写真=Photoshot/アフロ

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よく新聞は上から目線で「落ちついた行動を」などと書く。だが落ち着くべきは新聞のほうではないか。「ヒアリ」を扱った記事を読み比べると、記事はどこか浮き足だっており、「ヒアリパニック」を落ち着かせるどころか、煽っている側面すらある。ジャーナリストの沙鴎一歩氏が、厳しく問い質す――。

■ついに福岡で男性1人が「刺された」

7月27日、福岡の博多港で中国から輸入されたコンテナからヒアリ約30匹が見つかり、30代の男性作業員1人が刺された。日本国内でヒアリに刺される被害が確認されたのは「初めて」だという。環境省と福岡市が発表した。

作業員は数匹のアリが体を上ってきて左腕を刺され、「クラゲに刺されたような痛みがあり、赤い発疹ができた」と話している。もちろん、彼は軽傷である。

今年5月26日に兵庫県尼崎市で初めてヒアリが見つかり、その後東京、神奈川、愛知、大阪……で次々と確認され、日本中が「ヒアリパニック」に陥っている。

こんな状況だからこそ、物理学者・寺田寅彦の「正しく怖がることは難しい」という名言を思い出し、ヒアリに対する正しい知識を学び、冷静に対応したい。

しかし、日本のマスコミ、なかでも知的に落ち着いて対応しなければならないはずの新聞社説までが、どこか浮足立って書き立てている気がしてならない。

■最初に「社説」で取り上げたのは毎日新聞

全国紙の中で最初にヒアリを社説で取り上げたのが6月24日付の毎日新聞だった。

見出しは「強毒『ヒアリ』を国内初確認 全国で水際対策の強化を」である。この見出し自体は冷静だ。掲載も6月24日で、兵庫県尼崎市で初めてヒアリが見つかった5月26日から1カ月も後だ。環境省の発表が6月13日とか遅かった事情もあるが、その発表から数えても10日以上は経過している。論説委員の間でヒアリを社説のテーマに扱うかどうか、それなりに時間をかけて慎重に議論したのかもしれない。

毎日社説は「強い毒を持つ南米原産のアリ『ヒアリ』が国内で初確認された」と書き出す。

「中国・広州市から兵庫県の神戸港に貨物船で運ばれたコンテナの内部と、コンテナが置かれていた神戸港のコンテナヤードで見つかった」
「いずれも駆除され、人的被害も出ていない。ただ、駆除前に周囲に逃げ出した可能性は残る。ヒアリの国内定着を防ぐには、周辺地域を長期的に監視するとともに、全国で水際対策を強化する必要がある」

「逃亡した」とか「国内定着の危険性」といったようなところは多少気にはなるものの、ここまではまだ割と冷静だ。だがヒアリの被害を書く辺りから社説としてのあるべき冷静さを失っていく。

■「死亡例」「直ちに治療が必要」と過激な表現も

「ヒアリは赤茶色の小型のアリで、体長2.5〜6ミリ。刺されると、やけどのような激しい痛みを感じる。アレルギー性ショック症状を起こすこともあり、米国では死亡例が報告されている。家畜被害もある」
「誤って刺された時はしばらく安静にし、容体が急変するようなら直ちに治療が必要だ。怪しいアリを見つけても、手を触れてはいけない」

「アレルギー性ショック症状」「米国では死亡例」「直ちに治療が必要だ」とかなり過激な表現が続き、だめ押しは「手を触れてはいけない」である。警戒することに越したことはないからだろうが、「ありんこ」と子供たちから親しみを持って呼ばれた子供の友達の「アリ」はどこかに消えている。残念でならない。しかも環境省によると、急性のアレルギー症状のアナフィラキシーが起きる確率は1〜2%とかなり低く、適切な処置を行えば死亡する可能性も低い。

■ヒアリ侵入の経緯を調べるのは難しい

さらに毎日社説はヒアリ警戒の表現が強くなっていく。

「以前から日本への侵入が懸念されており、環境省は外来生物法に基づく『特定外来生物』に指定して警戒してきた。その一環として、全国20余りの主要な港や空港の周辺で年に1度、ヒアリなどがいないかどうかを目視で確認してきた」
「ただ、こうした対応で十分だったのか疑問は残る。ヒアリが日本に運ばれてきた経緯を調べ、水際対策の問題点を洗い出してもらいたい」
「ヒアリは、都市公園や住宅街の空き地など人間の生活圏に入り込む。台湾やマレーシア、中国南部など環太平洋諸国に分布を拡大中で、国際自然保護連合(IUCN)の世界の侵略的外来種ワースト100にもなった悪性度の高い外来種だ」

