講習会でセクハラや性暴力について話合うガーナの女性記者たち。(撮影=伊藤詩織)

写真拡大

メディアは政治や社会を監視する役割がある。しかし性被害、またそこに権力が関わる話になるとテレビや新聞などの主要メディアは沈黙する。近年、日本でこのような報道ができているのは週刊誌だ。「不倫スキャンダル」などで下世話なイメージがあるメディアだが、実際に福田淳一前財務次官のセクハラを報じたのも「週刊新潮」だった。自身も「週刊新潮」で性被害を告発したジャーナリストの伊藤詩織さんが語ることとは――。

■世界と逆を向く日本のトップ

今回、テレビ朝日の女性記者が声を上げたことは、今後メディアで働く女性にとって、また、社会で働くすべての人に大きな意味のある、そして勇気ある行動だったと思います。過去に女性記者と同じ経験をしたという女性も多いと思います。しかし、セクハラを止めるために声を上げてしまったら、その後、仕事を続けていけるのか、不安と恐怖に襲われていたのではないでしょうか。

セクハラという言葉が流行語大賞になってから30年もたとうとしている今、今回の出来事への周囲の対応は残念なものでした。これを人の尊厳の問題として、人権問題として、しっかりと扱わなくてはいけません。

今年ピュリツァー賞を受賞した「ニューヨーク・タイムズ」の記者は、2人とも女性の記者でした。彼女たちがハリウッドの映画プロデューサーによる性的暴行疑惑を報道したことがきっかけになり、世界的な#MeTooのムーブメントが巻き起こりました。その結果、法律が変わった国もあります。

■報道の自由ランキング23位のガーナ、68位の日本

去る5月3日は世界報道自由デー。この日、私はガーナにいました。国連総会で1993年に制定されて以来、毎年その日は、ユネスコ主催で世界各国の報道の現状が報告されたり、ジャーナリストがどのように仕事を安全にできるかが話し合われる会議が開かれたりします。今年はガーナの首都アクラで会議が開かれ、世界中から700名以上のメディア関係者が集まり、私も参加しました。ガーナはアフリカの中で報道の自由ランキング23位とトップを誇ります。ちなみに日本は今年68位でした。

世界的に#MeToo運動が巻き起こっていることを背景に、会議では「いかに女性記者が安全に働けるか」というトピックが取り上げられました。インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ代表のステファン・ダンバー氏は、「女性の記者や役員がもっと必要だ」と発言しました。

セクハラ問題について女性記者が安全に働ける環境をどのようにつくることができるか。国際的にそう議論されている中で、日本でもテレビ朝日の女性記者が財務次官(当時)の福田淳一氏からセクハラを受けたとして、告発に踏み切りました。女性記者が福田氏から執拗にセクハラを受けたことを週刊新潮が報じ、音声のデータもインターネットで公開されました。

福田氏は最終的には辞意を表明しましたが、セクハラ自体については否認しています。「私のことで、ご迷惑をおかけしたすべての方に、おわびを申し上げたい」と謝罪していましたが、そもそも福田次官が謝るべきなのは「すべての方」ではなく、被害を受けた女性記者ではないでしょうか。

■イギリスでは「隠し撮り」の公表は認められている

一方で、女性記者が取材目的で録音したデータを自社で報道するのではなく、週刊新潮に提供したことが問題視されました。日本の社会では、これまでもこのような問題が起きるたびに、本質を見誤った意見が見受けられますが、本来非難されるべきなのは立場を利用してハラスメントを行った相手であり、同時にそれを黙認してきた周囲であるのは明らかです。

イギリスでは、公益性があることや、録音や録画が行為を証明するのに必要なことなど、条件を満たせば、シークレットリコーディング(隠し撮り)を公表してもいいという基準があります。最近、米フェイスブックから最大8700万人分の個人情報を不正に入手していたとされる英国の選挙コンサル会社の疑惑が報じられましたが、シークレットリコーディングが重要な証拠として、公開されています。

