80年代アイドルブームの始まりは松田聖子ではなかった!河合奈保子に近藤真彦…芸能界で起きた「革命」の正体
1980年代のアイドルブームは松田聖子から始まった、とされがちだが、その兆しはすでに79年末から見えていた。当時はニューミュージック全盛期で、キャンディーズが解散、ピンク・レディーは失速、山口百恵の引退と「アイドル終焉」論まで囁かれていた時代だ。
そんな氷河期に風穴を開けたのが、ドラマ『3年B組金八先生』から生まれた「たのきんトリオ」だ。先陣を切るかたちで歌手デビューした田原俊彦のデビュー曲『哀愁でいと』は大方の不安をよそに大ヒットした。
後編では、その後、まだ「知る人ぞ知る」存在だった聖子がブレークし、業界全体を巻き込んでアイドルブームが本格化していく過程を追う。
前編記事『松田聖子でも近藤真彦でもない…ニューミュージック全盛期に“空前のアイドルブーム”を生んだ「元ジャニーズ」とは』より続く。
『青い珊瑚礁』のヒットでポスト百恵に
では『哀愁でいと』がヒットした時期、松田聖子はどういう状況だったのか。
こちらは4月1日に『裸足の季節』でデビュー。田原より早い歌手人生のスタートだったが、最高位は12位にとどまっている。また、これは資生堂「エクボ洗顔フォーム」のCMソングになったものの、エクボができないことから彼女の出演はなかった。
ただ、聖子は前年秋から半年間放送されたドラマ『おだいじに』(日本テレビ系)で、ヒロインの息子の恋人役を演じていた。筆者はこれでひとめ惚れしたが「金八」ほどのブームを生んだドラマではないので、まだまだ知る人ぞ知る存在だったように思う。
そんな彼女の運命を変えたのは、7月1日に発売されたセカンドシングル『青い珊瑚礁』だ。これが2位まで上がり『ザ・ベストテン』では1位になったことで、ポスト百恵というポジションを完全に手中にした。
時系列でいえば、田原のブレークが7月で、聖子のブレークが8月。この流れには、業界全体の思惑もプラスに働いていた気がしてならない。
というのも、聖子は『青い珊瑚礁』発売の直後に『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」コーナーに登場している。2月21日にデビューした、高校でも同級生だった岩崎良美とともに、有望株として紹介されたのだ。
これはたのきんトリオの爆発的人気から、業界全体がアイドルブームの再来を予感し、それを積極的に後押ししようとしていたことのあらわれだろう。
ニューミュージック勢も、テレビや雑誌に協力的になってきたとはいえ、アイドルほどではないし、そもそも、ビジュアル的に向かない人も多い。歌番組だけではなく、ドラマや映画、コント、CM、運動会や水泳大会にも出て、インタビューやグラビアもガンガンこなすようなアイドルたちこそ、テレビや雑誌が求めるものだったのだ。
松田聖子&田原俊彦「苗場でテニス」の裏側
そのあたりがよく伝わってくるのが『ザ・ベストテン』の企画や演出を手がけたプロデューサー・山田修爾の思い出話だ。
聖子が初めてランクインした8月14日の回では、羽田空港に到着するやいなやタラップを降りたところで歌わせるという名場面を仕掛けた。その後、聖子と田原に恋の噂が浮上すると、それを利用してわざと共演させていく。苗場でテニスをさせた回では、田原がネットを飛び越え、聖子にタオルをかけるという趣向でファンの熱狂と悲鳴を煽った。
「当代人気のさ、アイドルふたりがね、テニスコートで、えーっというね、胸キュンでしょ、ほら。テレビで見てる方もそういうの見たいと思うし、僕も見てみたいし、ぜひともやってみたいと」
山田はそんなふうに回想している。
なお、聖子と田原に恋の噂がたったのは、この年の4月から『レッツゴーヤング』(NHK総合)の番組内ユニット・サンデーズで一緒だったことも大きい。オーディションは1月だったようで、歌手デビュー前のふたりをメンバーに入れたのはまさに炯眼だった。と同時に、ここでもやはり、アイドルブームの再来への期待がその起用へとつながったのではないか。
もっとも、田原と聖子だけではあれほどのブームにはならなかっただろう。
前出の岩崎良美は、姉の岩崎宏美がすでに実力派アイドルとして成功していたサラブレッド。セカンドシングルの『涼風』は上品な名曲で、この夏はこれと『青い珊瑚礁』ばかり聴いていたことを思い出す。
また、6月1日には河合奈保子がデビューした。聖子とは対照的なグラマー体型、かつ、天然キャラでファンを獲得していく。
さらに、9月21日、三原順子がデビュー。前出の『3年B組金八先生』で人気者になり、ヤンキーキャラを活かしたロック歌謡で成功する。当時、聖子、順子、奈保子の三人を「MMKトリオ」として売り出そうとする雑誌も出てくるなど、アイドルシーンは活性化した。
近藤真彦のデビュー曲はミリオンセラーに
一方、田原の歌が売れたことで波に乗ったジャニーズ事務所は、12月12日に近藤真彦をデビューさせる。
「マッチにはトシちゃんの1.5倍のファンレターが来るんですよ」
という話を聞いた制作チームは、そのプレッシャーを力に変えた。近藤のデビュー曲は、オリコン史上初の新人による初登場1位を達成。『哀愁でいと』の1.5倍売れて、ミリオンセラーになった。
とまあ、これが1980年の歌謡界に起きた「革命」のあらましだ。
ちなみに、前年7月からこの年9月まで続いていたニューミュージック勢のオリコン1位独占を止めたのは、田原のセカンドシングル『ハッとして!Good』。グリコチョコレートのCMソングにもなり、CMでは聖子と恋人設定で共演した。まさに、アイドルブームの再来を決定づけるような華のある15秒だったわけだ。
このシングルが2週連続で1位になったあと、聖子のサードシングル『風は秋色』が5週連続で1位となり、ブームは揺るぎないものと化した。
80年代アイドルの歴史を振り返るなら、田原なくしてブームは始まらず、聖子なくしてその長期化はなかった、というのが真実だろう。
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