「なぜ速度が落ちないのか」死傷者12人、妻と娘を失った男性も…《池袋暴走事故》加害者・飯塚幸三が見た「大惨事の予兆」〉から続く

「なぜ速度が落ちないのか」――。意図に反して急加速する車体、鳴り響く異音。パニックに陥りペダルの感覚を失った飯塚は、わずか数秒の間に制御不能の暴走状態へと突入していく。

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 2019年4月19日――池袋の街に混乱を招き、12人の死傷者を出した「池袋高齢者暴走事故」。87歳の飯塚幸三氏が乗る愛車プリウスはなぜ80キロを超える猛スピードで暴走し続けたのか。

 守田哲氏の新刊『池袋高齢者暴走事故 遺族と加害者家族の2060日』(文藝春秋)より、加害者である飯塚氏が運転していた車のドライブレコーダーの映像などをもとに再現した「事故の瞬間」をお届けする。(全3回の2回目/つづきを読む)


池袋で暴走した車にはねられ母子が死亡した事故現場で実況見分する警視庁の捜査員ら(写真:時事通信社)

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急ハンドルに悲鳴を上げる車

 何とか左折を果たし、護国寺方面に向かう片側二車線の直線道路に進入する。

 飯塚は声を上げる。妻と話す余裕は一切なくなった。前にスズキの二五〇ccのバイクが現れた。咄嗟にハンドルを切って右に車線変更する。ウィンカーを出す余裕は全くない。一旦は難を逃れるが、今度は七〇代の男性が運転するレンタカー(ホンダ「フィット」)が現れ、車間距離が一気に詰まる。

 再度、左への車線変更を決断する。さきほどのスズキのバイクを追い越す格好でその前方に飛び出す。追い越したくて追い越したわけではない。車をコントロールできず、追突を避けるために結果的に追い越したのだ。

 急ハンドルに車が悲鳴を上げる。タイヤが路面のアスファルトと激しく摩擦を起こし、ドリフト走行の際に発生するスキール音が発生する。

「あぶっ」

 目まぐるしく変わる状況に、「危ない」と言い切る余裕はなかった。飯塚はわずか約七〇メートルの間に、あわせて三度の車線変更を行った。時刻は〇時二三分二九秒。最初の車線変更から三秒間の出来事だった。

最初の事故

 事故後、バイクを運転していた野口昌也が現場を訪れ、当時の状況を証言した。五四歳の野口は「葛飾セーフティーツーリング」に所属しており、警視庁の安全講習に長年参加して、普段から安全運転を心掛けている。

 野口は歌手の浜田麻里の長年のファンだ。彼女の三五周年ライブに参加するため、千代田区北の丸公園にある日本武道館に向かう途中だった。

 開演は午後六時三〇分だったが、会場近くに駐車場がなく、グッズの販売開始時刻に間に合うように行こうと、当日はかなり早く家を出ていた。飯塚の車と野口のバイクの距離はわずか一メートルに感じられるほど迫っていたという。

「頭の中が真っ白になりました。あおり運転だと思い、そのまま停車させられるかと全身に緊張感が走りました」

 野口は急いでバイクを停め、視界の中で小さくなる暴走車の行方を呆然としながら凝視した。

 飯塚の車は金切り音を上げ、一気に左に横滑りして歩道に突っ込んでいった。飯塚は「ガードパイプ(歩道用防護柵)に擦ってもいいから車を止めよう」という決死の覚悟だった。

 事態が飲み込めていない妻が初めて恐怖を漏らした。

「あぶないっ」

 ところが――。ガンガンと音を立て、歩道側の縁石に接触したのだ。

 飯塚が「わっ」という悲鳴を上げる。大きな衝撃音とともに、助手席側の前輪のホイールキャップが吹っ飛んだ。地下鉄有楽町線の東池袋駅の二番出口付近の縁石に、タイヤが接触した痕が残った。

