兵庫から移住…火災で家も漁具も失った漁師の再起 背中を押した「息子の願い」と「職人の絆」
2025年11月に起きた大分市佐賀関の大規模火災。この火事で自宅を失った漁師・永倉和久さん(39)が、周囲の支えや息子の言葉を胸に、今年2月に漁を再開しました。様々な思いを抱えながら、被災から半年を迎えた姿を追いました。
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念願のマイホームを襲った大火災
永倉さんは、釣り針の製造販売の仕事を兵庫県で行っていて、漁師になろうと12年前に佐賀関へ移住。結婚して息子が生まれ、マイホームを購入したあと、火災に見舞われました。
永倉さん:
「この半年は変化しかない。もう人生の中での激動期な気がしますよ。トラブルはもういいですわ」
家だけでなく、漁に関する道具のほとんどを失い、海に出られる精神状態ではなかったという永倉さん。今年2月にようやく漁を再開できましたが、そこには周りの仲間の助けと息子の願いがありました。
永倉さん:
「針も全部なくて困っているのに、仲間が分けてくれましたからね。あとは息子ですね。息子が『漁師のお父ちゃんがいい』とずっと言っているので、やめるわけにはいかない。船は残りましたもんね、家はなくなりましたけど」
永倉さんは年末まで避難所に家族3人で身を寄せていましたが、その後、1キロほど離れた場所に家を借りて引っ越しました。休みの日は、息子の武くん(7)と漁に出かけることもあるそうです。お父さんの好きな姿は「海で釣りをする姿」と武くんは話します。
武くん:
「やっぱりうれしい。釣りあげて魚を取るところ。大急ぎで、いけすに移す姿が好き」
永倉さん:
「アジの炙りを食べたいと言っていたんで、満足に食べさせてあげられているかなと。やっとそうなってきたんでね」
伝統の漁具が消失…職人との不思議な縁
永倉さんが特に大切にしている道具は「仕掛け」です。田中地区で漁具を作ってきた「八潮工業」が全焼し、佐賀関の漁に適した漁具の数自体が少なくなっているといいます。
永倉さん:
「似たような商品はあるんですけど、ちょっと違うんですよね。『八潮さんの木崎のおっちゃんのやつがいいな』って思うぐらいだから、ベテランの漁師さんはもっとそう思うはずです」
永倉さんは、かつて兵庫の釣り針製造会社で働いていた際、取引先の担当だったのが八潮工業の3代目・木崎章二(78)さんでした。このため、木崎さんに対して不思議な縁を感じているそうです。
その八潮工業は50年以上前に創業しましたが、半年前の火災で全焼し、今年3月末で廃業しました。しかし、多くの漁師から復活を求める声があがり、県漁協佐賀関支店と木崎さんが協力し、漁具作りの再開に向けて準備を進めています。
木崎さん:
「また作れる期待の方が大きいですね。今から準備のスピードを上げていかなければいけないという感じです」
木崎さんが焼け跡から見つけ出した約15個の「仕掛けの型」は現在、漁協に保管されています。漁協の倉庫を漁具の作業場に改修する工事は6月末までに完了する見込みで、早ければ今年7月から製造が始まります。
木崎さん:
「楽しいやら、ちょっと心配やら。うまいこといけばいいなという感じですね」
永倉さん:
「今後のことは何も決めてないんですけど、田中地区に戻ることだけは決めています。息子のふるさとだし、僕もずっと田中地区に住んでいて、移住者の僕を受け入れてくれた人たちとその地区があるので。田中地区以外の選択肢がないとおもっています」
兵庫から佐賀関に移住して12年。漁師の永倉さんが佐賀関を思う気持ちは今も変わりません。

