FIFAにも介入した?トランプ大統領

写真拡大

 トランプ大統領のW杯への介入と、それを受け入れたように見えるFIFAの異例の対応。両者の“一線を越えた”蜜月ぶりが世界中で厳しく糾弾されている。

 決勝トーナメント1回戦でアメリカはボスニア・ヘルツェゴビナに2対0で勝利し、ベスト16に進んだ。しかしその試合の後半19分、先制点を決めたエース・ストライカーのフォラリン・バログンがレッド・カードを受けて一発退場。次のベルギー戦に出場できないことになった。【小林信也(作家・スポーツライター)】

【写真を見る】“執行猶予”で物議を醸したアメリカ代表のエースストライカー・バグロン選手の姿

不変の掟のはずが

 世界中の誰もが、バログン欠場を当然の事実と受け止めた。ところが、敢然と撤回を求めた人物がいた。トランプ大統領である。そしてFIFAは、その抗議・要請に呼応したかどうかは不明だが、バログンの出場停止処分を「1年間猶予する」という特例措置を発表した。つまり、バログンはベルギー戦に出場できることになった。そして実際、先発出場をしたのだ――。

FIFAにも介入した?トランプ大統領

 なぜそんな特別措置が可能だったのか?

 第一報を聞いて、世界中のほぼすべてのサッカー・ファンが「なぜ、そんな特別措置が可能なのか?」と耳を疑っただろう。

「レッド・カードを受けたら次の試合は出場停止」。この罰則は誰もが知っている絶対不変の掟だと信じられているからだ。

 ただ、ヨーロッパのファンの一部は、「またあれか?」と思い当たったかもしれない。実は昨年11月、今大会の欧州予選でポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドがひじ打ちをして退場処分を受け、当初は3試合の出場停止が科せられた。が、後に21試合の処分を猶予されたことでW杯本戦の初戦から出場が可能になった“悪しき前例”があるにはある。

疑惑の「27条規定」

 それにしても、W杯本戦での“執行猶予”はもちろん初めてのこと。どうしてこんな超法規的な横暴を世界サッカーの総本山であるFIFAが自ら遂行できるのか? ルールを決める張本人がルール破りをするようなものではないか。

 調べてみると、抜け道とも言えるルールがFIFAに存在した。FIFA懲戒規定第27条だ。そこには、『FIFAの司法機関が科した出場停止などの懲戒処分について、その全部または一部の執行を一定期間「猶予(停止)」できる』と定めてある。これを適用したというわけだ。

 なぜ今回、バログンに対してその温情が適用されたのか。理由についてFIFAは一切説明していない。それが、トランプ大統領の関与とFIFAインファンティーノ会長の指示を周囲が訝しがる要因にもなっている。しかも、報道各紙の調べによれば、27条規定は、インファンティーノ会長の就任前には存在しなかった。また、27条規定には、いつ、どんな条件を満たせば猶予が適用されるかは明記されていない。

トランプ大統領が競技に介入し、FIFAもこれを受容した?

 トランプ大統領は、インファンティーノ会長に抗議の電話をしたことを公然と語っている。インファンティーノ会長も電話での会話を認めた。政治家ましてや大統領がそのような介入をすべきでないという正論はトランプ大統領には通じない。バログンの出場が叶ったことをまるで自分の手柄であるかのようにトランプ大統領は誇らしげに語っている。

 まさに、政治のスポーツへの介入。スポーツ界、スポーツを愛する者たちが大切に守り続けてきた倫理観もスポーツマンシップもトランプ大統領の中には存在しないのだろう。いや、トランプ大統領の強硬な姿勢は、「バログンに対する判定そのものが間違いであり、それゆえ出場停止も本来は存在しない」という固い信念に基づいている。それはトランプ大統領なりのスポーツの公正さに貫かれているのだろう。

 大半のスポーツ選手やファンは、判定の誤り、様々な理不尽に胸をかきむしった経験を持っている。時にはそんな誤審や理不尽を受け入れなければならないのがスポーツの現実だとわきまえ、それに従うことでスポーツは成り立ってきた。

 しかし、そんな理不尽は認めない、間違いは間違いだと強硬に主張するトランプ大統領は、ある意味で、スポーツの悪しき風習を打破する改革者と言えるのかもしれない。

リーダーシップを発揮しないインファンティーノ会長

 一方、インファンティーノ会長は、「開催国の大統領と電話で話してはいけないのか」と開き直っている。「自分は指示していない。FIFAの独立した機関の判断だ」と会長自身の指示や関与を否定している。

 この対称は興味深い。トランプ大統領は強烈なリーダーシップをアピールし、インファンティーノ会長はリーダーの関与を否定することで問題の鎮静化を図っている。大会前、イラン代表選手団の15名がアメリカから入国を拒否された時も、インファンティーノ会長に援助を求めたイラン選手団の要望を受けてアメリカ政府と交渉するなどの努力をしなかった。

 水面下では、強力なリーダーシップを発揮し、FIFAの収入を2026年には約90億ドル(約1兆4600億円)にまで上昇させ、自らの報酬も就任後の約8年で初任給128万ユーロから527万ユーロと4倍以上に増額させた剛腕が、厳しい局面になると矢面に立たない。

 私はインファンティーノ会長が本来すべきことは、トランプの機嫌取りでなく、「FIFAの独立した機関の判断だ」とうそぶくことでもなく、「判断した独立機関に会長として再考を指示した。そうでなければ、世界のファンの理解を得られない。これはスポーツの公平さを脅かす危険な決定だ」と言ってほしかった。

