主人公自身は戦わないし、レベルアップもしない…『ポケモン』が過去の名作RPGと異なる戦闘システムを採用した“納得せざるをえない理由”〉から続く

 1997年4月に放送が始まったTVアニメ『ポケットモンスター』。順調に高視聴率を記録する大ヒットとなったが、同年12月、視聴者が光過敏性発作を起こす「ポケモンショック」が発生。番組は放送休止に追い込まれ、社会的なバッシングの危機に直面した。

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 この絶体絶命のピンチを、関係者たちはいかにして乗り越え、スーパーマリオ超えの最強ブランドへと育て上げたのか。『国産RPGクロニクル 物語の革命者たち』(イースト・プレス)の一部を抜粋して紹介する。

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ポケモンらしさ」とは何か?

 元からストーリーメディアであるマンガや小説でさえ、アニメ化する時にはメディア特性に合わせて大小様々なアレンジを必要とするものですが、ゲームは特に「体験の質」が全く異なるインタラクティブ・メディアですから、大きなアレンジを加えないとアニメ作品としては成立しません。

 その過程で、「ポケモンらしさ」とは何か?という価値判断を常に迫られることになるのです。

 例えば当初、アニメの制作スタッフは「ポケモンに人間の言葉をしゃべらせたい」と要望していました。主人公のパートナーとして、ドラえもんのように言葉でコミュニケーションが取れた方が、ドラマが作りやすいからです。そしてゲームフリーク側も、それに対して異を唱えずに了承していました。

 ところが、しばらくすると、脚本作業を進めていたアニメ側が「やっぱり、(ニャースなどの一部特例を除いて)ポケモンはしゃべらない方がいい」と考えをあらためたのです。

 言葉でのコミュニケーションを可能にしてしまうと、ポケモンの持つ「動物」としての魅力やかわいさが失われてしまう、という判断でした。これも後の世の視点では結果論的に「正解」とわかるのですが、当時は難しい判断だったと思います。

 一方、ゲームからの大きな変更を決断した点もあります。

 ゲーム版ポケモンでは、プレイヤーがゲームスタート時に通称「御三家」と呼ばれる、ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネのどれか1匹を最初のパートナーに選びます。

 ところがアニメ版『ポケットモンスター』の第1話では、旅の始まりに期待しすぎた主人公のサトシ(もちろん名前の由来は田尻智さん)が寝坊してしまい、オーキド博士にポケモンをもらいに行くと、ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネの3匹はすでに他の子どもたちに選ばれてしまっていて、残された別のポケモン「ピカチュウ」をパートナーにする展開になります。

 常識的に考えたら、主人公のパートナーには原作ゲームで主役級の扱いを受けているヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネのどれかを設定するべきで、ここを変更することはマーケティング上、かなり大きなリスクになります。

 しかし、この時アニメスタッフが考えたことは「ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネのどれかをアニメの主役ポケモンにしたら、どれにしたってゲームでそれ以外の2匹を最初に選んだ子どもたちが悲しい想いをするのではないか?」という懸念でした。

 つまりピカチュウは、マーケティング的な理由というよりは、純粋に「子どもたちへの善意」で選ばれた主役ポケモンなのです。

 結果的にその答えがゲームからの設定変更だったとしても、このような選択こそが「ポケモンらしさ」であり、田尻さんの「ポケモンを愛してください」にアニメスタッフが応えた成果であると言えるでしょう。

アニメ放送スタート、だが……

 こうしてTVアニメ『ポケットモンスター』はテレビ東京系列で1997年4月1日に放送開始します。第1話の視聴率は10.2%でスタートし、5月は12%台、6月は14%台と、視聴率は着実に上昇していきます。夏休みを経て10月になる頃には17%台をマーク、11月には驚きの最高視聴率18.6%に達しました。これはもう、文句なしの大成功と言える数字です。ここからさらに、目前に迫ったクリスマス、そして子どもたちがお年玉を手にする正月を挟んだ年末年始商戦に向けて、関係者は大きな期待を膨らませていました。

 ところが、そうした中、後に「ポケモンショック」と呼ばれる事件が発生します。1997年12月16日、アニメ『ポケットモンスター』の第38話「でんのうせんしポリゴン」の放送中に、視聴者に光過敏性発作が発生して30都道府県で651人が病院に救急搬送されました。

 光過敏性発作とは、光刺激に強く反応した脳が興奮状態に陥り、様々な発作を起こすとされている症状です。この回では、背景が激しく点滅する演出があり、そのシーンが原因になりました。


