「嬢を“駒”として見ている自分に気づいた」キャバクラのボーイを経て就職。即プロポーズするほど好きになった3歳年上女性に見抜かれたもの
【前後編の前編/後編を読む】不倫相手はなぜか皆「1年ほど」で去っていった。後腐れなくラッキーだと思っていたら…妻が見せた“便せん”で52歳夫が知った真実
因果は巡るという。オカルティックなことは信じないタチだが、それでもときおり、不思議な因縁とか驚くような偶然とかがあるのは確かだ。とはいえ、そこにとらわれると人は前には進めなくなる。
「いやあ、50歳を過ぎて、人生初の衝撃の連続でした。20歳の娘が思いもよらない告白をしてきて、その後、もっといろいろなことが明らかになって……。人生、どこでなにが起こるかわからない。今もそのときの余波を受けながら生活している気分です」
藤沢尚彦さん(52歳・仮名=以下同)は、まいったという表情でそう言った。自らの人生は誰にも語れないと思っていたが、今、他人に話すことに何か意味があり、今後を生きるきっかけがつかめるかもしれないともつぶやいた。

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あだ名は「ぼっちゃん」
尚彦さんは中部地方の県庁所在地で生まれ育った。商店を営む父と母、7歳違いの兄と5歳違いの姉のいる末っ子で、甘やかされていたという。
「子どものころは小さかったんですよ。小学校に上がったとき姉が6年生だったから、毎朝、姉が僕のランドセルを持ってくれて一緒に登校していました。周りからはからかわれて、あだ名は『ぼっちゃん』だった。2年生になると姉は卒業していたので自分で背負っていきましたけど、ランドセルって重いなあと思ってました」
小学校中学年から急に体が大きくなり、それと同時に生来の活発な側面が表れた。野球やサッカーなどのスポーツが大好きで、運動会では花形。だが勉強は今ひとつ。そんな典型的な「やんちゃな男の子」だった。中学でもそれは続き、「外見がいいわけでもないのに、バレンタインでは下駄箱にチョコがいくつも入っていた」という。モテモテの男の子だったわけだ。
「まあ、悪い気はしませんでした。今思えば、自己肯定感の塊だった。僕ね、自分について悩んだことがなかったんですよ。コンプレックスなんて感じる暇もなく、毎日を楽しんでいた。おめでたいヤツだったんだと思います」
バブル崩壊で変わった大学生活
兄と姉は大学進学のために家を離れていったから、中学生以降は父母との3人暮らしとなった。手広く商売をしていたわけでもないのにお金の心配をしたことがなかったのは、父の一族がそのあたりの地主だったからだ。
「贅沢はしなかったけど、ほしいものはだいたい買ってもらえたし、兄も姉も大学時代はアパート暮らしをしていたみたいだし。僕も当然、大阪か東京の大学へ行くものだと思っていました」
東京の「そこそこの私立大学」に入学したが、2年生になったころ、父から「学費は払うが生活費の仕送りはできなくなりそうだ」と連絡があった。どうやらバブルが弾けた余波が地方都市にもやってきたということだったらしい。
「父は兄弟も多かったので、とんでもなく損した叔父とか失踪した伯母一家とか、いろいろあったみたいですね。僕らにはあまり知らされていなかったけど、あのころ両親はかなり苦労したみたいです」
実家が所有していた不動産が競売にかけられ、尚彦さんの家の前に怪しい男たちがたむろしていたとも地元の友人から聞いた。それでもなんとか借金もせず、父は商売だけは続けることができた。
「生活費は自分で稼ぐしかなくなりました。塾の講師とか引っ越しのバイトとか、いろいろな仕事をしたけど、いちばん長く続いたのはキャバクラの裏方です。最初は下働きだったんですが、そのうち、嬢たちの世話を焼いたりもめごとを仲裁したりするようになって。それが妙に楽しかったんですよ。人の欲望や悪意や、逆に本当の誠意や真心など、毎日、いろいろなものを見せられた」
キャバクラの裏方で見たもの
濃い人間関係もそこここで勃発していた。男に騙されて金をとられて落ちていく女もいれば、逆に男を踏み台にしてのし上がっていく女もいる。客と嬢、接客される側とする側との関係、そして店の戦略と客の攻防などが透けて見えた。
「店からは『きみには天性の人裁きの才能がある。うちに就職しないか』と誘われました。このままマネージャーになって、そのうち店の経営に携わるのもいいかなと思ったんですが、やっぱり水商売は浮き沈みが激しい。それにそういう仕事が長くなるにつれ、嬢を“駒”として見ている自分に気づいたんです。アルバイトのくせに経営者側の見方をして、なおかつ彼女たちをどう動かすかという目が強くなっていった。人としてどうよと思いました。だから悩んだ末、飲食チェーン店の本部に就職したんです」
見方を変えてくれた栄里さんとの出会い
キャバクラで働く女性たちに寄り添っているように見せながら、頭では冷徹に「この子はこの先、伸びないな」などと判断している自分が嫌になったらしい。だが、就職してからは彼のその視点が武器となった。
「最初は営業、そこから企画や開発などを渡り歩きました。どの部署も自分としては楽しかったですよ」
3歳年上の栄里さんとは人事部にいるときに親しくなった。才気煥発で明るく、なおかつ後輩の面倒見もいい彼女は誰からも人気があった。
「僕の仕事を見ながら、彼女が『あなたは自分の想定以外のものが見えてない』と指摘したんです。仕事を始めて5年ほどたったところで、僕自身が、なんだか殻が破れないような試行錯誤の日々だったので、彼女の指摘に驚きました。それほど僕の仕事の詳細を知っているわけではないのにピタリと言い当てられた。その後、上司とも話して、彼女とコンビでの仕事を増やしてもらいました」
そこから彼の「仕事観」は変わった。さまざまな角度からものを見て、きめ細かく仕事をすることができるようになった。それと同時に栄里さんへの個人的思いも強くなっていった。
「学生時代から恋愛はあまり得意じゃなかった。長続きしないんですよ。それでいいとも思ってたし。人生において恋愛にはあまり重きを置いてなかった。そう言うと、モテる男の言い草だよねと言われるんですが、僕のモテ期は中学生時代で、大人になってからはモテなかったですよ」
とはいえキャバクラボーイ時代に培った人当たりのよさから、告白されたことも多々あったようだ。だが「寄り添うようで、実際には冷徹に見てしまう」その時代の癖はなかなか抜けない。それは彼にもともと備わっていたものかもしれないが。
「それをダメだと言ってくれたのが栄里だったんですよ。仕事で今ひとつこれというものがつかめなかった僕が、やっとある種の達成感を得ることができたプロジェクトがありました。それが終わったとき、『これで独り立ちできたね』と栄里が言ってくれた。上司も褒めてくれました」
つきあう前のプロポーズ
それを機に尚彦さんは栄里さんにプロポーズした。つきあってもいないのにいきなりのプロポーズである。苦笑する栄里さんに、「僕の人生にあなたが必要なんだ」と迫った。そのとき栄里さんは「だからといって、私の人生にあなたが必要かどうかは別の話」と言って笑ったという。
「こういう女性に引っ張っていってもらえば、僕の人生、イケイケじゃんと思った。どこまでいってもノーテンキでしたね」
尚彦さん29歳、栄里さん32歳のときに、周囲から大きな祝福を受けて結婚した。キラキラした幸せが舞い降りてきたと尚彦さんは感じていたという。
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記事後編では、家庭を築いた先で尚彦さんが重ねていった家庭外の恋、50歳の誕生日に娘から告げられた衝撃の言葉を紹介している。
デイリー新潮編集部
