どうすればいいんだとつぶやいた琢己さんに、「自分で考えろ」と息子は告げた

写真拡大

【前後編の後編/前編を読む】14歳年上の人妻教師に恋した中学生 「男として認められた」8年かけて思いを告げるまで

 新藤琢己さん(47歳・仮名=以下同)は、中学時代、新任の数学教師・麻由美さんに恋心を抱いた。近づきたい一心で成績を伸ばしたものの、麻由美さんは14歳年上で、しかも新婚だった。中学卒業後も思いを断ち切れず、さらに妊娠を知って琢己さんは深い喪失感に沈んだ。その後、大学浪人時代に通った予備校で、講師になった麻由美さんと再会。距離を縮めた琢己さんは、家庭の問題を抱える彼女へ長年の思いを告げる。すると麻由美さんは泣き出し、二人の関係は静かに形を変え始めた。

 ***

【写真を見る】「夫が19歳女子大生と外泊報道」で離婚した女優、離婚の際「僕の財産は全部捧げる」と財産贈与した歌手など【「熟年離婚」した芸能人11人】

 麻由美さんは琢己さんに「好き」という言葉は出さなかった。だがどれほど彼を愛おしく思い、大事に考えながら生きてきたかは伝えてくれた。

どうすればいいんだとつぶやいた琢己さんに、「自分で考えろ」と息子は告げた

 就職してひとり暮らしを始めた。仕事に慣れるにつれ、彼は麻由美さんと共に生活することを夢見るようになった。それほど突飛な話ではないはずだとも思った。

「だけどある日、彼女から『夫が転勤することになった。もう会えない』と言われました。僕ら、別れ際の握手しかしていない関係でした。僕も泣いたけど、彼女も泣いていた。子どものためにしかたがないのと彼女がつぶやいたとき、『子どもはきっと両親の険悪な雰囲気をわかってると思う』と言ってしまいました。当時、彼女のひとり息子は、たぶん10歳くらいだったのかな。もう少ししたら、僕のように年上の女性に恋をするかもしれないとも言った。脅しのように聞こえたかもしれません。だからこそ、私はあなたと離れなければいけないのと言われました」

 それ以上は押せなかった。当時、25歳だった彼も、10歳の息子の父親として生きていけるのかと問われると自信はなかったが、彼女が望むなら、息子とフランクにつきあってみせるとも思っていた。兄弟のように過ごせばいいのではないかと。だが彼女は悲しそうに首を横に振った。

失恋後に出会った芙実さん

 彼女のいない人生が訪れた。仕事だけはきちんとしているつもりだったが、あるとき上司に呼ばれて「最近、やる気が見えない」と叱られた。きみには期待していたのに、もっときみらしさを発揮してほしいとも言われた。

「僕は好きな女性を失って、半分、死んでるんですと言いました。上司はしばらく黙っていましたが、『冷静なところと、そういう情熱をもっているところがきみのいいところだ』と言いだして。全然わかってないと思ったけど、大人はそう見るんだろうなとも感じましたね」

 その上司に飲みに誘われ、引き合わされたのが芙実さんだった。きれいな人だった。心もきれいで穏やかだった。同い年だったが話を聞くときの表情が「自分のすべてを受け入れてくれるような菩薩顔」だったそうだ。惹かれたというより、「すがりたくなった」と彼は言う。

ハネムーンベイビーに恵まれて

 喪失感のあまり、彼は何か目に見える成果がほしかったのかもしれない。話は一気に進み、半年後には結婚式を挙げた。26歳だった。芙実さんとのデートは3回しかしていない。その後は結婚式の準備に追われ、事務的なことばかり話していた。

「芙実はめんどうなことを全部引き受けてくれました。席順なども、僕に聞きながら彼女が作ってくれたし、招待状の文面やデザインなども彼女が心を込めて作った。アットホームな温かい披露宴にしたいというのが彼女の望みでした。僕は報告を聞きながら『うん、いいね』しか言ってないと思う」

 新婚旅行で初めて結ばれた。彼女は男性を知らなかった。彼も、実は風俗以外の女性は知らなかった。お互いに異性に対して疎いことがわかって、ふたりの心は寄り添い始めたという。

「ハネムーンベイビーができました。これで落ち着いて生活ができる。自分の生まれ育った家庭を思い出し、あんなふうに子どものために生きていけばいいんだと思えたんです」

 心のどこかにぽっかりあいた穴を感じながらも、そこを埋めようという思いは薄れていった。穴は穴として置いておけばいいと思った。他のものでは代用できないのだから。

「27歳で父親になり、子どもだけは裏切れないという思いで仕事をしていました。芙実はしばらく子育てに専念したいと仕事を辞めました。家庭のことは彼女に任せたほうがうまくマネジメントしてくれると思ったので、僕は仕事と次の休みはどうしようということばかり考えていました。幸せな家庭生活だったと思う」

ところが、二度目の再会…

 34歳のとき、かつて通っていた予備校の近くに仕事で訪れたことがある。懐かしくなって予備校の前まで行ってみると、門を出てくる麻由美さんと真正面からばったり会った。

「電気に打たれたみたいに立ち止まって固まりました。彼女も固まっていた。何かに導かれたとしか思えなかった。そのままカフェに入って、お互いに現状報告をしたんです。彼女は夫の転勤で戻ってきた。息子も高校生だからまた仕事を始めようと思って相談に来たところだと言っていました。転勤先でも塾講師などを続けていたようです。僕が結婚して、やはり息子がひとりいると伝えたら、彼女は『そう』と言って顔を背けました。涙がぽろっとこぼれたのを見て、いてもたってもいられなくなった」

