〈誇りを欠片も〉…追悼・美輪明宏さん 独占インタビューで語った「愛ある怒り」

写真拡大 (全5枚)

10歳の時に長崎で被爆

歌手で俳優の美輪明宏さんが、老衰のため亡くなった。91歳だった。所属事務所が6月28日に発表した。その際、美輪さんが所属事務所に託した最後の直筆メッセージも公表。

〈こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません この世のすべての問題を解く鍵は愛です 愛があれば戦争なんか起こりません。美輪明宏〉

最後まで“反戦”と“愛”の尊さを訴え続けた人生だった。

美輪さんは1935年、長崎県長崎市の裕福な家庭に生まれた。1941年に太平洋戦争が始まって1年ほどが経った頃、兄に、

「この戦争は負けよ。竹やりを持って、どうやって飛行機が落とせるの」(『朝日新聞』’09年8月掲載より)

と尋ねたという。

1945年8月9日、爆心地から3.9キロの長崎県石灰町の自宅で被爆。美輪さんが10歳のときだった。自身はケガもなく大丈夫だったが、爆心地近くで銭湯を営んでいた祖父母を捜すべく、一人で歩いて向かう途中、何体もの焼けこげた遺体を見たという。結局、祖父母の家も姿も見つけることはできなかった。当時の体験が、その後のアーティストとしての人生に大きな影響を与えた。

「美輪さんは終戦後に上京し、16歳でプロ歌手としてデビューします。1957年に『メケ・メケ』が大ヒットし“ファッション革命を起こした美少年”として、多くの文化人たちに愛されます。シンガーソングライターとしても草分け的な存在で、『亡霊達の行進』や『ふるさとの空の下に』など反戦をテーマにした楽曲で、常に大きな反響を呼びました。もちろん“愛”をテーマにした曲も多く作詞作曲しています。最も代表的なのが『ヨイトマケの唄』でしょう」(音楽誌ライター)

『ヨイトマケの唄』は、男たちに混ざって工場現場で肉体労働に従事する母親と、貧しさを笑われ、いじめられて泣いて帰るその息子。彼らの人生のドラマを歌い上げている。’12年末、美輪さんは77歳の史上最年長で『第63回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たすが、数多あるレパートリーの中から選んだのは『ヨイトマケの唄』だった。

『FRIDAY』は、その数日前、美輪さんに独占インタビューを敢行(『FRIDAY』’13年1月18日号:「美輪明宏『ヨイトマケの唄』と日本人の意気地」)。初出場の紅白で『ヨイトマケの唄』を歌うことになった経緯について、次のように語った。

〈民放が「貧しい人々を差別した歌だ」などという知識人の妙な小理屈を受け入れ、「放送禁止」のように扱いました。お堅いNHKのほうが理解を示して、普段と逆ですね(笑)。NHKの『SONGS』という番組に何度か出演しまして、懇意のスタッフの一人に、「あなたが栄転して紅白のプロデューサーになったら、お祝いに出場させていただきますね」と気軽な口約束を交わしたら、あれよあれよという間に現実のものとなった。これが内幕です〉

「意気地(いきじ)」とは

『ヨイトマケの唄』には、モデルとなった母子が存在する。それは、美輪さんが小学生の頃の父兄参観日の出来事だった。貧しい家庭の子のお母さんが汚い服を着て入ってきた。お母さんは子どもの顔を拭き、服装を直し、そして垂れた洟(はな)に唇を直接付けて啜ってあげた。母親を早くに亡くしていた美輪さんは、その姿に感動したという。

〈そして、私はそのお母さんがこう言うのも聞きました。「勉強ができるから、カネ持ちだから、ケンカが強いから偉いんじゃない。いちばん偉いのは、真っ正直で、働き者で、お天道様の前で胸を張って努力している人間だ。だからお前は偉いんだよ」これは人生哲学です。

苦しい環境にいると、悩んだり、僻んだり、落ち込んだりするもの。でも、彼女からはブレのない意気軒昂なプライドを感じました。母親の無償の愛、家族を思う力、働くことの尊さ。すべての時代を超えて共通する感情や思いです。流行り廃りのない歌を届けたい──。ヨイトマケを選んだのには、そんな気持ちが働いています〉

そして、時の政府には、こういった苦言も……。

〈このお母さんが見せた誇りを欠片も持ち合わせていないのが、今の日本の政治、財界の人々ではないでしょうか〉

前年の’11年3月11日に「東日本大震災」が発生。このインタビューの直前、民主党を破り、自公が大勝し3年ぶりに政権を奪取していた。

〈原発事故を考えてみてください。放射能が漏れ出した時、それを無効化する手立ても考えていないのですから製品化してはいけない代物です。それを知りながら、自民党は中曽根康弘さん(元首相・’19年没)たちが先導して、日本中に不完全な製品を設置しました。50年という長きにわたって自民党が作り上げた歪みが、耐えきれずに軋んでいる。それが今の日本ではないですか〉

そう断罪しつつ、そんな時代だからこそ“日本人に求められる精神性”について、次のように話す。

〈再び豊かな、カネの溢れた世の中にしてやるという「意地」ではなく、「意気地(いきじ)」だと思っています。“自分は真っ当に生きているという尊厳”という意味です。「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますが、そうした誇りです〉

そして、若者に未来を託し、このように断言した。

〈私はもうハードの時代は終わり、日本を輝かせるのはソフトだと感じます。そしてその担い手は、旧い因習に縛られた世代ではなく、若者たちなのです。私が楽観的に明るい未来を信じられていられるのは、今の若い世代の活躍が眩しいからです〉

常に反戦を掲げ“愛の伝道師”として戦後日本を見守ってくれた美輪さん。ご冥福を心からお祈りいたします──。