創価高校野球部〜躍進の舞台裏(前編)

 創価大学を卒業して30年以上、同大学の野球部コーチ、監督をつとめた堀内尊法(たかのり)が、創価高校野球部の指揮をとるようになったのは2023年9月1日だった。

「自分が監督になるとは思っていませんでした。秋季大会前に登録メンバーを決める時に意見を求められたのですが、基本的にはコーチにお任せで。9月1日から指導を始め、少しずつ手を入れていった感じですね」と堀内監督は言う。

「大学生と比べれば、選手の体は小さいし、技術もスピードもない。シートノックをしても、ミスした瞬間に動きが止まるし、前にこぼしたボールをとりにいかない。これは時間がかかるなと思いました」


監督就任2カ月でチームを都大会決勝へと導いた創価高・堀内尊法監督 photo by Fujioka Masaki

【2007年以降、甲子園出場なし】

 2022年のドラフトで創価大学から巨人に4位指名で入団し、プロ1年目でレギュラーポジションを獲得した門脇誠は堀内の教え子のひとりだ。

「この前まで、門脇にノックを打っていたわけですから、かなり目線を下げないと。だから、はじめは技術的なことは言わず、難しいことも求めませんでした。基本を徹底するところからですね」

 創価高は1983年に夏の甲子園初出場。以来、甲子園出場8度を誇る強豪だが、2007年夏以降、甲子園から遠ざかっている。2023年夏の西東京大会は、準々決勝で敗れた。

「監督になってはじめに思ったのは、当たり前のことを当たり前にやろうということです。グラウンドの雑草を抜いたり、小さなごみを拾ったり、フェンスのクモの巣をとったり......」

 堀内監督が選手たちに説いたのは、準備の大切さだった。

「試合前にはグラウンドや寮を全員で掃除をする。そういうところがきちんとしていないと、プレーが乱れてしまう。グラウンド以外の生活からしっかり準備すれば、明るく落ち着いて戦うことができる。全員で試合に臨むんだから、全員で掃除しようと言いました」

 堀内は1986年夏の甲子園で準優勝した松山商業(愛媛)の2番打者だった。グラウンドの内外で受けた当時の厳しい教えが、今も生きている。

【選手にプレッシャーをかけない】

 春のセンバツ大会につながる秋季東京都大会一次予選が始まったのが9月16日。創価高は高輪、八丈に5回コールド勝ちして好スタートを切った。

 10月8日は府中工科に5回コールド勝ち、翌週には専大附を15対8で下し、国士舘には22対11で6回コールド勝ちを収めベスト8進出。さらに準々決勝で早大学院、準決勝でも日大二にコールド勝ちして、ついに決勝へと駒を進めた。

 ただ堀内監督にとっては、決勝に進出したことよりもうれしい出来事があった。

「その日(準決勝当日)は寮に戻ったのが18時過ぎだったので、全員での掃除ができず、各自部屋の掃除をするように指示を出しました。すると決勝戦の朝、ベンチ外の選手たちが自主的に玄関の落ち葉拾いをしてくれました。監督やコーチに言われなくてもそうできたことで、一歩前に進めたような気がして......うれしかったですね」

 11月5日、決勝の相手は関東一だった。4回に1点を奪い試合を優位に進めたものの、6回に逆転を許して1対4で敗れた。

「選手たちに『甲子園を目指すぞ』とは言いませんでした。『今日の試合でうまくなってベスト8のチームになろう、ベスト4のチームになろう』という感じでしたね。決勝でも『ここでうまくなろう』と。結果よりもボールを追ってほしいので、できるだけ甲子園を意識させないようにしました」

 2年生でチームの主力として試合に出ていたメンバーは多いが、みんな成長途中の選手ばかりだ。

「僕が現場に入って練習をしながら、『この選手とこの選手のポジションを入れ替えよう』『控えのキャッチャーをファーストにコンバートして......』とやっているうちに、3人を除いて背番号と守備位置が全然合わなくなってしまいました(笑)。秋季大会では、選手の性格や適性を見極めながら戦っていった感じですね」

 チームの力を引き出すために、選手に寄り添った指導に徹した。

「チャンスの場面でもプレッシャーをかけないように『打ったらすごいなぁ』と言ったり、緊張をほぐすような言葉をかけたり。僕らが高校の時とは何もかもが違います。夏の甲子園で準優勝した時、初戦は試合に出たくなかったですもんね。『失敗したらどうしよう』とプレッシャーが強すぎて......」

【当たり前のことを当たり前にやる】

 初めて高校生を指導してみて、その吸収力に驚かされると堀内は言う。

「どんどん新しいことを覚えるし、言われたことを習慣にできる。1週間でものすごく成長します。サインについては、選手たちがやってきたことを僕が覚えて、少しずつ新しいことを加えていきました。こっちが覚えることが多くて大変でしたが、そこは選手ファーストで、彼らの力を引き出すことを最優先しました」

 東京都大会の決勝で敗れたものの、堀内はたしかな手応えを得た。

「神宮球場で2試合できたことが財産になっています。2カ月間一緒に戦って、堀内がどういう野球をするのかをわかってくれたと思います」

 簡単なように見えて難しいことを地道に行なったことが、今回の快進撃につながったと堀内監督は見る。

「僕は松山商で掃除・あいさつ・礼儀を徹底的に教え込まれました。勝つための緻密な野球を覚えたのも高校時代でした。その後、創価大学野球部の岸雅司監督のもとで4年間選手をし、卒業後は長くコーチをやらせていただきました。そういう経験を生かしながら、『野球を通じた人間教育を』といつも考えてきました。秋季大会で決勝まで勝ち上がったのは24年ぶりのこと。当たり前のことを当たり前のやることの大切さをあらためて痛感しました。チーム力を上げるのはこれから、冬の間にしっかり鍛えます」

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