 これが、池袋暴走事故における最初の事故となった。

「警察から追われているのではないか」

 縁石のそばでは、ホンダ車の販売店が営業中だった。五〇代の男性スタッフは二階の休憩室でランチを食べていると、タイヤが空転するような“キュルキュル〞という音が聞こえ、外を見ると車が猛スピードで走っていった。あまりの迫力に時速一〇〇キロメートルは出ていると錯覚した。

 二〇代の女性スタッフは、一階で客に出した飲み物を片付けている最中に暴走を目撃した。他の車を追い抜こうとしているように見えた。二人とも「警察から追われているのではないか」と感じ、車が視界から消えたのち大きな音が聞こえた。それが縁石との接触音だった。

 この縁石と同じ通りにあった包装専門店の女性店員も、大きな音を聞いて店の外に飛び出した。対面の首都高速の高架下にあるカフェの女性客も、その様子を呆気にとられて眺めていた。時刻は暴走から五秒目の〇時二三分三一秒。

 車は時速七〇キロメートル近くに達していたが、縁石との接触をきっかけに轟音は一旦収まる。この時の状況を説明した飯塚の事故後の供述が、後に大きな争点になる。

「アクセルの状態を確認するため運転しながら足元を見たところ、右足を離しているにもかかわらず、アクセルが張り付いていました。見たのは一瞬で、右足を上げないとアクセルが隠れてしまい見ることができなかったので、右足を上げて確認しました。見た姿勢は、頭の位置も変えずに目線だけ足元に向けて確認しました」

 そして、飯塚の車は再度加速する。飯塚はパニックになり、自分の足をどのペダルに置いているのか感覚を失う。

暴走をやめない飯塚の車

 飯塚はこのときの轟音を「高速道路のインターチェンジで、本線に合流する際に急加速したときの音」にたとえている。目撃者らの証言を総合すると、この轟音はエンジン音と、タイヤがアスファルトを切りつける音が合わさったものだったとみられる。

 飯塚は車を何とか制御しようと、もがいた。だが、車は暴走をやめない。気づいたときには時速八四キロメートルで赤信号の横断歩道に突っ込もうとしていた。この交差点は、「第一現場」と呼ばれている。左側の歩道には七人ほどの歩行者と自転車一台が信号待ちをしていた。

 信号が青に変わり、複数の歩行者が少しだけ動くが、縁石との接触音に気づいて足を止める。

 日傘を差した女性は、気づくのが遅れ、横断歩道に一歩踏み出したが、「あっ」という表情をみせ、すぐ足を戻し、間一髪難を逃れた。

 ハンチング帽を被り、自転車に乗っていた石川憲一(仮名、七八歳)は、自宅から仕事先に行く途中だった。一、二メートル程度漕ぎ出してからやっと異変に気づき足を地面につけて車の方向を一瞥する。しかし、手遅れだった。この間、わずか一秒。

 飯塚の妻が「あぶないっ」と叫び、飯塚も「あっ!」と声を漏らす。夫妻の声と同時に、「バン!」という鈍い衝撃音が響く。車のナンバーやバンパーが、石川の自転車の後輪とチェーンホイールに思い切り接触したのだ。飯塚は一瞬の出来事を理解できていなかった。指定速度で走行し、自転車が自車と同じ方向へ走っていると思い込んでいた。また、咄嗟にハンドルを右に切り、自転車を避けられたと勘違いしていた。飯塚の認識は眼前の現実とは真逆だったのだ。

 その後も、左車線を走っていたが、右車線を通っていると誤認していた。

 石川は数メートル上まで撥ね上げられ、地面にうつ伏せの状態で叩きつけられた。

 自転車はサドルの上部分が吹っ飛んだ。後ろから一部始終を目撃した野口昌也のジャンパー下の肌に、じわりと汗が滲んだ。

 通行人が撮影した映像には、野口がバイクに乗ったまま、石川のもとにかけつける様子が写っていた。東池袋交差点で取り締まりをしていた白バイもサイレンを鳴らしながらかけつけた。警視庁は発生と同時に事故を認知した。

