Jリーグオールスターでプレーする三浦知良

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 北中米W杯は熱戦が続く。日本代表をけん引してきた遠藤航主将(33)が初戦直前にけがで離脱した時は驚き、同時に28年前のW杯直前にメンバー外となったあの選手を思い出した。

 「外れるのは…カズ、三浦カズ」。98年6月、日本代表は初出場するフランスW杯を控えた直前合宿地・スイスで、岡田武史監督が三浦知良(当時31)、北澤豪(同29)、市川大祐(同18)の3人をメンバー外とすると決断、発表した。金髪に染めて帰国し「誇りと魂は置いてきた」と険しい表情で語ったカズ。それまで貢献しながら初の大舞台を踏めない無念さが、会見をテレビで見ていた記者1年目の私にも伝わってきた。

 カズは翌99年夏、日本代表で共闘した加茂周監督率いるJ1京都に入団。私は同年秋に担当となったが、カズは初顔の若手記者にも分け隔てなく対応してくれた。

 J1福岡移籍の話が浮上した00年には、単独取材で本人に確認せよというデスク指令のもと、当時カズが住んでいた選手寮の駐車場で出待ちして直撃。しかし、驚かせてしまい、聞き出すどころか怒らせてしまった。クラブからも注意され、シュンとしていた私の肩をポンとたたいてくれたのも、またカズだった。

 福岡には移籍せず01年、神戸入り。02年日韓W杯代表を逃した際の会見を取材したが「(W杯は)テレビで見るよ」と4年前にはなかった笑顔が印象的だった。

 あれから約四半世紀。カズは59歳の今もJ3福島で現役を続け、ベテラン記者となった私はその姿に勇気づけられている。日本代表の今回W杯での奮闘を見て、その道を切り開いたカズらの偉大さを再認識した。(サッカー担当・田村 龍一)

 ◆田村 龍一(たむら りょういち) 98年入社。大阪・編集局でボクシング、ラグビー、サッカー担当など歴任。