写真はイメージ ©︎yamatatsu/イメージマート

 この事態を受け、テレビ東京はすぐにポケモンの放送を休止し、同局の子ども向け番組『おはスタ』にて、「原因がはっきりわかるまで16日の放送を見直さないでください」と子どもたちへのお願いを伝えました。それ以外のポケモンの話題や関連コーナーも自粛しています。

 この時のテレビ東京の対応で評価すべきなのは、すぐに外部調査チームを受け入れたことです。実は、精神科医である僕の父もこのチームに参加していました。チームはまず再発防止のためのガイドラインを策定します。そしてそれを、すぐに外部へも公開したのです。さらにこの件に対応したのは、テレビ東京だけではありませんでした。実は、NHKがこの年の3月29日に放送したアニメ『YAT安心!宇宙旅行(*1)』の第25話「まぼろしのオヤジ!」でも同様の事件が起きていたのです。ただ、その時点での報告数は、静岡県の病院で診察を受けた子ども4人(1人が入院)と比較的小規模だったため、外部に公表はされていませんでした。

 12月18日、NHKは「アニメーション問題等検討プロジェクト」を立ち上げる記者会見の場でこの件を公表。「その時に原因究明をしていれば、今回の事件は起こらなかったかもしれない」として陳謝したのです。

 当初、世間の反応には「ポケモン」や「アニメ」に対する抗議が、根拠のないバッシングへと拡大しかねないムードもありました。けれどもテレビ東京やNHKの素早い対応と情報公開、さらに他の放送局も調査検証を進めたことで徐々に冷静さを取り戻していきます。そして、これに類する様々な映像演出、さらには記者会見のストロボの点滅等でも同様の事態が起きる可能性があることがわかってくると、「子どもたちに大人気のポケモンが恐ろしい事件を起こした」というスキャンダラスな報道はそれ以上エスカレートせず、これは放送業界全体の問題だとする捉え方が大勢となっていきました。

 1998年4月8日、NHKと民放連は光の点滅などを規定したガイドラインを発表。4月11日、テレビ東京は、検証番組「アニメ ポケットモンスター問題検証報告」を放送します。

 そして4カ月の休止期間を経て、4月16日にはアニメ『ポケットモンスター』の放送が再開されました。放送再開用に書き下ろされた脚本による「ピカチュウのもり」と「イーブイ4きょうだい」の2本立て1時間の特別枠放送です。

 心配された視聴率は、前年の夏休み頃と同水準の16.2%を記録し、多くの人が「ポケモンを待っていてくれた」ことが証明されました。

 もちろん、光過敏性発作については、ポケモン放送再開後も調査・検証は続き、この年の12月にテレビ東京が関係者に配布した資料「アニメ『ポケットモンスター』問題に関する記録」は、A4版165ページにも及ぶ長大なものでした。

ポケモンショックを乗り越えて

 結局、アニメ化は、ゲームのポケモンにどのような影響を与えたのでしょうか。

 アニメ化の以前から、初代『ポケモン』は、発売後1年間で350万本を突破していました。この時点ですでにゲーム史に残る大ヒット作です。

 ところが、アニメの放送開始からたった半年間で、それまでの全ての累計を上回る378万本が新たに売れたのです。これによって、ポケモンは国産RPGの両巨頭「ドラクエ」「FF」だけでなく、あの「スーパーマリオブラザーズ」をも超える最強のゲームタイトルとなりました。

 というのも実は、ポケモンショックによってアニメ版が放送休止中だった1997〜1998年の年末年始商戦でも、ゲームの売れ行きは全く止まっていなかったのです。結果的に、アニメの放送が再開された1998年4月の時点で、初代ポケモンは累計販売本数1000万本を突破していました。

 あらゆるトラブル、特にこのポケモンショックのように健康被害や危険をもたらすようなトラブルは、まずは発生自体を未然に防ぐ努力がもちろん重要ですが、実際にトラブルが発生してしまった場合には、「どう対処するか」が全てになります。

 その意味で、このポケモンの事例は、視聴者である子どもたちの安全を第一に優先し、すぐに外部の協力を仰ぎ、情報公開をおこなった……この誠実な対応によって、ブランドの毀損は最小限に保たれました。

 その結果がこの、ゲームの販売数に表れているといえます。

(渡辺 範明/Webオリジナル(外部転載))