東京ヴェルディ大久保嘉人インタビュー@前編

 約束の時間になると、大久保嘉人はあいかわらずのビッグスマイルで、パソコンの画面上に現れた。続けて聞こえる彼の明るい声に、どこかホッとさせられた。自粛自粛のこの環境に、慣れない形での取材に、緊張していたのは自分のほうだったのかと気づかされた。


大久保嘉人に新型コロナウイルスの影響を聞いた

 2020年シーズンのJリーグは、新型コロナウイルスの感染拡大で開幕後すぐに中断を余儀なくされ、早くも3カ月が経とうとしている。ようやくリーグ再開の見通しが立ちそうで、各クラブともに全体練習が始まりつつある現状だが、これまで選手たちのほとんどは練習する環境も制限され、それぞれが自宅で個人練習に励んでいた。

 そんななか、今季から東京ヴェルディに移籍した大久保は、間もなく38歳の誕生日を迎える。年齢的にもキャリアの終盤に差しかかり、一年一年が今まで以上に大切になってくるこの時期に、ましてや新しいチームに来ていきなり長期の活動自粛となり、不安や焦りはないのだろうか……。


「焦りは、とくにないですね。そういうことはあんまり感じていないかな。まだ1試合しかやっていないし、再開してちゃんと体調が整えばどうにかなるだろうって考えています」

 こちらの心配をよそに、大久保からは頼もしい言葉が返ってきた。いや、むしろそういう言葉を待っていた気がする。

 今年でプロ生活20年目。長いキャリアのなかで何度も移籍を経験してきた大久保にとって、新しい環境に身を置くことへの不安はほとんど持っていないという。

「慣れもあるのかもしれないですね。あとは歳も関係しているかな。もう一番年上になったりしますからね」

 しかし、これほどまでに長い間サッカーから離れた経験はかつてなく、焦りとはまったく違う『気持ち』を維持するのに苦労していたと話してくれた。

「プロ1年目の大事な時期に、今までで一番大きなケガをしたことがあるんです。全治8カ月で、その時も長いブランクになったんですが……ケガと今回とは、また違うんですよね。


 ケガだったら、長くても8カ月だったら8カ月で治るし、そこまで一生懸命リハビリして、また強くなってがんばろうって気持ちになるけど、今回のはまったく違う。いつがゴールっていうのがわからないから、気持ちを持っていけない。

 そうなると、なかなか身体も動かない。走りのトレーニングをして体力を戻そうとしても、でもまた中断するんじゃないかという心配もある。この日っていうのが決まっていないから、なかなか走りをやっても身が入らないというか……難しいですよね」

具体的な目標・再開日が決まらないなかで、ひとりでトレーニングを続けることは、いくらプロとして長く経験を積んできていても容易ではないという。

「いやぁ、すごくしんどいですよ。オフとも違いますからね。リーグ開幕に向けて、キャンプで追い込んで、フィジカルも気持ちも一度上げてスタートを切った直後の中断ですから。

 でも、通常のオフとは違って、身体は動かしておかなければいけない。いつ始まるかわからないなかで、ひたすら動いて……それをずっとひとりでやるのもきつい。そうすると、だんだんメンタルもやられてくる。見えない出口に向かって気持ちを切らさないでいることは、正直なかなかハードだと思います」


 自分の努力だけではどうにも状況を変えることができないのが、今回のコロナ禍における難しさだと大久保は話した。

 これまでの大久保のサッカー人生を振り返れば、きつい、つらい経験は数多くあるだろう。そのなかでも自分にとって大きな転機となったのは、スペインへの移籍だったという。

「スペインでは悔しい思いをたくさんしましたから。日本のプレーをそのままやっても、通用しないというか。それでいける時もあったけど、いけない時のほうが多かった。あぁ、これじゃないんだなって思って、プレースタイルも変えたし……すべてが変わりました」

 2004年にセレッソ大阪からスペインのマジョルカに移籍した大久保は、日本にいた時とは違い、思うように試合に出場できないことが増え、もがいた。

 どうやったら試合に出られるようになるのか、監督はどういうプレーを好むのか……。日々悩み、考えながら練習していた大久保にとって、試合に出たいという貪欲な気持ちだけが自分の心の支えであり、モチベーションだった。


 マジョルカに在籍していた約1年半で、大久保は39試合に出場し、5得点を挙げている。しかし思い返せば、悔しい思い出のほうが多いと話す。

「試合に出ても、途中出場が多かったので、やっぱりスタートから出たい気持ちは強かったです。とにかく『試合に出るためには』とか『どうしたらチームに貢献できるのか』ということだけを常に考えて、チャレンジもいっぱいしました。

 ただ、そういう経験が自分の考え方を大きく変えてくれた。それまでは『絶対自分はやれる』っていう気持ちが強くあった。だからもし、そのまま日本にずっといたら、『悔しさ』とか『貪欲さ』に気づけていなかったと思うんです。気づかないまま、たぶんどこかで終わっていた。

 試合に出続けていたとしても、いつかは絶対、ズドーンと落ちる時がくる。でも、その時には反骨心もないだろうし、たぶん這い上がることはできなかったんじゃないかな。今こうやって選手を続けていられるのも、スペインでの経験があったからだと思っています」


 2006年6月、24歳で帰国した大久保は、自身の価値観の変化を自覚していた。スペインでの経験が糧(かて)となり、自信もつき、余裕もできた。見える景色が広がっていた。

 そして2007年、大久保はヴィッセル神戸に加入すると、それを行動に移した。当時神戸を率いていた松田浩監督のもとへ行くと、こう直訴した。

「僕に左サイドの中盤をやらせてください。僕が中盤に行ってプレーしたほうが絶対チームは回るから、そこをやります」

 子どもの頃から生粋のストライカーだった大久保は、チームのために、自ら新たなステージを選んだのだった。

(後編につづく)