アサヒグループHD会長 泉谷直木氏

写真拡大

Q.朝刊をネタにするなら、どう話すのが正解か。
[A]「株価が少し荒れていますね」
[B]「原油価格が上がってきましたね」
[C]「中東の王様もお金の運用に困ってますね」

■人前でしゃべるのは、怖い時期があった

私どもは人を喜ばしてなんぼの商売です。お客様に喜んでもらうことが、アサヒの商品を買っていただくことにつながる。人と話す機会を、どうやって、お互いのチャンスに変えることができるか。そのことをいつも考えます。

すべては準備にかかっています。会話がうまく進むかどうかは準備によって5割決まると考えています。

偉そうにお話ししている私も、難しい漢字のお名前の方を間違って読んでしまったりと、若いころの失敗なんて、いくらでもあります。読み方を確認するという準備を怠ったわけです。

私は、若いころから、村井勉さん、樋口廣太郎さん、瀬戸雄三さん、福地茂雄さんと歴代のトップに直属で仕えて、CI(コーポレート・アイデンティティー)の担当もしていたので、30代のときから、ずいぶんと講演を頼まれました。私は、京都出身なので関西弁丸出しでした。九州へ行ったからといって、急に博多弁が話せるようになるわけでもありません。関西弁が抜けきらず、地方で嫌がられるようなこともありました。人前でしゃべるのは、すごく怖い時期がありましたね。

地方での講演に、女房――職場結婚なんです――が同行していたことがありました。会場のホテルで300人を前に講演をし終えたら、「信じられない」と女房が驚いたんです。「あがり症で、人前では口ごもって『あー』『うー』としかいえなかったのに、あんなに上手にしゃべれるようになるものなの?」と。私は私で努力していました。

講演をしろといわれれば、50分でも1時間でも、話す内容の原稿を書くことはできます。ただし、緊張すると早口になるということが自分でわかっている。そこで、事前に講演内容をすべて原稿に書いて、家でゆっくりと読み上げてカセットテープに吹き込みました。夜、その録音テープを聴きながら、どのくらいの速さで話すのが聞きやすいのかと、時間を測って練習を繰り返したんです。

会う予定が事前に決まっている人の場合は、その相手について必ず準備をします。ただし、それ以外の準備もあります。それは誰が相手でも通じる話の切り口を常に持っていなければならないということ。いちばん簡単なのは、毎日、朝刊をちゃんと読むことです。

その日の朝刊に出ていた記事を話題にしながら「御社はいかがですか」と切り出すこともできます。雑誌にも目を通して、世の中で少し先行する企業の例や、より深い情報を見つけておく。こうした最低限のことをしていれば、どんな場合も恐れる必要はありません。インターネットのニュースサイトを見て、その日の新しいトピックを探しておくことも重要でしょう。人から聞いた面白い話を書きとめてもいいし、あるいは、ウィキペディアで調べることでもいいんですよ。私は、パソコンもスマートフォンも使っていますが、やっぱり紙に書きながら考えることのほうが断然いい。長年、能率手帳を愛用していて、電話帳のページも、図を描いたりしてノートとして使っています。誰に会っても、「株価が少し荒れていますね」とか、「原油価格が上がってきましたね」という話はできる。少し踏み込んで、「中東の王様も、お金をどう運用すればいいのか困っているかもしれませんね」とユーモアを交えることもできます。別の言い方をすれば、その日の朝刊も読まずに人と会うということは、ビジネスパーソンとして恥ですよ。

この最低限の準備を踏まえたうえで、会話術の基本として、謹厳実直という言葉を、私は「近元実直」といいかえて使っています。

最初の「近」は、相手に近づくということ。共通の話題のテーブルに着くということですね。そのために、やはり準備が必要になります。営業担当者の商談であっても、われわれ経営者同士の会話でも、相手も忙しいのだから、何のために会うのか、まず目的をはっきりさせておく。話すというのは、何かを実現するために自分の思いを伝え、相手の合意を得るということですよね。そして、「近い」ところから準備をすることです。初めて訪問する企業なら、ホームページを見て、経営理念やビジョンについて知っておく。その企業にまつわる最近の記事も見る。業界で何が起きているか調べる。お茶飲み話から始まるかもしれませんが、話が終わるころになって、ようやく仲良くなるようではだめで、最初から一発で距離を縮めなければなりません。

■「あした息子さんの誕生日だろう」

私は営業の仕事をしていたときも、必ず先方について事前に調べてから行きました。いま、社員たちと飲むときでも、前日に、会う社員の長所や趣味、データを調べて手帳に書き出します。

若い社員は、会長の私を前にして、緊張しながら、所属部署がどこで、どんな仕事をしているかと自己紹介をするわけです。そのようなとき、「君は学生時代にアーチェリーをやっていたんだね」とか「あした息子さんの誕生日だろう」と話しかけることができれば、相手の気持ちが楽になって、すぐに距離は縮まりますね。相手の話題から共通の話題に移っていければ、すぐに共通の土俵に上がることができます。

次の「元」、これは極めて単純で、やっぱり元気がなければだめだということです。人と会って話すのだから、元気で明るくはきはきと。つい口ごもってしまったり、滑舌にあまり自信がなかったりするのであれば、相手に会う前に、水を一口飲む。ちょっと口の中に空気を入れてみる。上あごと下あごを左右に動かしてみる。実際に声を出さなくても「あいうえお」と口を動かすだけで滑舌はよくなるし、口角が上がって表情もよくなります。言葉の力、そして表情の力は、第一印象として大きい。ファーストインプレッションが大事ですから、やはり準備が必要です。

元気に話したら、次は「実」です。要は、実のある話をするということ。架空の話をしても仕方ありません。実際の話をしなければ面白くないでしょう。無駄に時間が過ぎて、「この人、何しに来たのか」と首を傾げられてしまいます。相手の土俵で、実のある話を元気にする。これは準備の段階で終わっていなければならないことです。

「直」とは、要するに直截ということです。ぐるぐると持って回った言い方をせず、できるだけストレートにわかりやすく話す。この会話の目的は何か、本質は何かと、考えられなければなりません。

一生懸命な人であれば、「この人は準備してきたんだな」と相手に伝わりますから、誰でも、話をちゃんと聞こうという気になるでしょう。口下手だからといって臆する必要はまったくありません。人間が全身で醸し出すものって、とても大切だと思いますよ。

----------

アサヒグループHD会長 泉谷直木
1948年、京都府生まれ。72年京都産業大学法学部卒業、朝日麦酒(現アサヒビール)入社。95年広報部長、98年経営戦略部長、2003年取締役、06年常務酒類本部長、09年専務。10年アサヒビール社長。11年アサヒグループHD社長に。16年3月、会長に就任。
 

----------

(樽谷哲也=構成 永井 浩=撮影)