美輪明宏さん死去、愛に生きた91年 「メケ・メケ」「ヨイトマケの唄」 ジェンダーフリーの先駆者、性別を超越した芸術表現を模索
ヒット曲「ヨイトマケの唄」や舞台「黒蜥蜴(とかげ)」などで知られる歌手で俳優の美輪明宏(みわ・あきひろ、本名・丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが20日午前9時30分、老衰のため死去した。91歳だった。所属事務所が28日に公式サイトで発表した。葬儀、告別式は近親者のみで営んだ。多様性への理解が乏しかった1950年代から、性別を超越した芸術表現を模索し続けたジェンダーフリーの先駆者。人生経験に裏打ちされた温かいまなざしで「人間愛」を貫き、哲学的なメッセージでも多くの支持を集めた。
魅惑的な世界観で性別を超越し、唯一無二の存在感を放った美輪さんが旅立った。
美輪さんは2019年9月に脳梗塞(こうそく)で入院したものの復帰。所属事務所によると、雑誌の連載やテレビ出演などを行っていたが、ここ1年ほど高齢のため仕事をセーブしていた。約3か月前に体調を崩してからは自宅で静養していたが、帰らぬ人に。公式サイトでは「最後は『ありがとう』と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じました」。告別式では美輪さんが好きだった黄色いバラを祭壇に彩り、ひつぎにはファンレターが納められたという。
波乱に満ちた人生だった。長崎県出身で、10歳の時に被爆を経験。小学校の頃から声楽を学び、中学生でシャンソンを独学。15歳で国立音楽高等学校(現在の国立音大付属高)に進学するため上京するも中退した。
中退後は喫茶店のボーイなどをしていたが、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」に見いだされ、歌手として専属契約。その美しさで「神武以来(じんむこのかた=日本の国が始まって以来)の美少年」の異名を取り、三島由紀夫や吉行淳之介ら文化人との交遊を深めた。57年にはフランスのシャンソンを日本語でカバーした「メケ・メケ」がヒット。“シスター・ボーイ”という性を超越したスタイルで注目を集めた。
同時期に雑誌で自身が同性愛者であることをカミングアウト。当時はセクシュアリティーへの理解が進んでおらず人気は一時低迷したが、65年に戦後の復興期に生きる労働者と深い慈愛の姿を描いた「ヨイトマケの唄」が大ヒットした。
「ヨイトマケ―」は歌詞に差別用語があるとされ長らく地上波で歌われてこなかったが、2012年にNHK紅白歌合戦に当時史上最年長の77歳で初出場。ステージでは6分間ノーカットでパワフルな歌声を聴かせた。その後、15年まで4年連続出場した。
俳優としても活躍し、寺山修司が書き下ろした舞台「毛皮のマリー」などに出演。三島が江戸川乱歩の代表作を戯曲化した舞台「黒蜥蜴(くろとかげ)」は生涯の当たり役となった。声優としてもスタジオジブリのアニメ映画「もののけ姫」(97年)、「ハウルの動く城」(04年)などで存在感のある演技を発揮していた。
05年にはテレビ朝日系トーク番組「オーラの泉」に“愛の伝道師”として出演し、スピリチュアルブームを先導。批判や差別と闘ってきた壮絶な人生に裏打ちされた言葉や本質を見抜く表現は世代を問わず親しまれた。多様性の時代となった令和には、美輪さんの生きた証しが刻まれている。
◆美輪 明宏(みわ・あきひろ)1935年5月15日、長崎市生まれ。国立音大付属高を中退後16歳でプロ歌手としての活動を開始。57年に「メケ・メケ」がヒット。71年に本名の「丸山明宏」から「美輪明宏」に改名。テレビ東京系「ありえへん∞世界」などバラエティー番組などでも活躍。独特の声質で、14年のNHK連続テレビ小説「花子とアン」では語りも務めた。

