新聞は「異例の会見」と報じたが…トヨタの社長交代会見での最重要発言「町いちばんのクルマ屋」の真意
■YouTubeでの交代会見を「異例」とした各紙
2023年1月26日、トヨタ自動車の会長、社長の交代会見が自社メディア「トヨタイムズ」内で行われた。
内山田竹志会長は退任。豊田章男社長は代表取締役会長になり、執行役員の佐藤恒治さんは社長、CEOとなる。正式な決定は株主総会を経てからだ。
会見の司会はテレビ朝日を退社してトヨタに入社した富川悠太さんだった。自社メディアだったせいもあって、画面に出てきた3人は楽しそうに、ざっくばらんに話していた。富川さんもずーっと笑顔。テレビ朝日をやめてよかったのではないか。報道ステーションに出ていた最後の頃は「苦しくて苦しくて仕方がない」といった気配をにじませていた。転職は正解だった。
さて、トップ交代について翌日の新聞各紙はどこも第一面で大きく扱っていた。ただ、トヨタイムズでの発表だったことに、各紙は不満だったようだ。
「社長交代会見は異例の形式で始まった」(日本経済新聞)
「ネット上の自社メディア『トヨタイムズ』の番組を通じて明らかにするという、異例の形式となった」(朝日新聞)
■一般の人たちは「異例」と思っただろうか
でも、「異例」と思ったのは新聞社の人たちだけだ。一般の人たちは自社メディアでの発表やオンライン会見を異例だなんて少しも思っていない。
現に、ベンチャー企業や時代の流れに敏感な会社はわざわざ会場を設けて、新聞記者を集めるなんてことはもはやしていない。自社の一室からSNSやYouTubeでニュースを知らせればそれでいいと思い、実行している。それが普通になったのである。
「そうか。トヨタの社長が変わるのか。大きなニュースだ。では、一晩、寝て、明日の朝刊を読もう」なんて人は日本中、どこにもいない。
さて、トヨタが重要ニュースをオンライン会見でやったことは同社が何事に対しても、つねに変化しようと考えていることを表している。そして、トヨタの強さは変化、変化、変化にある。
■2年前に説いていた「フランスの3軒の歯医者」の話
会見のなかで豊田現社長は今後の経営について、こう語った。
「トヨタの思想は、すなわち、『もっといいクルマ』をつくり、世界の各地域のステークホルダーに愛され、必要とされる『町いちばん』の会社を目指す道です。言いかえれば、商品と地域を軸にした経営ということになります」
豊田さんは以前から「町いちばんのクルマ屋」だと強調してきた。最初の発言は2年前の「トヨタイムズ」にある。
「フランスの3軒の歯医者さんの話を紹介します。
1軒目の歯医者さんは『世界一の歯医者』と看板を出しました。2軒目は『フランス一の歯医者』を出した。3軒目は、何といって出したか。『この町いちばんの歯医者』と看板を出した。その町の人たちにとって、どの歯医者が一番信頼されたか。(筆者注=むろん、3番目ですね)
トヨタも同じ。トータルの販売台数をどれだけ宣伝しても、お客様は何も嬉しくない。トヨタの各事業体が、その町で一番信頼される会社、工場になることが最も望ましい」
つまり、「町いちばん」とは顧客志向ということ。ふんぞり返った大企業になっちゃいけない、販売台数ばかりを喧伝しても意味はない、従業員は官僚的になっちゃいけない、お客様ファーストの会社でなければ成長しない。彼はそう強調している。
会見を見て、豊田さんが佐藤さんにもっとも守ってほしいと望むのは顧客志向だと思った。
■自分の人生だから自分らしく
もうひとつ、会見を通して、豊田さんは「自分を真似しなくていいよ」とも伝えている。
「佐藤さんはかつて、レクサスのディーラー大会で、何を伝えればよいか、悩んでいたことがありました。
私(豊田)がアドバイスしたことは、『私の真似ではなく、個性を大切にしてほしい…』。それだけです。
そのときに彼は、こう言いました。『モリゾウさんがクルマの運転が大好きなら、私は、運転する人を笑顔にするクルマをつくるのが大好きです』。
彼なら、商品を軸にした経営をさらに前に進めてくれると信じている」
「自分らしく生きること」もまた豊田さんが社長として守ってきたことだ。
人は誰でも自分の人生を歩む。偉大な誰かの真似をしたとしても、偉大にはならない。何より、自分の人生を大切にすること。自分の人生なのだから、自分で判断して、自分らしく生きていけばいいじゃないか。
豊田さんはそう考えて実行してきた。
■「クルマを創り続ける社長」でありたい
豊田さん自身が「自分らしく」経営してきたのだから、佐藤さんにも「そうすればいい」と助言したのだろう。
対して、佐藤さんもまた顧客志向と自分らしさについて、会見ではこう語った。
「トヨタはグローバルな会社。地域に密着し、地域のお客様に寄り添っている会社。それを忘れるなよと。従業員の37万人に対して(地域のお客様には)全力で向き合えという思いがある」
「新社長就任の内示をいただいたとき、豊田社長からは、『自分らしくやりなさい」という言葉をかけていただきました。今、新しい経営チームの中で、『自分らしく、役割を果たそう』と考えています。
『自分らしく』ということで申し上げますと、私は、エンジニアで、長くクルマ創りに携わってまいりました。クルマを創ることが大好きです。だからこそ、『クルマを創り続ける社長』でありたいと思っています」