「特定外来生物」「世界の侵略的外来種ワースト100」という言葉に加え、毎日社説は「ヒアリが日本に運ばれてきた経緯を調べろ」とまで主張する。

いわゆる疫学調査のつもりでこう書いたのであろうが、ヒアリは中国や東南アジアの国々からコンテナの輸入品に紛れ込んできたわけだから調査は困難だろう。しかも大きな体を持つ生物ならまだしも、ミリ単位のアリの痕跡を追いかけるのはちょっと厳しいと思う。

■全国紙で一番遅かった朝日の危機感

次に全国紙の中で一番遅くヒアリテーマの社説を掲載した朝日新聞を読んでみよう。

7月19日付の社説である。見出しは「ヒアリ対策 先例に学び定着阻止を」だ。これも毎日社説同様、冷静ではあるがどこかパッとしない。ただ毎日社説から1カ月近く経過し、その間、日本各地の港湾でヒアリが発見されているだけに危機感が増している。

「さまざまな手段を駆使して、ぜひ定着を阻止したい」
「南米原産のヒアリは1930年代に米国に侵入。21世紀に太平洋を越え、オーストラリアや中国、台湾でも繁殖している」
「モノや人の交流が盛んになるほど外来種は入りこみやすくなる。93年に広島県で見つかったアルゼンチンアリや、95年の大阪府のセアカゴケグモは大きな騒ぎになり、駆除も試みられたが、定着してしまった」
「ヒアリはこれらと比べても、想定される被害がけた違いに大きい。人を刺し、家畜を襲う。電化製品や通信設備の中に入り込み、故障の原因になる。米国では経済損失が年間7千億円にのぼるとの試算もある」

「けた違いに大きい被害」「人を刺す」「家畜を襲う」「電化製品や通信設備の故障の原因」「米国の経済損失は年間7千億円」……。こう強烈な表現を並べ立てられると、読者は不安に落ちるばかりである。

■「生態系」を持ち出す朝日のスノッブさ

さらに「ニュージーランドでは06年に巣が見つかると、半径2キロ圏の土壌などの移動を制限し、殺虫エサや捕獲わなを使った監視を3年間続けて定着を阻んだ」と朝日社説は続ける。

ニュージーランドの成功はNHKなどのテレビニュース番組でも取りあげられた。被害先進国の例を参考にするのは良いことだ。

朝日社説は「私たちも正しい知識で、この問題にのぞむ必要がある」とも主張するが、その通りだ。感染症対策などと同じように人に害を与える生物に対しては正しい知識を持って対処することが何よりも大切である。

「在来種のアリは、農作物や植物を害虫から守ったり、種子を運んだりと、生態系の中で大切な役割を果たしている。殺虫剤でむやみにアリを殺すようなことはせず、落ちついた行動を心がけたい」

最後に朝日社説はこう書くが、確かに「落ち着いた行動」は重要ではある。ただ「生態系」の話まで持ち出すのは、知的ぶって格好付ける朝日新聞らしい気がしてならない。

■「SFTS」も正しい知識を持てば怖くない

ところで7月24日、厚生労働省がこんな発表をしている。

「50代女性が猫にかまれた後に、マダニが媒介するウイルス感染症『重症熱性血小板減少症候群(SFTS)』を発症し、死亡していた。厚労省は、都道府県や獣医師会などに注意を喚起する通達を出した。SFTSで、哺乳類を介して人が死亡したことが判明したのは世界で初めて」

SFTSはウイルス感染症で、数年前からその感染死が新聞やテレビで伝えられてきた。マダニではなく、猫にかまれて感染し、亡くなったというのだからだれもが驚かされるだろう。

最後にこのSFTSについて触れておきたい。

SFTSウイルスに感染すると、高熱が出て下痢や嘔吐などを起こし、血液中の血小板や白血球が減少する。重症化すると、けいれんや意識障害、下血をともなう。ワクチンや抗ウイルス薬はなく、治療は対症療法に限られる。

こう書くと、かなり恐い感染症のように思われるが、インフルエンザのように人から人へとせきやくしゃみで飛沫感染することはない。感染力は弱く、流行する危険性はほとんどない。ウイルスを保有するマダニは1%にも満たないというから、ことさら怖がる必要もない。感染者と濃厚接触して血液や体液に触れるようなことがなければ、感染者から感染することもない。

日本では2013年1月末、初の死者が山口県で確認された後、愛媛、宮崎、広島、長崎……と感染が判明し、そのうち半数が死亡している。

日本で初めて確認され、死者も出たというだけで大騒ぎしてしまう。正しく怖がることがいかに難しいかがよく分かる。ヒアリも同様である。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=Photoshot/アフロ)