<人の肉を刺して食ふ事限りなし>秀吉と別所長治の「三木合戦」。兵粮攻めの果てに城内で起きた「飢餓地獄」とは…濱田浩一郎が『豊臣兄弟!』を解説
天下人・豊臣秀吉…ではなく、その弟・秀長が主人公!これまでになかった視点からダイナミックに描く大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合、日曜午後8時ほか)。兄を支え続けた“もう一人の豊臣”にスポットが当たることで映し出される新たな戦国の世界が話題です。そこで歴史家で作家・評論家の濱田浩一郎さんに、ドラマをもっと楽しむための”ツボ”を解説していただきました。
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別所氏が離反し「三木合戦」へ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第25回は「変事の予兆」。
天正6年(1578)2月、播磨国の三木城主・別所長治は織田から離反し、毛利氏に加勢します。
播磨攻略を担っていた織田信長の家臣・羽柴秀吉はこれにより、別所氏と対決することに。
いわゆる「三木合戦」の始まりです。
別所氏は三木城に籠城しますが、秀吉方はこれを兵粮攻めにより追い詰めます。
「付城」を築いて兵粮の搬入ルートを遮断
兵粮攻めのために秀吉が築いたのが付城でした。

『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(著:濱田浩一郎/内外出版社)
兵粮攻めのために秀吉が築いたのが付城でした。
付城とは、敵の城を攻める際、その城に対峙する形で築かれる城のこと。
秀吉はこの付城を1つや2つ築いたのではありません。
50〜60もの多くの付城を築くに至ったのです。
付城と土塁(盛土による防壁)を築き、三木城を厳重に包囲し、敵方の兵粮搬入ルートを遮断。
これにより、敵方の兵粮が枯渇することを狙ったのでした。
牛や馬、鶏や犬を食べ、やがて…
「三木の干殺し」とも呼ばれる凄惨な兵粮攻めが行われたのですが、それにより三木城には「地獄絵図」が現出します。
城内の兵士は旧穀(前年に獲れた穀物)が尽きると、糠や飼葉を食べていましたが、それがなくなると、牛や馬、鶏や犬を食べるようになります。
それも尽きると、とうとう人肉を食べるようになったというのです(『播磨別所記』)。
人を刺し殺し、その肉を食べたと推測されます。
三木城では「飢餓地獄」が展開
『播磨別所記』には「人の肉を刺して食ふ事限りなし」とありますので、そうした悲劇が多く起こったのでしょう。
同書には「三木の干殺し」により数千の餓死者がいたとあります。
兵粮攻めは秀吉による人命尊重の意思によるものとの見解もありますが(確かに自軍の犠牲者は少なくすることはできますが)、その裏では飢餓地獄が展開していたのでした。
(主要参考文献一覧)
・桐野作人『織田信長』(KADOKAWA、2014年)
・黒田基樹『羽柴秀長の生涯』(平凡社、2025年)
・柴裕之『秀吉と秀長「豊臣兄弟」の天下統一』(NHK出版、2025年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