(引用はいずれもトヨタイムズ動画から起こしたもの)
■トヨタの社長、会長の仕事とはなにか
次期社長の佐藤さんのミッションはチームを編成してモビリティを創り、普及していくことだ。自動車だけでなく、空飛ぶクルマなど、これまでよりトヨタの商品構成は幅広くなるのだろう。
ただ、与えられたミッションだけがトヨタのトップの仕事ではない。これまでの例から考えると、トップがやるべき仕事とは、新事業へのチャレンジだ。
創業者の豊田喜一郎は世界一の織機会社を継ぐ男だったにもかかわらず、スピンアウトして自動車会社を興した。息子の豊田章一郎はトヨタホームの元となる住宅事業を始めている。そのまた息子の豊田現社長はウーブンシティの開発を開始した。
佐藤さんは豊田家出身ではないけれど、いずれ何か新事業を考え出して挑戦していく。それがトヨタの社長の仕事だから。
一方、トヨタの会長の仕事は何か。今回の会見で現会長の内山田さんはこんな考えを述べた。
「豊田章男にはもっと広い分野へ。トヨタグループの37万人、自動車産業の550万人だけでなく日本の産業界に大きく羽ばたいてほしい」
■トヨタにしかできない「引っ張る力と発信力」
この部分を聞いて、「経団連の会長になる」と推測記事を出している新聞があった。ただ、経団連の会長になるかならないかはマスコミが決めることではない。自然に決まるとしか言いようがない。それに、日本の産業界、日本全体に寄与するのと経団連の会長になることはイコールではない。
経団連会長はドメスティックな肩書だけれど、「トヨタのトップ」という肩書は世界に通用する。
例えば、トヨタは世界の26カ国に50以上の製造事業体を持ち、従業員を雇用している。関連会社の豊田通商もまた世界中に50の事務所を置いている。総合商社よりも広汎なネットワークを世界に張り巡らせている。
一方、経団連はワシントンに米国事務所があるだけだ。
トヨタの会長の仕事とは日本の産業界を引っ張ることだけれど、同時に世界に対して発信しなければならない。それができる日本企業のトップは現実にはトヨタしかない。経団連の会長になってもならなくても、日本経済界が期待するのは、豊田さんの発信力だろう。
■ドライバーとして、エンジニアとして
わたしは新会長には面識がある。豊田さんとは社長室でも会ったけれど、それ以外はトヨタ工業学園の卒業式、国内外のサーキット、国内の販売店、国内工場とトヨタの現場ばかりだった。佐藤さんとはどこかサーキットで挨拶したような気がする。
印象的だったのはコロナ禍になる前、ドイツのニュルブルクリンクのレースだ。24時間耐久レースで、豊田さんはドライバー、モリゾウ選手として出走していた。
ニュルブルクリンクの耐久レースは世界でもっとも難しいコースだ。起伏が激しく、上り下りしながら高速でカーブを曲がらなくてはならない。また、公道も使う狭いコースにアマチュアを含めた200台もの車がひしめき合って競走する。クラッシュする車も、もちろんある。さらに、24時間だから照明のない公道を夜間走行しなくてはならない。直線では時速300キロを超えたスピードが出る。
豊田さんはそんな過酷なレースに副社長時代から出ていたのである。会見で、内山田さんが「運転するな」と言ったのも無理はない。
■命がけで車の安全性を高めていた
その時、モリゾウ選手は夜間ドライバーとして数時間、レクサスに乗っていた。暗闇の中を走っていると、「ヘッドライトの光の束が後ろから追いかけてくる」と感じたという。ドライバーとして命がけの仕事をしていたのである。
それだけではない。モリゾウ選手は今も国内外のレースに参戦している。佐藤さんは同行していただろう。
ふたりは今もレース場で車を鍛え、車の安全性を高めている。
さて、ニュルブルクリンクでは24時間レースだから、ドライバーは仮眠するだけ、スタッフは不眠不休だった。
さぞ疲れているだろうと思って見ていたら、豊田さんを始めとするスタッフ、メカニックは高揚していた。みんなで集合写真を撮り、大声で歓声を上げていた。
■そこには上下関係も派閥もなかった
地元ファンが「モリゾウだ」と寄ってきたら、豊田さんは笑いながら全員にサインをし、握手をしていた。その後、スタッフひとりひとりと抱き合っていた。スタッフはトヨタの社員だけではない。サプライヤーから派遣された社員もいた。大企業だけでなく、小さな企業からもやってきていた。
豊田さんは、みんなと一緒になって、何枚も何枚も写真を撮っていた。そこにはトヨタもサプライヤーも区別はなかった。社長も執行役員も平社員もない。トヨタのチームワークとは「現場では肩書は関係ない」ということだ。
本当のチームワークとは彼らのためにあった。命を懸けた仕事だから、上下もなく、仲間割れとか派閥づくりなんてことは考えられない。現場にはトヨタだ、サプライヤーだ、という区別はない。現場ではみんな一緒だ。トヨタのチームワークはレース場だけではなく、すべての現場にある。
そして、経営とはヒット商品の開発ではない。チームワークを作ることだ。みんなの力を集めることだ。
新会長、新社長はそのことをよくわかっている。
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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)