パラ陸上・井谷俊介「自分の挑戦で誰かを喜ばせたい」…アジアパラで狙うダブル「金」
三重県大紀町出身でパラ陸上の井谷俊介選手(31)(SMBC日興証券)は、愛知・名古屋アジアパラ大会(読売新聞社協賛)の200メートルと、走り幅跳びで金メダルを目指している。
バイク事故で右膝下を失ったが、今の自分を肯定し、陸上に人生を懸ける。(小林加央)
10センチ長く調整
「不運だったが、不幸ではない。脚がなくなっていなければ、人生を懸けるものに出合えなかった」
6月下旬、練習拠点としている愛知県一宮市の陸上競技場で、スタート練習を黙々と繰り返していた井谷選手は、前を見据える。片脚に義足を付ける「T64クラス」での金メダルが目標だ。

右脚の義足は左の健脚よりもあえて10センチ長くセッティングしている。コーナーで体を左に傾けた際、地面を捉えやすくする狙いだが、義足が長すぎると直線での走りのリズムが崩れてしまう。「さじ加減が本当に難しい」と義足調整に細心の注意を払う。
大学2年だった16年2月、バイクに乗っていた時に交差点で車と衝突。ドクターヘリで病院に搬送され、目が覚めると脚が動かないことに気づいた。触られても感覚がなく、包帯を外すと、脚は壊死して黒くなっていた。医師からは「壊死が進んだ場合、膝が残せない。今切れば膝は残せる」と伝えられた。手術で右膝下を切断し、同年5月に母の勧めでパラ陸上に出合った。

初めて義足で地面を蹴り、耳元を抜けていった風の音と感覚は今でもはっきりと覚えている。「自分の力で前に進んでいる」。失って初めて知る、走ることへの喜びだった。
東京パラ出場できず酒浸り
18年から本格的に競技を始めるとすぐに頭角を現した。同年のジャカルタ・アジアパラ大会の100メートルで優勝。一方、活躍がメディアに注目され、スポンサーがつくようになると、心の中におごりも生まれた。

「自分がすごいから結果が出るんだ」。走る目的はいつしか「誰かを喜ばせるため」から「実力を証明するため」へと変わっていった。
練習は手を抜くようになり、21年の東京パラリンピックの代表切符を逃すと酒に溺れる日々に。朝方まで酒を飲み、二日酔いのまま競技場に向かう生活を続ける。トレーナーからは「もう一人でやれ」と突き放された。
同年冬のある日、かつて義足の購入や活動経費などを支援してくれた恩師から電話がかかってきた。
「お前は今、どこで何をしているんだ。何に向かって頑張っているんだ」。約1時間の電話で、自分が走るようになったきっかけや、東京パラに出られず、我がことのように悔しがってくれた支援者たちの顔が次々と浮かんだ。
「もう一度、自分の挑戦で誰かを喜ばせたい、笑顔にしたい。そのために走る」

一度離れてしまったトレーナーに頭を下げ、再びトラックに向き合い始めた。23年中国・杭州アジアパラ競技大会では200メートル(義足T64)をアジア新記録で優勝した。
「また脚のない人生を」
今秋に控える地元・東海地方でのアジアパラ大会は特別な決意で臨む。競技人生は次の28年ロサンゼルス・パラリンピックを最後と決めているからだ。

「日本開催は(自分の競技人生で)今後ない。より特別に感じるし、挑戦している姿を多くの人に見てもらえる」。目標は連覇がかかる200メートルと昨年から始めた走り幅跳びでの2冠と言い切る。
かつては脚を失ったことに絶望したが、今は義足を「自分の能力を拡張してくれるもの」と捉えている。特に幅跳びの踏み切りの瞬間は肉体と道具がかみ合い、健脚以上の跳躍力を生み出していると実感する。

事故に遭ったことは悲観的に捉えていないといい、真っすぐな視線でこう言い切った。「もし人生をもう一度やり直せるとしても、また脚のない人生を選ぶ」。失って初めて知った「走る喜び」を胸に、地元・東海から世界へ再び挑む。

