(撮影:藤澤靖子)

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家族であっても、お互いの価値観は違うもの。対話が難しく、ケアがうまくいかない……と悩むことはありませんか? 英文学者の小川公代さんも、最初は母親と衝突していたそうです。どのように、今のいい関係を築いたのでしょうか。(構成:野本由起 撮影:藤澤靖子)

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母の本当の気持ちを聞いて

私は普段、東京の大学で英文学を教えています。幼少期は英語学校を経営する父に「少女よ、大志を抱け」と言われて育ち、長年「女性も自立し、キャリアを積むことが何より大事」と信じて生きてきました。

私が研究の道を選んだのもそのため。大学で教えはじめてからは、毎日講義や学生の対応に追われ、「一本でも多く論文を発表しなければ」と、目まぐるしい日々を過ごしていました。

ですが2017年、そんな私の生活や価値観が大きく揺らぐ転機が。地元・和歌山で暮らしていた当時70代の母が、パーキンソン病と診断されたのです。

パーキンソン病は脳の神経伝達物質が減少することで身体の動きにかかわる神経回路がうまく働かなくなり、段階的に身体機能が損なわれていく病気。症状が進めば、日常生活に支障をきたします。それまで仕事ばかりだった私は、急に介護という現実に向きあうことに。

当初は東京と和歌山で離れて暮らしていたこともあり、実を言うと、お金やモノで解決できるならばそうしたい、と思っていました。

母が病気になるまでの私は、忙しさから年に2〜3度帰省するのが精いっぱいの状況。お金を負担すれば、ケアの責任は果たせると思っていたところがあります。

けれど、母のそばにいられない罪滅ぼしに、ぬいぐるみを贈った時のこと。これで心を慰めてほしいと思ったのですが、母は「きみちゃん。モノより優しい言葉をかけてほしいんよ。温かさがほしいんよ」と。この言葉を聞いて、ドキッとしました。

思えば私は、上京した母の送り迎えをする時も、自分の手間を省くために「タクシーに乗ってきて。お金は払うから」とつい言ったりしました。母を心配する気持ちは確かにあったのですが、「これでなんとかして」と思っていたのも事実。その気持ちを見透かされたような気がしたのです。

アメリカの思想家ジョアン・C・トロントの言葉を借りると、「ケア」には、相手を気にかける「ケア・アバウト」と、相手のために自分の体や時間を使う「ケア・フォー」という2つの実践法があります。

相手と触れ合わず、働いて得たお金を使うのは「ケア・アバウト」。一方、「ケア・フォー」は食事の介助をしたり、着替えを手伝ったりと直接的な行為をともないます。

母が求めていたのはただ気にかけることやお金の支援だけではなく、私自身が母のところに行って時間を共有する、直接的なかかわりだった。そう気づいてからは、「ケア・フォー」を意識した行動をとろうと心がけるようになりました。

たとえば、できるかぎり実際に会う。そして顔を合わせて話し、「何かしたいことはない?」と聞く。母がしたいことを一緒にする。最初のうちは、母と話しながらも「この時間があれば原稿を書けたのに」と思ってしまうこともありました。

それでも、急(せ)き立てられるように働くことを中断し、ともに過ごす時間に集中すると、それが私にとっても心地いいひと時なのだと気づいた。手をつなぎ、母の歩くペースを気にしながら、手の温かさを感じながら、時には周りの景色を楽しみながら……。

そうやってゆっくり歩くと、日常の忙しさから解放されて、「今この時」に集中することを、思い出すことができました。大事なのは、介護する側もされる側も、こうした時間を楽しむことではないでしょうか。

入居した施設を3ヵ月で退去した理由

今現在、私と母とはとてもいい関係。介護される側である母は遠慮なく私に要望を伝えますし、介護する側である私は、相手のニーズを無理なく引き出せているという実感があります。

そのうえで、お互いが譲れないポイントがあれば、妥協点を探っていく。このように《対話》と《妥協》を繰り返すのが、私たちのやり方です。

もちろん、最初からうまくいったわけではありません。私が「よかれと思って」決めたことが母には気に入らず、口論になる……という時もありました。

思えば当時の私は、「喜ばせようとしているのに、気持ちを踏みにじられた」と感じていたんですね。「早く自立したい」と考えていた私には、幼いころから母への反発心がありましたし、成人してからは、本音でぶつかりあうことを避けていた。そもそもコミュニケーションが足りていなかったんです。

ですからそれが口論というかたちであっても、言葉に出して互いの気持ちを確かめあう時間が必要でした。

衝突を繰り返すうちに私たちは「一緒に決める」ことがうまくなり、また一度決めたことも、状況に応じて覆せるようになってきました。

たとえば母の住まい。発症当初の母は、同じく和歌山に住む私の姉の手を借りながら、ひとり暮らしをしていました。ですが、次第に手の震えが激しくなり、料理ができなくなって。

母と姉と私の3人で何度も話しあい、母が安心して暮らすには施設に入るのがベストだという結論になりました。そして、いくつもの施設を見学し、東京にあるパーキンソン病専門の介護施設に入居を決めたのです。

ところが、母はわずか3ヵ月で退居しました。施設に落ち度があったわけではありません。むしろ介助が行き届きすぎていたのです。パーキンソン病患者には転倒のリスクがあるため、この施設ではひとりで外出することが禁止されていました。

三食用意してくれて、薬やおやつも部屋まで届けてくれる。移動がままならない患者さんには、とてもありがたい環境です。しかし、母自身は自由がないことに窮屈さを感じ、「筋力、体力が低下して、寝たきりになるのでは」と、かえって不安を抱えてしまったのです。

確かに、運動能力を維持するためにも、動けるうちは自分でできることをしたほうがいい。それは、介護される側の尊厳を守ることでもあります。

私たちは再び話しあい、母は食事サービス付きのマンションに引っ越すことになりました。ただし、介護施設ではないため、母の調子が悪くなった時には私たちの手が必要になります。

そこで、ケアマネジャーやヘルパーの力を借りながら、私と、東京で暮らす甥っ子によるサポート態勢を整えていきました。その後も状況に応じて住まいを変え、現在、母は私の家の近くにある24時間看護対応の老人ホームに入居しています。

「コスパ」で考えると、とても悪いけれど、「これが唯一の正解でなくてもかまわない」「その時々にあわせて対応する」。この心構えが、介護する側のニーズを押しつけず、される側の気持ちを尊重することにつながるのではないかと思います。

<後編につづく>