ロータス・エスプリから初代スズキ・セルボまで 巨匠ジョルジェット・ジウジアーロの傑作 50選(中編)
フィアット・ディーノ・クーペ(1967年)
フィアット・ディーノ・スパイダーのデザインはピニンファリーナが担当したが、ディーノ・クーペはベルトーネ、具体的には同社に在籍していたジウジアーロ氏の手によるものだ。
【画像】ジウジアーロが手掛けたシンプルな小型車【スズキ・セルボを詳しく見る】 全18枚
フェラーリ・ディーノと同じ2.0L(後に2.4L)V6エンジンを搭載し、非常に人気の高いコレクターズアイテムとなっている。

フィアット・ディーノ・クーペ(1967年)
いすゞ117クーペ(1968年)
いすゞ117は1960年代後半に発売され、1977年に大幅なモデルチェンジを経た後、1980年代初頭まで生産が続いた。
フロントエンジン・後輪駆動の117には、1.6L、1.8L、2.0Lのガソリンエンジン、あるいは2.2Lのディーゼルエンジンが用意されていた。

いすゞ117クーペ(1968年)
BMWスピカップ・コンセプト(1969年)
BMW 2500をベースに、スパイダーとクーペの特徴を融合させた(ゆえにSpiCup=スピカップ)このコンセプトカーは、1969年のジュネーブ・モーターショーでベルトーネのブースにて初公開された。
1台限りの製作だったが、後に売却され、日常の足として使われていた。そして20年間納屋で放置されていたところ、2011年に完全修復され、46万ユーロで売却された。

BMWスピカップ・コンセプト(1969年)
ロータス・エスプリ(1972年)
自動車デザイン史における不朽の名作の1つである初代エスプリは、2度にわたり「ボンドカー」としても有名になった。『007/私を愛したスパイ』には初期のシリーズ1が登場し、『007/ユア・アイズ・オンリー』ではエスプリ・ターボ・エセックスが登場した。
常に4気筒エンジンを搭載していたエスプリだが、ピーター・スティーブンス氏による再設計からほぼ10年後の1996年になってようやく、V8エンジンが導入された。

ロータス・エスプリ(1972年)
マセラティ・メラク(1972年)
ジウジアーロ氏がデザインしたV8エンジン搭載のマセラティ・ボーラを発展させたモデルであるメラクは、ミドシップに2.0Lまたは3.0LのV6エンジンを搭載している。
ランボルギーニ・ウラッコやフェラーリ308 GT4(いずれも後発モデル)と競合し、1983年までに約2000台が生産された。

マセラティ・メラク(1972年)
ヒョンデ・ポニー(1975年)
ヒョンデ・ポニーは1974年10月のトリノ・モーターショーで初公開され、1975年に量産段階に入った。韓国初の量産車である。
また、英国で販売された最初の韓国車でもあるが、実際に英国に上陸したのは1982年になってからである。1.2L、1.4L、または1.6Lのガソリンエンジンが用意されていた。

ヒョンデ・ポニー(1975年)
スズキ・セルボ(1977年)
スズキ・セルボ(SC100またはウィズキッドの名称でも販売)は、その洗練されたデザインが評価され、2016年に発売された新型イグニスにもその要素が取り入れられている。
日本の軽自動車規格に準拠して開発されたセルボは、英国では539ccから970ccまでのエンジンを搭載していた。

スズキ・セルボ(1977年)
ザスタバ・ユーゴ(1977年)
粗悪な作りは世界中で酷評されたザスタバ・ユーゴ。自動車史上の輝かしい1ページとは言えないが、同時に何十万人もの人々にとって手頃な移動手段となったことは否定できない。
欧州や米国で販売されたユーゴは、コラル、チャオ、テンポ、GVなどさまざまな名称で呼ばれた。20年以上にわたる生産の末、ハッチバックとコンバーチブル合わせて約80万台が出荷された。

