すべては黒柳徹子の発案で始まった…無音の‟熱弁”がいざなう手話狂言の世界 ドキュメンタリー『心耳〜耳を澄まさぬ表現者たち〜』
40年余り前、トットちゃんこと黒柳徹子さんが日本ろう者劇団の公演に訪れた。そこから始まった「手話狂言」は、人気を博し、チケットはつねに完売、海外公演も行って日本文化を世界に広めてきた。その厳しい稽古の様子や舞台裏を追ったドキュメンタリー『心耳(しんじ)〜耳を澄まさぬ表現者たち〜』をジャーナリスト・相澤冬樹がレビュー。

ドキュメンタリー『心耳(しんじ)〜耳を澄まさぬ表現者たち〜』
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黒柳徹子さんが「一緒にやりましょう」と
「目を、澄ませてください」
冒頭、暗闇から聞き慣れぬセリフが流れる。“耳を澄ます”はよく使われるが、“目を澄ます”は古語でもないと使われない。サブタイトルの「耳を澄まさぬ表現者たち」はそういう意味かと思い至る。画面はゆっくり目を開けるように明るくなる。そこに一人の女性の姿が映し出されている。
女性はカメラに向かって手話で語りかけ、微笑む。その間30秒余り、まったくの無音だ。音のない世界。耳の聞こえない“ろう者”はこの世界で毎日暮らしている。こうして観客は、ろう者の世界に導かれていく。
映画の主題は“手話狂言”。古典芸能の狂言を、ろう者が手話で演じる。その始まりについて、日本ろう者劇団を創成期から支えてきた顧問の井崎哲也さんが手話で証言する。きっかけは、ろう者の演劇サークルを立ち上げた40年余り前、タレントの黒柳徹子さんが劇を観に来てくれたことだったという。
「雲の上の人が来たと思いました。『一緒にやりましょう』と言われました。あまりの驚きに信じられませんでした」
手話狂言の誕生
やがてイタリアのパレルモで世界ろう者演劇会議が開かれることになった。
「そこで黒柳さんが狂言を勧めてくれて、短くて面白い狂言と手話を合体させようという黒柳さんのアイデアで、(狂言師の)三宅先生から狂言を教わりました」
こうして手話狂言が誕生した。
「劇団の大切な宝として、これからも持ち続けて、新しい人たちに引き継いでいきたい」
井崎さんが手話で語る間、冒頭と同じくずっと無音が続く。だが身振りと表情から当時の興奮と熱い思いが伝わってくる。手話による“熱弁”だ。
そんな井崎さんの横に、一枚の少女の絵が飾られている。特徴的なその絵柄から、絵本作家のいわさきちひろの作品とわかる。ちひろと言えば『窓ぎわのトットちゃん』の挿絵。黒柳さんの自伝的物語で大ベストセラーとなり、20以上の言語に翻訳され、最も発行部数の多い自叙伝としてギネス世界記録に認定されている。黒柳さんはちひろが描く子どもたちの姿に共感し、著書の挿絵に選んだ。
『窓ぎわのトットちゃん』の刊行は1981年。前後して手話狂言が生まれる。発案者の黒柳さんへの感謝と敬意を込めて、ちひろの絵が飾られていたのだろう。
日本の手話か国際手話か
黒柳さん本人も映画に登場する。手話の魅力を知った経緯についてインタビューで答えている。50年以上前、あるミュージカルに出演した際、アメリカで手話の劇団を運営しているスタッフと知り合ったのがきっかけだという。その劇団ではみんなが手話で話をしていた。
「手話がとってもいいって。手話を勉強すれば3日で日常会話が話せる、1週間あったら哲学も話せる。世界中の人が共通の手話ができたら、どこの国の人ともこうやって手でお話できるのになって思ったんですけど……やっぱりなかなかそうはいかないですけどね」
実は手話も国や地域によって異なり、世界で400種類以上あると言われる。手話狂言では日本の手話を用いるが、海外の人により分かりやすくするため、ろう者の国際会議などで使われる国際手話を使ってはどうか? そんな狙いで2年前、フランスでの公演で国際手話に初めて挑戦した。ところが思ったような反応はなく、むしろ「今さら国際手話で狂言やったんだぁ」という醒めた見方をされたという。日本ろう者劇団の代表、江副悟史さんは手話で語る。
「日本の文化から派生して生まれたのが日本の手話です。それと伝統文化である狂言の融合はとても相性がいいと思います。そこに外国文化の国際手話を入れ込むと狂言という伝統文化とかみ合いません」
ではどうすべきか? 手話狂言は生まれて半世紀近くがたち様々な課題に直面している。狂言をはじめ伝統芸能自体も今後のありようを問われている。映画はそんな当事者たちの試行錯誤を描きながら、手話狂言の舞台や、舞台裏の稽古をじっくりと見せる。
吊り目のしぐさが「日本」を意味していた
終盤で再び黒柳さんが登場する。海外では日本のことを手話で表現する時、小指で目尻を吊り上げるしぐさをしていた。これは東洋人に吊り目が多いという偏見に基づく。去年、ミス・フィンランドが吊り目画像をSNSに投稿し激しい批判を浴びたことは記憶に新しい。黒柳さんはこの吊り目の手話に抗議し、別の方法を提案した。
「私たちは日本の形(両手で弧を描く)をやってジャパンってやってた。こういう風にしてくださいって言ったの。(そしたら)アメリカのろう者劇団がジャパンをこう(求め通りに)やったので」
それから次第にアメリカで手話のジャパンの表現が変わったという。差別に向き合う黒柳さんの姿勢に、あるエピソードを思い出した。1980年、手話の劇団サークルが立ち上がったのと同じ年。黒柳さんが司会を務めていたTBSの歌番組『ザ・ベストテン』で、人気グループのシャネルズが登場した際、中継現場から子どもが質問した。
「シャネルズはどうして黒人のくせに香水の名前なんか付けるんですか?」
シャネルズはメンバーが顔を黒塗りにして歌っていた。今はそれ自体が差別的とされるが、この質問は当時としても明らかに差別だ。生放送中のハプニングだが、黒柳さんはこれを見過ごさなかった。涙声になりながら視聴者に訴えた。
「顔の色とか国籍が違うということで、そういう区別をした言い方をすると、私は涙が出るほどとっても悲しく思いますので。皆さん、そういうことで一段高いところから人を見下ろすようなふうに、どうぞ“何々のくせに”とか言わないで下さい。お願いします」
あれから46年。黒柳徹子さんは92歳になった今も、差別を許さない姿勢を映画でシャキシャキと語ってくれる。その魅力が半端なく画面からあふれている。
そして出演するろう者たちは、自分たちが大切に育ててきた手話狂言について、無音の“熱弁”を振るう。ろう者の無音があることで、音のあるシーンが鮮やかに際立つ。それを象徴するシーンが最後に用意されている。無音と、音の世界が絶妙に交錯する作品を、終わりまで味わってほしい。
「手話で狂言をやりましょう」黒柳徹子の発案で始まったによる手話狂言の歴史は、40年以上。果たして手話狂言の魅力とは? 元来の狂言との違いは何か? そして、手話狂言は世界でどう映っているのか? 海外で上演した『瓜(うり)盗人』の貴重な映像、関係者の話などを通して、手話狂言の真価を検証する。
出演・エクゼクティブプロデューサー:黒柳徹子/監督:藤井秀剛/出演:三宅右近、三宅近成、井崎哲也/2025年/日本/70分/©2025社会福祉法人トット基金/7月25日(土)よりシアター・イメージフォーラム(東京)他ロードショー
(相澤 冬樹/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)
