人に3〜4時間かけて、患者と1対1で向き合う。常に鍼から手を放さず、患者のツボやコリを突いて、邪気をとっているのだと美津さんは言う。鍼を通じて、自らの生命エネルギーを注いているそうだ。
だから相当な刺激があるらしく、患者は最初のうち「イタタ……」と声を上げている。美津さんは目を閉じて、全身全霊で鍼をうち続けていく。その様子は、まるで静かな格闘技のように見えた。やがて気が整ったのか、患者の呼吸が深くなっていく。治療後、パワーを使い果たした美津さんは抜け殻のようになって倒れてしまいそうだ。
そこには、長年通い続けて体がよくなっていくことで、心も自然と軽くなり、前向きに“私”を生きるように変わった女性たちの表情があった。
「“心・技・体”は間違い、“体・心・技”で幸せになろう、絶対になれるよ……私の中にその人の居場所があるし、その人の中にも私の居場所がある」
運動によって社会全体を変えることはできなかったけれど、一人の人間の体と真剣に向き合うことで、この人を変えることはできる。そう美津さんは確信しているのではないだろうか。
「お前のままでいいよ」 子どもの存在を全面肯定する難しさ
メキシコで生まれた一人息子のらもんさんが、もう40代になった。彼は以前、携帯のアプリなどを開発する会社に勤めていたが、退社して一念発起、3年間鍼灸学校に通い、鍼灸師の資格をとった。撮影を始めた2016年はちょうど、母の鍼の腕を尊敬しつつも、それを受け継ぐ難しさも分かっていて、今後どうしようか迷っているタイミングだった。
ごく普通の親子と同じように、食卓で将来のことについて言い合いになる二人。
私はずっと、ウーマン・リブの伝説的リーダーの偉人伝のような映画にはしたくないと思っていたこともあり、結果的にこの母子の葛藤が、作品の大きな軸の一つになっていく。
美津さんは、東京の駒込片町(今の本郷界隈)に生まれ育った。お彼岸で両親の墓参りにいくのに同行撮影した時、「私は親に恵まれた。周りからどう見られようと、常に“お前のままでいいよ”とのびやかに育てて、やりたいことをやらせてくれた家だった。私がリブを起こせたのも、たぶん親に頭を押さえつけられたことがないから。ほんとうに怖いもの知らずだった」という話を聞いた。
しかし、その美津さんでさえ長い間、知らず知らずのうちに子どもに期待してしまうことはやめられなかった。息子に対して心から、「たとえ鍼灸師にならなくても、結婚をしなくても、お前のままでいいよ。いま生きてるだけで有難いんだから」という境地にようやく到ったと語るのは、この映画のラストである。
私を生き抜いた果てに、他者を受け入れること
私自身には子供がいない。フリーランスの映像ディレクターという激務と不安定さもあって、人生に全く余裕がなかったというのが大きな理由である。だから仕事による自己実現はしてきたけれど、全面的に他者を受け入れるという経験をしたことがない。
今回、「田中美津」という一人の女性の生き様を通して、ありのままの“私”を生き抜くことの孤独と幸せを見つめてきた。その美津さんが、自分以外で最も大切な存在である家族を、一個の他者として本当に受け入れようとする姿を目の当たりにして、素直にうらやましいと感じた。「もしかしたら、これを名づければ“愛”っていうのかも知れないわね……」。世の親の中で、この境地にまでなれる人はそう多くないと思う。
私の母は美津さんより8つ年上、ウーマン・リブが起きた時、子育ての真っ最中だった。30歳まで仕事を頑張っていたが、恋愛結婚で退職。サラリーマンの夫は高度経済成長期のいわゆるモーレツ社員で夜中にしか帰宅せず、たった一人での慣れない子育てにイラつく毎日、子どもにしつけという名の暴力をふるうことも少なくなかった。
「自分勝手な夫と、言うことをきかない娘にふり回されて……私の人生はこんなはずじゃなかった」と嘆いていたのだろうと、今は彼女を理解できる。しかし、私が子どもを持たなかったのは、母の呪詛を受けたのが一因とも思う。「長女にはいい大学に入って、いい会社でやりがいのある仕事に就いてほしい」。母ができなかったことを無意識のうちに期待されていたのだろう。
「女が、女として生きてないのに、妻として、母として生きられるか。女らしく生きるより、私を生きたい!」と決起したウーマン・リブ。今は亡き母にも、田中美津の言葉を届けたかった……。
初めての映画製作は、私自身をも深く見つめ直す、修業のような日々となっていく。