「死んでる?」「意識は?」

 通行人から「死んでる?」「意識は?」という声が上がる。石川の救護にあたった複数人のうち一人の男性が「橈骨(肘から手首までの前腕にある二本の骨のうち親指側にある骨)に反応あり。意識もあります」と話した。野口は「この人は医療関係の知識があるかもしれない」と考えて、救護は彼らに任せ、自分はバイクのハザードランプをつけて車両規制を行った。

 石川のもとに、また別の三〇代の女性が駆け寄った。看護師の資格を持ったこの女性は池袋から自宅に徒歩で戻る途中でたまたま事故に遭遇した。石川の顔からは鼻血が大量に出ていた。

 そして、リュックサックの紐が肩に食い込んで苦しそうだった。女性は近くの店舗に行き、はさみを借りた。会話ができず、起き上がろうとする石川に、「動かないでください。リュックの紐を切りますよ」と声をかけ、刃を入れた。

 このときの様子を、石川が事故後に証言した。石川は七八歳という実年齢よりも若々しく、趣味も若者的だった。乗っていた自転車はジャイアント社製で二四段の変速ギアがついているクロスバイク。

「私は自転車が好きなもんで、乗っていたやつもいい値段がしたんですよ」

歯は4本折れ、手足も骨折し…

 車に撥ねられた時の記憶はないが、意識が戻ると、救急隊員から「服をはさみで切ってもいいですか」と聞かれた。痛みのため、まともに話をすることができなかった。携帯電話を救急隊員に渡し、家族に電話して事故のことを伝えるよう頼んだ。

 搬送後の病院で家族が撮影した写真がある。石川は仰向けの状態で首を固定されて目を閉じていた。顔面のあちこちの皮膚が腫れ上がり、一部は剝がれて赤くなっていた。歯も四本折れ、手足も骨折し、包帯でぐるぐる巻きになっていた。

 脊髄も損傷し、診断書は〈約三か月の加療を要する〉と結論づけていた。石川は「命に別状はない」という診断だったが、死を覚悟したという。警察発表や報道で「重傷」「軽傷」という言葉が使われるが、それだけでは実態が伝わらない。「軽傷」は全治三〇日未満だが、靭帯損傷など長期治療が必要な場合があり、全治三〇日以上の「重傷」も重い後遺症が残る場合がある。

 再びドラレコの映像に戻る。時刻は〇時二三分三三秒、暴走から七秒目。次の交差点まで、約七四メートルの直線上に先行車はない。妻は「ああっ」、飯塚は「あー」、車内に悲鳴が響く。

 暴走から八秒目。江古田二又からサンシャインシティ南を結ぶ国際興業バスの路線「池〇七系統」の停留所「豊島区役所」の前を瞬時に通過する。バス待ちの客はいない。

 暴走から九秒目。右車線で黒のプリウスが信号待ちをしていた。この車のサイドミラーに飯塚の車が映る。しかし、ドライバーの男性が気づくか気づかない間に、飯塚の車は時速八四キロメートルから九六キロメートル近くに到達する。

「日出町第二公園交差点」の横断歩道が眼前に迫る。ここは「第二現場」と呼ばれている。

「もうどうしようもない!」

 飯塚が声を震わせる。

「あー、どうしたんだろう」

 妻が「どうしたの!」と金切り声を上げる。暴走から一〇秒目。その瞬間、ドラレコ画面の右から何かがフレームインする。飯塚は危険を感じつつ、絶望的な気持ちでブレーキを踏み込んだという。

――ダメだ! もうどうしようもない! 間に合わない!

 異変を感じてからここまでの距離は約二五〇メートル。

 第一現場からその様子を見ていた野口は、こう証言した。

「何かが飛んだんです」

「何かが飛んだんです。何かが。そのときは、よくわからなかったのですが……」

 こんな悲劇は、絶対に繰り返してはいけない――。そう心の底から願う人々の記録が本書だ。

〈「こんな悲劇は繰り返してはいけない」事故から7年たった今なぜ…? TBS記者が“加害者の長男”を説得してまで《池袋暴走事故》を本にした理由〉へ続く

(守田 哲)