巨額ビジネスに舵を切ったFIFAの思惑

 それにしてもなぜ、インファンティーノ会長はことごとく、トランプ大統領との蜜月ぶりを感じさせる行動ばかりを重ねるのか。

 それは今回のW杯が、経済優先に舵を切ったインファンティーノ体制のFIFAにとって重要なジャンプアップの大会と認識しているからではないだろうか。

 トランプタワーに事務所を構えるほどにFIFAとトランプ大統領の距離は近い。トランプ大統領とFIFAは、巨額ビジネスにおける強力なビジネス・パートナーの関係を結んでいると理解した方がよさそうだ。

 多くの人が案外忘れがちだが、いまでもヨーロッパとアメリカのスポーツ文化には大きな違いがある。テニスやゴルフはどちらでも盛んで、世界統一は進んでいるが、それぞれの国を訪ねた時、多くの人は新聞のスポーツ面の構成があまりにも違うので驚かされただろう。

 アメリカの新聞では、当然のようにNFLや大学のアメフト、NBAや大学のバスケット、野球のMLBの野球などに紙面を大きく割いている。一方、ヨーロッパに行けば、サッカー、自転車ロードレース、クリケット、ポロ、ボートレースなどが紙面を賑わせている。

 さらに、スポーツとビジネスの関係や歴史もそれぞれ別の経緯をたどっている。端的に言うと、サッカー・ビジネスとアメリカのスポーツ・ビジネスには様々な習慣や常識の違いがあった。今回の北中米大会、アメリカでの開催はFIFAの増収、無限大の収益化を目指すインファンティーノ会長にとっては願ってもない好機。そのひとつがサッカー・ビジネスへのアメリカン・スポーツ・ビジネスの導入ではなかったか。

 48カ国に拡大し、試合数が増えた。当然、入場料収入も放映権料も増える。ヨーロッパ・サッカーではまだ普及が進んでいないがアメリカのプロスポーツ界では浸透している「ダイナミック・プライシング」も導入した。その結果、人気の試合の入場料は高騰した。従来なら、上昇したプレミア分はダフ屋の利益だったが、公然とダイナミック・プライシングを導入することで、FIFAがダフ屋の取り分をせしめるような仕組みが正当化された。

 前後半に3分ずつの給水タイムが導入されたのも、テレビのスポンサー対応とも言われる。競技の骨格さえ変える、それはアメリカのプロスポーツ界が長年にわたってファンに植え付けてきた習慣だ。

 決勝戦では大会史上初めてハーフタイムショーが実施される。NFLスーパーボウルのハーフタイムショーに慣れているアメリカ市民にとってそれは別に違和感のある催しではない。ヨーロッパの熱心なサッカー・ファンはどうだろう? ショー自体に抵抗はないかもしれないが、豪華ゲストの出演で「ルールに規定された15分のハーフタイムが25分程度に延びる可能性」が示唆されている。ここでも平気で「お金のため」「娯楽性の付加のため」競技に手を突っ込んでいるのだ。スポーツは商売に支配され、冒涜されている。これでいいのか? という叫びは、華やかな大会の演出、数々の感動シーン、満員のスタジアムの熱狂の渦に飲み込まれて届かないだろう。

庶民の熱狂は警戒すべき現象だが、商売人は熱狂が大好き

 私は、熱狂の怖さを主張し続けている。スポーツが巨大ビジネスになりうるのは、観客や視聴者の感動と熱狂があるからだ。熱狂の対極には激怒、憎悪も生まれる。つまり、感情の激しい対立構造によって、巨大スポーツ・ビジネスは成立し、繁栄の度合いを増す。それが果たして世界の平和や民間交流に寄与するだろうか?

 スポーツを成立させる唯一絶対の基準が「ルール」だ。スポーツはルールで出来ていると言ってもいい。加えて言えば、ルールに明記されないマナーもあって、明文化されていないマナーでさえも重要な了解事項である場合も少なくない。

 ビジネス(商業主義)は、そのルールとマナーを浸食する。今回のW杯北中米大会はスポーツの一貫性、公平性が崩れた歴史的な大会となった。これがどう進むかを推測すると、ルール自体が撤廃・変更される可能性の方を強く感じる。つまり、「中心選手が一発退場によって次の試合に出られないなんて、そんな商業的にマイナスなルールはやめるべきだ」と。

 昨年、MLBのコミッショナーが「特別な代打ルールの採用」を提案し、物議を醸した。9回2死の場面で、8番打者が打つより、1番打者の大谷翔平が特別代打となって打席に立つ方が盛り上がる、観客は喜ぶだろう」という、野球人の風上にも置けないような発言をMLBのトップが誇らしげにする時代。「面白い方がいい」「儲かる方がいい」を基準にすれば、これまでのルール制定基準には次々に疑問符がつくだろう。

 スポーツ界はこれにどう対応するのか。スポーツに関わるスポンサー、メディア、広告代理店ら、そしてこれに同調する政治家たちの思惑が一致すれば、スポーツはどんどん変質し、暴走する。彼らには、善悪とかスポーツの伝統的な倫理観や哲学は通用しないのだろうか。スポーツ界がビッグマネーの圧力を受けて、大きく変質する可能性(危惧)をますます感じさせられる。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部