〈人気ラーメン店が1年3カ月で閉店〉原因は「味」でも「売上」でもなく…名店「渡なべ」のベテラン店主が明かした“想定外の敵”
東京・高田馬場の人気ラーメン店「札幌 六坊」が閉店する――。その知らせは、多くのラーメンファンに衝撃を与えた。店主は、東京を代表する高田馬場の名店「渡なべ」の渡辺樹庵さん。2002年の創業以来、「濃厚豚骨魚介」の草分けの一店として、ラーメン界に大きな影響を与える存在だ。
【画像】家賃約20万円の「渡なべ」と家賃55万円の「札幌 六坊」の外観違い
全国のご当地ラーメンを研究・再構築するなど、常にラーメン業界をリードしてきた樹庵さんが、自らの経験と技術を注ぎ込んだ新ブランドが、7月31日に閉店し、わずか1年3カ月で幕を閉じることになった。いったい何があったのか。
人気店がわずか1年3カ月で閉店
筆者は「札幌 六坊」をオープン時に取材したが、同店は店主の並々ならぬ意気込みで誕生した店だった。
「渡なべ」の限定営業で提供していた「札幌ブラック」は、提供するたびに固定ファンがつく人気メニューへと成長。「これは一つのブランドとして成立する」と確信し、満を持して専門店として独立させたのが「札幌 六坊」だった。
札幌ラーメンの中華鍋での「あおり製法」を軸に据えながら、味噌だけでなく醤油や塩にも磨きをかける。なかでも札幌ブラックは、濃厚な旨味と香ばしさを兼ね備えた唯一無二の一杯として高い評価を集めた。
雑誌やテレビ、WEBメディアでも数多く紹介され、評判は上々。私自身も「札幌ラーメンの新しいスタンダードになるのでは」と感じたほど完成度の高い店だった。
だからこそ、今回の閉店は「なぜ」という疑問しか浮かばなかった。閉店理由を聞いて、さらに驚かされた。原因は、味でも売上でもなかった。
「油ですよ」
店主の渡辺樹庵さんはそう言い切った。
札幌ラーメン最大の特徴のひとつは、中華鍋でラードを高温に熱し、野菜を豪快に炒め、そこへスープを合わせる独特の調理法にある。あの香ばしさも、熱々のスープも、この工程があってこそ生まれる。
しかし、その代償として大量の油煙が発生する。「渡なべ」で札幌ブラックを限定提供していた頃には気付かなかった。
「限定営業は1カ月くらいだったので、そこまで分からなかったんです」
店の壁が異様にベタつく。掃除をしても、すぐ油でヌルヌルになる。
「オープンして1カ月ぐらいで、スタッフから『業者を入れて掃除してほしい』と言われました。毎日掃除しても追いつかない、と」
そこで月2回、専門業者による清掃を導入した。しかし、それでも状況は改善しなかった。
決定的だったのは、客席の換気扇だった。営業中、換気扇の上から黒い油が「ボトッ」と落ちてきた。
「『何これ!?』って思ってスタッフに聞いたら、『油がたまって落ちてくるんです』って。もしお客さんに当たったら最悪じゃないですか」
「24年間やっていても知らなかった」ベテラン店主の誤算
さらに追い打ちをかけたのが、券売機だった。設置してまだ半年ほどしか経っていないにもかかわらず、内部から異音が聞こえるようになった。
「これも油が基板にまで入り込んでいるんじゃないか、と。もう全部つながっちゃったんですよね。これはこのまま続けられないな、と」
壁、換気扇、券売機……油煙の影響が店内各所に及んでいたという。取材中、最も印象に残ったのは、樹庵さんがぽつりと漏らしたこの一言だった。
「24年間ラーメン屋をやっていて、まだ知らないことがあったんですよ」
24年。数え切れないほどのラーメンを作り、数多くの店をプロデュースしてきた職人である。それでも今回初めて知った世界があった。
「鍋を振る業態を本格的にやってこなかったんですよね」
そう語る樹庵さんは、この問題に気付いてから、札幌ラーメン店の厨房を意識して見るようになったという。
「厨房の煙がちゃんと流れているかを見るようになりました。壁から直接外へ排気している店はやっぱり強いんですよ。逆に煙が客席側へ流れている店を見ると、『ここ大丈夫かな』って思うようになりました」
経験豊富な店主ほど、自分の成功体験に頼ってしまいがちだ。
しかし樹庵さんは違った。今回の出来事を設備会社や物件のせいにするのではなく、「自分が知らなかったこと」として受け止め、新たな学びへと変えていた。その姿勢こそが、24年間第一線を走り続けられる理由なのだろう。
一方で、現実問題として、このまま店を閉めるわけにはいかなかった。「札幌 六坊」は、スケルトン状態だった物件を一から造り上げた店舗だ。工事費は約4000万円。オープンから1年3カ月では、とても回収できる金額ではない。
だからこそ樹庵さんは、「閉店」ではなく「リニューアル」という道を選ぶことになる。
「このまま閉店するわけにはいかない」
そう決意した樹庵さんだったが、新しい業態はすぐには決まらなかった。
月550万円を売れる一杯とは? 店主を悩ませた家賃の壁
実は、「札幌 六坊」の閉店を決断したのは今年に入って間もない頃だったという。
「1月ぐらいから、『もうこのままじゃ難しいな』と考え始めました。本当は4月、5月ぐらいにはリニューアルできればと思っていたんです。でも全然決まらなかった」