「誰も僕らを止められない」

 彼女の手をつかんで店を出た。そのままタクシーに乗ってホテルへ行った。麻由美さんは一言も声を発しなかった。彼もまた、何も言わなかった。

「もう誰も僕らを止められないはずだと思いました」

 夢のような、だが嵐のような時間を過ごしたあと、彼は「家を出る。あなたもそうしてほしい」と言った。無理よと彼女は小声で言った。でも、もう会わないわけにはいかない。そう思ってるでしょと迫ると彼女は頷いた。

「息子は高校を卒業したら留学する予定なのと彼女が言うんです。だったら息子さんが家を出たタイミングで一緒に暮らそう、僕らはもうそうするしかない。本当にそう思いました。半年後に一緒に暮らす。それを夢見て準備を進めました」

 社内預金を取り崩してアパートを借りる。どのあたりに住もうか。経済的には苦しくなるだろうが、ふたりで働けばなんとかなる。あてもなくそう思った。

麻由美さんの離婚

 そして数ヶ月後、彼は借りたアパートにときどき泊まるようになった。仕事が忙しくて帰れないことが増えるかもしれないとそれとなく妻に伏線を張った。妻は「体には気をつけて」とだけ言った。

 さらに数ヶ月後、麻由美さんが「家を飛び出してきた」と、息を切らしてアパートに到着した。離婚届は置いてきたが、夫がすんなり離婚するとは思えない。でも何があっても、もう私は動じないと宣言した。たくましくて美しかった。

「それからいろいろありましたが、5年かけて彼女の離婚が成立しました。逆に僕のほうが離婚できないままで。妻は頑なでした。もちろん調停、裁判と進めば離婚も成立すると思うけど、麻由美が『いいじゃない、このままでも』って。妻からはときどき息子の写真が送られてきたけど、おいそれと自宅に顔を出せないですよ。申し訳なくて。だから離婚を迫るのもやめたんです」

 麻由美さんとの生活は、なんの不満もなかった。おさまるべきところにおさまっている安心感があった。昨年、彼女が60歳になったとき、彼はまだ46歳だった。「年上すぎて悲しい」と言ったが、彼自身はそれほど年の差を感じたこともないし、彼女のシワさえ愛していると面と向かって言った。

息子からの衝撃の告白

 つい数ヶ月前、息子から久しぶりに連絡があった。息子が高校生になったころからときどき会っていたのだが、20歳になったので奢れ、小料理屋の個室を予約してほしいという。一緒に酒でも飲みたいのだろうと心浮き立つ気分で会ってみると、「おかあさん、余命半年なんだ」と息子はつぶやいた。

「責任、感じるだろと息子は脅すように言いました。そんな言い方をしなくても、責任はじゅうぶん感じていると返しました。進行性のがんだそうです。どうすればいいんだとつぶやいたら、『自分で考えろ』と息子に突き放されました。彼はそれが言いたかったんでしょう。息子と酒が飲めるなんて考えた自分が甘かった。僕は許されてはいないんだと痛感しました」

 もし会ってもいいとおかあさんが言うなら連絡してほしいと息子にはメッセージを送ったが、息子からは無視されている。余命半年が本当かどうかわからないけどと、麻由美さんにことの次第を話すと、「とりあえず調べてみたらどうかしら。あなたは法的に夫なんだから」と冷静に言われた。確かにそうだったと、彼は息子から聞いた病院に連絡、主治医に会いに行った。

「病状説明は受けました。別居されていると息子さんから聞いていると主治医に言われて、いろいろ事情がありましてと恐縮するしかなかった。妻に会えるかと聞くと、本人の意思を確認しますと言われて。結局、妻からは拒絶されました」

息子の言葉にカチンと

 とぼとぼと病院を出ようとしたとき、息子に会った。「申し訳ないとおかあさんに伝えてほしい」と言ったが息子は彼を見ようともしなかった。

「彼らが生活できるだけのお金は渡していたけど、息子が恨んでいるのはそんなことじゃないんでしょう。そのとき僕を無視して行きかけた息子が、振り返って言ったんです。『人を裏切って、人を雑巾のように捨てたやつは、ろくな死に方しないと思うよ』と。僕も大声で言いました。『きみに言われなくてもわかってる』と。ちょっとだけですが、大人をバカにするなと思いました。こっちだって覚悟の上だったんですから」

 開き直りではないと琢己さんは言う。あのときはああするしかない、あとで深い後悔にさいなまれても、この道を行くと決めたのだ、と。

「帰宅して、正直に麻由美にすべて話しました。麻由美は、私も同じ覚悟をしてるからと僕の手を握ってくれた」

 余命半年と告げられた妻の、その時期がもうじきくる。息子からは連絡がないままだ。どういうことになろうとも、息子にどうなじられようとも、彼はすべて受け止めるつもりだと訥々と、だが静かな情熱が感じられるような口調で言った。

 ***

 妻子から拒否されても、琢己さんは麻由美さんを選んだことは「覚悟の上だった」と語る。記事前編では、“麻由美先生”との出会いからの経緯を紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部