今回のテレビ朝日の件では取材との目的外で第三者に渡したことが問題視されていますが、最初から「セクハラ発言について取材したいので録音します」と伝えて福田氏は同様の発言をしていたでしょうか? 録音があったからこそ、それが大きな証拠となり公益性のある報道がされたわけですし、その結果として、当初は事実を否定していた財務省もセクハラ行為を認めざるをえなくなったのは間違いありません。

もっとも、これがイギリスのメディアであったら、所属先のメディアで報道されていたのではないかとも思います。被害を受けた人間がこの情報を、今後の被害の拡大、悪化を防ぐために第三者に渡すしか報道されなかったという事実を重く受け止めなくてはいけません。

■テレ朝記者の勇気ある行動は称賛されるべき

また、財務大臣の麻生太郎氏の本件に対する対応についても看過できません。「番記者を男性に替えれば解決する話だ」「セクハラ罪っていう罪はない」「殺人とか強(制)わい(せつ)とは違う」などと無神経な発言を繰り返していました。

言うまでもないことですが、セクハラは他人の人権を傷つける行為であり、場合によっては民事上で法的な責任を問われる可能性があります。さらに強制的に特定の行為に及べば強制わいせつ罪に問われる恐れもあります。

テレビ朝日の女性記者がとった勇気ある行動はニューヨーク・タイムズの女性記者たちのように称賛されるべきです。そんな中、テレビ朝日は彼女から相談を受けながら、自社では報道せず、週刊新潮が報じるまで財務省に抗議すらせず、彼女を守らなかった。そのような風潮はメディア業界が保ってきました。世界がセクハラ対策について議論を深めているのにもかかわらず、日本の社会は旧態依然としたままで、そのことはとても残念に思います。

世界経済フォーラムが発表した、男女格差の度合いを示す「ジェンダーギャップ指数」(17年版)では、日本は過去最低の世界144カ国中114位でした。G7の加盟国の中では最低ランクという結果です。

世界自由報道デーでは、女性ジャーナリストをセクハラから守る現地のメディア向け講習会もありました。そこではガーナ各地から女性ジャーナリストが集まり互いに今まで経験して来た職場での性的被害が語られ、団結して今後の対策について話し合われました。私は講習会を開いたノルウェーの政府関係者の女性に話をうかがったところ、その方は先進国の日本が72位のガーナよりランキングが低いことに驚いていました。日本政府の掲げている「女性が輝く社会づくり」とは一体誰に向けられたものなのでしょうか。

■日本で告発することの代償

私もかつて週刊新潮を通じて性被害を告発しました。

話は昨年の春に戻ります。当時私はコロンビアで現地のゲリラを取材していました。2015年の事件後、被害届を出したら「日本のメディアでは働けなくなる」と警察から言われる中、捜査が始まりましたが、DNA、防犯カメラ、タクシー運転手などの証言があったものの、証拠不十分で不起訴をという結果になりました。レイプ被害後、精神的ショックから仕事ができない時期がありましたが、必死にフリーランスとして海外メディアとの仕事を増やし、やっと軌道にのせたところでした。

そんな中、週刊新潮から、私が受けた性被害を記事化できないかと相談されました。それまでも、性犯罪に対する法的、社会的システムを変えなければいけないと強く感じ、日本の信頼できるジャーナリストや大手のメディアに話し、何度か取材も受けていました。ただ、一向に記事は公にはされませんでした。日本の性被害に対する報道が及び腰なのは、テレビ朝日だけではないのです。

■週刊誌での「記事化」は最初は不安だった

正直、当時の私は週刊誌にいいイメージを抱いてはいませんでした。それに私が被害を訴えている相手が安倍晋三総理に関連する本を2冊も出版している、“大物”であったことを考えると、週刊誌がどのような意図で記事にしようとしているのかわからず、最初は不安でした。

また記事を出して、何かあったらどう家族や周囲を守れるかなど、葛藤はありました。日本に帰国してすぐに記者に会い、最終的には、週刊新潮編集部に対して「性被害に関する日本の法的・社会的システムを変えなければいけないから取材受ける」という意図を明確にしたうえで、全てを語りました。

