かつてはハリウッド・セレブ御用達 デュアル・ギア(1) 量産見送ったクライスラーと試作車救ったトラックメーカー
エンジンを2基積むトラックでブランド創業
英国の玩具メーカー、コーギーのモデルカーを通じて、ギアというクルマを知ったという人は筆者以外にもいるだろうか。車内にコーギー犬も乗っていた大胆な形のクーペは、かつてはハリウッド・セレブ御用達モデルだった。
【画像】かつてハリウッド・セレブ御用達 デュアル・ギア 同時期のクラシックたち 全117枚
イタリアのカロッツエリア、ギア社と、アメリカのデュアル・モーターズ社の合作は、僅か117台しかラインオフしていない。東海岸のビバリーヒルズでも、滅多にお目にかかれない代物だった。ロンドンで見かけることなど、皆無といえた。

デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様) ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
イタリア系移民だったユージーン・カサロール氏は、デトロイトでオートモービル・シッパーズ社という、クライスラーの新車をトラックで運ぶ事業を営んでいた。当然のようにクルマ好きで、1946年から1954年にはインディ500のスポンサーに名も連ねた。
第二次大戦が激しくなると、連合国軍向けのトラック製造へ進出。エンジンを2基積む独創的な設計にあり、そこからブランド名はデュアル・モーターズに決まったという。
量産化されなかった4シーター・コンバーチブル
当時のギア社は、デザイナーのヴァージル・エクスナー氏が描き出す、スペースエイジなスタイリングを特長としていた。カサロールにとって、イタリアのカロッツエリアとクライスラーが手を組んだ、そんな大胆な容姿の試作車は見慣れたものだった。
1953年、デトロイトに構えたクライスラーのスタイリング・スタジオへ届けられたのは、2シーター・ロードスターのデザイン模型。それは傘下ブランドのダッジから、ファイアーアローという名のコンセプトカーとしてお披露目される。

デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様) ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
両社は良好な協力関係にあり、北米各地のモーターショーを、ファイアーアローは巡回。来場者の反響は高く、エクスナー率いるギア社のチームはダッジのパワートレインとシャシーを利用し、実走行できる試作車を完成させる。
その後、約1年の間にスタイリングは3度の改良を受け、最終的にファイアーアロー IVへ進化。この4シーター・コンバーチブルをクライスラーは量産する、という推測がデトロイトへ広まったものの、実現はしなかった。
クライスラーから生産権利を取得したカサロール
これに目を付けたのが、クライスラーへ特別な親近感を抱いていた、ビジネス成功者のカサロール。デュアル・モーターズでの生産権利を得たいと、ダッジ・ブランドを率いたウィリアム・ニューバーグ氏へ交渉し、了承を得る。
量産へ向けて、ファイアーアロー IVは再設計。友人の技術者、ポール・ファラゴ氏へ協力が仰がれた。彼は1948年にフィアット1100がベースのレーシングカーを製作し、レースへ参戦。セブリング12時間レースでは、クラス優勝を遂げた経験があった。

デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様) ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
ファラゴは、ギア社のアメリカでの代理店業務を営んでおり、デュアル・モーターズとの協力関係をバックアップした。クライスラー側からは、走行に必要な部品の供給契約を、カサロールが取り付けた。
天才的な才能を持っていた技術者のファラゴ
「あらゆる機械的な工作作業で、天才的な才能を持っていました。フェラーリを分解し、より優れた状態で組み上げることもできたほど」と、エクスナーの息子、ヴァージル・エクスナー・ジュニア氏はファラゴに対して回想している。
だが1955年のスイスで発表された試作車、デュアル・モーターズ・ファイアボムは、ギア社が単独で製作していた。大きなトランクを得ていたものの、評判は優れなかった。

デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様) ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
ファラゴの意見によると、全幅が狭すぎて走りは安定せず、ドアも閉まりにくかったらしい。そこで、カサロールは彼をデュアル・モーターズの副社長へ任命。問題を解決するため、イタリアへ派遣した。
ギア社の技術者と協力したファラゴは、全幅を広げ安定性を向上。1955年式ダッジのフロントガラスを利用できるようボディも改良し、金型へ必要な予算を削り、北米の安全基準への対応も容易にした。サイドシルは再設計され、ボディ剛性が高められた。
ボンネット内に収まった233psの5.2L V8
クロームメッキのバンパーは、既存品を加工して利用。リアフェンダーには、当時流行りだったテールフィンが追加されたが、これはカサロールの強い要望だったという。
ボンネット内に収まったのは、ダッジから届けられた5.2L V8エンジン。最高出力は標準では233psだったが、263psの高性能なD-500仕様も設定され、約半数はこちらが選ばれている。

デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様) ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
トランスミッションは、クライスラーの2速ATのみ。パーキングを選ばずにエンジンを始動できるクライスラーの設計は、後に問題視されたが。
この続きは、デュアル・ギア(2)にて。

