展示会を企画した東京都江戸東京博物館の米山勇氏

写真拡大

 建築に関する書籍も手掛けたことのある筆者が、このようなことを書くのは気が引けるのだが、「建築の展覧会」といえば、絵画展などと比べて地味でパッとしないものが多かった。専門性が高いこともあるが、どうしても写真や図面、模型などの陳列だけになってしまいがちという面は否めない。有名建築家の個展であっても、盛り上がりに欠けるケースが少なくなかった。

【写真】こんな建物が明治時代に…貴重な「幻の国会議事堂」外観透視図も…異例の大盛況・江戸東京博物館「洋館展」の見所

 ところが、東京都江戸東京博物館で開催されている「洋館 明治の夢と挑戦(以下、洋館展)」(2026年6月23日(火)〜8月23日(日)まで開催)は明らかに一味違う。筆者が取材したのは平日だったが、多くの観覧客が訪れて盛況であり、ガラスケースの前で展示資料に釘付けになっている光景が見られた。

展示会を企画した東京都江戸東京博物館の米山勇氏

 客層もこれまでの建築展とは明らかに違う。高校生から熟年の夫婦、デートで訪れているカップルや、ロリータ服を着た女性まで、世代を超えて幅広い層が訪れていた。

 近年、InstagramやXなどで洋館が“映えスポット”として人気なことや、建築関連のイベントが盛んになっていることも背景にありそうだ。そして、何より今回の「洋館展」は、従来の建築展とは異なる工夫が満載で、初心者でも楽しめる。企画を担当した、東京都江戸東京博物館の研究員・米山勇氏に見どころを聞いた。【取材・文=山内貴範】(全2回のうち第1回)

青焼きと白模型を敢えて展示しない

――米山勇さんは、館長の藤森照信さんと一緒に「洋館展」を実現させました。展覧会のアイディアが浮かんだのは、いつ頃なのでしょうか。

米山:僕はコロナ禍の前、2019年に大きな病気をしたんですよ。1年ほど仕事を休んで復帰する時に、当時の副館長が「藤森館長が、“建築の展覧会を米山とやりたい”とおっしゃっている」と言ってくれて。僕はいたく感動して、一緒に建築の展覧会をやろうと漠然と思っていましたが、具体的に動き出したのは2022年頃でしょうかね。

 どうせやるならテーマを絞ろうと思い、時代は「明治」、そして「洋館」と決めました。日本の建築は伝統的な和風建築と、明治時代に広まった洋風建築の流れがある。その洋風の流れに特化しようと思い、最初は「暁の洋館」というタイトルを考えていたんだけれど、藤森館長がわかりにくいというので、シンプルに「洋館」にしたのです。

――展示を一通り見て気づいたのですが、建築展でよく目にする“青焼き”の図面や“白模型”が1点も置かれていません。建築展としては冒険だと思います。

米山:これは藤森館長のこだわりです。企画を立ち上げたとき、青焼きの図面、白模型は置かないようにと厳命があったためです(笑)。

――建築展は建築の実物を持ってくることが物理的に不可能なので、展示品集めに苦労するケースが多いです。青焼きと白模型を置かないとなると、相当大変なのでは……と思いませんでしたか。

米山:僕も最初はそう思いましたよ。当館の展示室は広いですから、展示品で埋めることができるだろうかと思ったんです。ところが、展示品のピックアップを初めたら、いつの間にか部屋に収まらないほどの展示候補資料が集まったんですよ。

――展示室の配置やレイアウトにも、米山先生のこだわりがあるそうですね。

米山:特に、建築が眼前に存在するような、その時代の空気感を感じられる“パノラマ”の製作にはこだわりました。最近の建築展は、コンピュータグラフィックやバーチャルリアリティの技術に頼りがちですが、敢えてそれをしませんでした。明治時代にもあったパノラマの世界観を、今の技術で再現してみようと藤森館長に話したら、理解してもらえました。

日本初公開、「国会議事堂」の絵

――「国会議事堂案」や「東京駅」のドローイングから、階段の一部やシャンデリア、家具まで揃っていますね。米山さんおすすめの必見の展示品は何でしょうか。

米山:今の話に出た、実現しなかった国会議事堂案の外観透視図ですね。外務大臣の井上馨が東京を近代国家にふさわしい都市に改造しようと考えた、官庁集中計画というプロジェクトがあります。日比谷や霞ヶ関の付近に洋風の庁舎を建設するというもので、そのためにドイツから招かれた建築家がヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンです。

 彼らがデザインした国会議事堂案の透視図は、ベルリン工科大学建築博物館に保存されているもので、本邦初公開になります。「洋館展」のポスターなど、メインビジュアルにもなっています。

――井上が失脚せずに構想通りに進んでいたら、日本にこんな豪勢な国会議事堂が建っていた可能性があるんですね。

米山:藤森館長がNHKの「歴史探偵」という番組に出たときに、官庁集中計画のことを取り上げたのですが、ドイツの中継画面でこの国会議事堂案が紹介されたのです。藤森さんは私たちに会うなり、「あれを(「洋館展」のために)借りよう!」と言いました。

 実物を見たことがある人は研究者でも一握りで、本当に貴重なものです。僕も今回実物を目にし、相当な迫力だと思いました。

――井上による明治の欧化政策の象徴であり、日本史の教科書でもお馴染みの「鹿鳴館」の階段の一部も展示されています。

米山:1940(昭和15)年に鹿鳴館が取り壊された際、階段の部材が保存されたのです。建築関係者の間では有名で、僕はもちろん存在を知っていたし、以前に「江戸東京たてもの園」の展覧会のために借りたこともあります。こういう実物があるだけで、空間が魅力的になりますよね。

家具から生活感を感じ取る

――「東宮御所(現:迎賓館赤坂離宮)」の家具も、「明治村」から借りてきたそうですね。100年以上前の家具が、よくあれだけ良好な状態で残っていましたね。

米山:明治村は宝の山ですね。東宮御所の家具もすごいけれど、1884(明治17)年に建てられた「有栖川宮邸」の家具なんて本当に貴重で、藤森さんも「こんなのがあったのか!」ってびっくりしていました。

 有栖川宮邸は、鹿鳴館を設計したお雇い外国人のジョサイア・コンドルが、最初期に完成させた邸宅です。しかし、謎に満ちていて、写真や図面も数枚しか残っていません。

 そんななかで、家具の存在感はすごいですよ。展示の説明に書いたけれど、明治の洋風邸宅は当時の人々にとっては名所のようなもの。自分たちとは縁がない、一般的な住まいとは違う、宮殿、お城という感じで見ていたと思う。でも、家具と対峙していると、確かにそこには生活があったんだな、って思えますよね。

――生活がちゃんとここで営まれていた証拠ということですね。非日常ではないと。

米山:もちろん一般人にとっては非日常なんだけど、住む側にしてみれば、日常の場だったということがわかりますよね。ただ、日常といっても、当時はまだ皇族といえども洋風の生活様式が身についていたわけではないので、一種の舞台のような場で繰り広げられる“日常生活”だったと思います。洋風の生活を演じている、とでもいいましょうか。

第2回【日本人は江戸時代から50年足らずで「ネオ・バロック様式の東宮御所」を建てた…江戸東京博物館の「洋館展」企画担当者が語る「西洋建築」の抗しがたい魅力】では、江戸東京博物館の研究員・米山勇氏に、現在同館で開催中の「洋館 明治の夢と挑戦」の見どころについて、引き続き伺っています。

ライター・山内貴範

デイリー新潮編集部