しかし記事が乗った週刊新潮が発売されると、私の生活は一変しました。自宅付近で不審な動きがあり帰宅すらできなくなり、友人の家に3カ月近く「隠れる」ことになりました。同時に起こったのはオンラインバイオレンスでした。SNSやメールなどで中傷や、「死ね」などといった脅迫を受けました。プライベートや家族について、事実ではないこともウェブに広がりました。恐怖で外出すらできなくなっていたそんな時ロンドンの女性人権団体から連絡をいただき、そのことがきっかけで、イギリスへ移り住むことになりました。これが私の告発の結果です。

本当は、日本は一時帰国するだけの予定で、すぐコロンビアで取材を続けるつもりでした。あれから1年。今年4月、私はコロンビアのジャングルへ取材に行きました。昨年告発後に止まってしまった取材をやっと再開することができたのです。時間はかかったものの同じ場所で仕事が再開できたことの喜びは大きく、少しずつではありますが、前進できていると実感しています。

テレビ朝日の女性記者もその後の仕事、生活がどうなるのかなど、いろいろな不安に襲われる中、告発に踏み切ったのだと思います。それでも、今回、彼女が声をあげたのは「これ以上同じ思いをする人が出てほしくない」と、彼女が考えたからではないでしょうか。

■「嫌よ嫌よも好きなうち」は古すぎる

これまで、どれほどの人が、セクハラやハラスメントの苦痛に耐えながら、仕事を続けてきたのだろう。言葉にはできないようなつらい経験した女性もいたと思います。会社内でセクハラが起きたら、被害者の担当を変えて加害者からの距離を離し、そのあとは何事もなかったかのようにした。そんなこともあったことでしょう。明確な「NO」を突きつけない限り、このようなセクハラがなくなることはありません。

世界各地で起きた#MeTooの動き。今まで聞きいれられなかった声、上げることすらできなかった声、そしてこれまであげられた声、その全ての声が大きくエコーしています。今まで被害者を一方的に沈黙させてきた芸能、政治、スポーツありとあらゆる業界にいる人たちに「NO」が突きつけられています。

スウェーデンでは#MeTooやアンチハラスメントの動きを受け、法律が強化されます。今年7月より施行されるこの新しい法律では、性的行為に及ぶ場合は、明確な合意(口頭、または行動)がなければ犯罪になります。今までは被害者が抵抗したか「NO」と示したかが話し合われましたが、これからは「YES」と示したかが焦点になるのです。日本でも合意についての認識をしっかりと学ぶ教育が必要でしょう。「嫌よ嫌よも好きのうち」という思考はあまりにも時代遅れです。

■「犯罪被害者に『社会はあなたの味方』と表したい」

この法改正について、スウェーデンのステファン・ロベーン首相は「被害の申し出をしやすくすることを促し、犯罪被害者に対し『社会はあなたの味方』であることを表したい」と伝えています。日本の社会は「あなたの味方」だとセクハラ、性暴力被害者に寄り添えているでしょうか?

声がやっと届いたいまだからこそ、これからはその声をしっかり聞き入れる必要があります。その声がいつあなたのものになるか、あなたの大切な人のものになるか、わからないのです。

声をあげてくださったテレビ朝日の女性記者へ改めて敬意を示したいと思います。そして彼女の声とともに動いた人々の声をしっかり受け止め、私たちも世界とともに大きく前進する必要があるはずです。

----------

伊藤 詩織(いとう・しおり)
ジャーナリスト
1989年生まれ。フリーランスとして、エコノミスト、アルジャジーラ、ロイターなど、主に海外メディアで映像ニュースやドキュメンタリーを発信している。国際的メディアコンクール「New York Festivals 2018」では、Social Issue部門とSports Documentary部門の2部門で銀賞を受賞。著者『Black Box』(文藝春秋社)が第7回自由報道協会賞大賞を受賞した。

----------

(ジャーナリスト 伊藤 詩織)