最初に有力だったのは、背脂ラーメン専門店だった。限定営業でも好評だった一杯を軸に据えようと考え、試作を重ねた。商品写真を撮るためにカメラマンまで呼び、撮影も済ませた。
ところが、最後の最後で首を横に振った。
「違うよね、ってなっちゃったんですよ」
その判断の背景には、店を経営する立場ならではの現実があった。
「この場所で(月商)550万円売れるラーメンは何か」
「渡なべ」の家賃は約20万円。一方、「札幌 六坊」は約55万円だ。
「飲食店って、家賃は売上の10%以内に抑えたいんですよ。だから、この店なら最低でも月550万円は売らなきゃいけない」
つまり考えるべきは、「自分が作りたいラーメン」ではない。この場所で、多くのお客さんにわざわざ足を運んでもらえるラーメンは何か。それだった。
「高田馬場駅から少し歩く場所でしょう。ふらっと入る立地じゃない。だったら『わざわざ食べに来たい』と思ってもらえる商品じゃないといけないんです」
背脂ラーメンは美味しい。しかし、樹庵さんは、新宿や渋谷なら成立してもこの場所では違うと判断した。ラーメンそのものだけではなく、立地、家賃、客層まで含めて考える。ラーメン職人であると同時に、一人の経営者としての決断だった。
実は「渡なべ」ブランドには、短命に終わった店がいくつかある。
渋谷・麺喰王国に出店した「[keiz]」。
西早稲田の「TOKYO NOODLE 六坊」。
どちらも約2年で営業を終えている。しかし、その理由はいずれも「立ち退き」だった。商業施設の閉館や建物の事情によるもので、今回とは事情が異なるという。
でも今回は違う。「油」ですべてが変わってしまった。
「完全に予定外でした」
そう苦笑する樹庵さんの表情からは、悔しさがにじんでいた。
ところが、不思議なことに、取材が進むにつれて樹庵さんの表情は次第に明るくなっていった。話題は、新しい店の構想へ移っていく。
「ラーメンって、正解が一つじゃない」
新ブランドの名前は「ROKUBO TOKYO」。看板は二枚。
一つは、岡山の名店「天神そば」をオマージュした鶏主体の中華そば。もう一つは、大分県佐伯市のご当地ラーメン「佐伯ラーメン」だ。
どちらも、全国のラーメン文化を長年研究してきた樹庵さんらしい選択である。「天神そば」をオマージュした中華そばも、(大分)佐伯ラーメンも一般から見ればマニアックだ。
しかし、一つ一つはマニアックだったとしても、二枚看板で戦えば月550万円は達成可能と考えた。さらに今回の取材で印象的だったのは、新ブランドそのものよりも、その背景にある考え方の変化だった。
「昔は、各地のご当地ラーメンを“自分の技術の中で”作ろうとしていたんです」
若い頃は、「世の中にないラーメンを作りたい」という思いが何より強かった。「渡なべ」で濃厚魚介豚骨という新しいジャンルを確立したことは、その象徴でもある。
だが今は違う。
「その土地のラーメンって、どういう考え方で作られているんだろう。どういう技術を使っているんだろうって、そこから考えるようになりました」
全国を歩き、店主と話し、昔の資料を読み込み、動画を見て研究する。そこで得た技術を、自分のものとして吸収していく。
「今でも『こんな作り方があるんだ』って思うことがある。それが楽しくてしょうがないんですよ」
樹庵さんの考え方に大きな影響を与えたのが、多くのラーメン職人との交流だった。
「ラーメンって、正解が一つじゃないんですよ。職人の数だけやり方がある」
以前の自分なら取り入れなかったような技術も、今では積極的に学ぶ。
「昔は余計な知識はいらないと思っていたかもしれない。でも今は違います。師匠は一人じゃない。全国にいるんですよ」
その言葉を聞いていると、「札幌 六坊」の閉店は、決して後ろ向きな出来事ではなかったように思えてくる。
失敗を経験したからこそ、新しい知識を貪欲に吸収し、新しいラーメンへとつなげていく。その姿勢こそ、24年間第一線で走り続けてきた理由なのだろう。
「失敗」で終わらせない…閉店から始まる次の一杯
ラーメン店の閉店というニュースだけを見れば、「失敗」という言葉で片付けられてしまうかもしれない。
しかし、「札幌 六坊」の物語は、それほど単純ではない。人気メニューを専門店へ昇華させ、多くのファンを獲得しながらも、札幌ラーメン特有の油煙という思わぬ壁に直面した。
24年の経験を持つ店主でさえ、「まだ知らないことがあった」と認めるほど、ラーメンという世界は奥深い。
そして、その経験を糧に、新たなブランド「ROKUBO TOKYO」が生まれようとしている。
取材を終えて感じたのは、樹庵さんは閉店の話をしているようで、その実、未来の話をしていたということだった。
「24年間やっていても、まだ学ぶことがある」
その言葉を口にした時の表情は、ベテラン職人というより、新しいラーメンに出会った若い作り手のように生き生きとしていた。
「札幌 六坊」は幕を閉じる。だが、この1年3カ月が渡辺樹庵さんにもたらしたものは、決して小さくない。失敗ではなく、次の一杯をもっとおいしくするための経験。
そう考えれば、「札幌 六坊」の物語は、ここで終わりではない。「ROKUBO TOKYO」という新しい挑戦から、その続きが始まる。
取材・文・写真/井手隊長