ザスタバ・ユーゴ(1977年)
FSOポロネーズ(1978年)
20年近く生産されたFSOポロネーズは、1970年のフィアットによるセーフティカー開発プロジェクトから発展したモデルだが、生産が開始されたのは1978年になってからだ。
廉価モデルには1.3Lガソリンエンジンが搭載されたが、パワフルな2.0Lガソリンエンジンも選択でき、ディーゼルエンジンも数種類用意されていた。

FSOポロネーズ(1978年)
ランチア・デルタ(1979年)
インテグラーレの原型が、平凡なハッチバックだったということは忘れられがちだ。デルタは1980年の欧州・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、後にランチアとサーブの合弁事業によりサーブ600として販売されるようになった。生産台数は少なく、現在ではランチアブランドのデルタよりもさらに希少となっている。

ランチア・デルタ(1979年)
フォルクスワーゲン・ジェッタ(1979年)
初代ゴルフは飛ぶように売れたが、ジェッタは実用性が低かったため、多くの市場ではそれほど人気は出なかった。
実質的にトランク付きゴルフであるジェッタは、共通のエンジンラインナップを備えていた。1.1Lから1.8Lまでのガソリンエンジンに加え、当時としては珍しくディーゼルエンジンの選択肢もあった。

フォルクスワーゲン・ジェッタ(1979年)
マセラティ・クアトロポルテIII(1979年)
初代クアトロポルテはピエトロ・フルア氏がデザインし、極めて希少なクアトロポルテIIはマルチェロ・ガンディーニ氏が手掛けた。3代目ではジウジアーロ氏にデザインが依頼され、この箱型のセダンが生まれた。
彼の最高傑作とは言えないが、クアトロポルテIIIの全車にV8エンジンが搭載され、生産は1979年から1990年まで続いた。

マセラティ・クアトロポルテIII(1979年)
フィアット・パンダ(1980年)
シトロエン2CVと同じコンセプトで生まれたフィアット・パンダは、飾り気のないエコノミーカーであり、フィアット126から流用した652cc空冷2気筒エンジンが搭載されている。
人気が高かったのは903ccの水冷4気筒エンジンだ。初期のパンダはコレクターズアイテムとなっており、特に四輪駆動バージョンの人気は顕著だ。四輪駆動バージョンは驚くほど過酷な地形でも走破可能だ。

フィアット・パンダ(1980年)
フィアット・ウーノ(1983年)
20年以上にわたり約900万台が生産されたウーノは、史上最も多く売れたクルマの1つである。1983年にフィアットから発売されると、北アフリカ、南アフリカ、南米、アジアでも生産され、多種多様なガソリンおよびディーゼルエンジンが搭載された。

フィアット・ウーノ(1983年)
ランチア・テーマ(1984年)
今ではほとんど忘れ去られているが、ランチア・テーマは、サーブ9000、アルファ・ロメオ164、フィアット・クロマと並ぶ、いわゆる「ティーポ4」プロジェクトの先駆けだった。
このプロジェクトの4台のうち、ジウジアーロ氏がデザインしなかったのは1台だけ。アルファ・ロメオ164はピニンファリーナが手がけており、同社はテーマのステーションワゴン版のデザインも担当した。ほとんどのテーマは特に目新しいものではなかったが、3.0L V8エンジンを搭載した「8.32」は例外的な存在だ。

ランチア・テーマ(1984年)
サーブ9000(1984年)
サーブ史上最もラグジュアリーなモデルを目指し、ジウジアーロ氏は同社のビョルン・エンヴァール氏とタッグを組み、洗練されたセダンとハッチバックを生み出した。ただし、ステーションワゴン版は存在しない。
9000は他のタイプ4車(ランチア、アルファ・ロメオ、フィアット)と多くの部品を共有する予定だったが、実際にはほとんど互換性がない。これは、サーブが他社よりもはるかに高い安全基準を追求したためである。

サーブ9000(1984年)
セアト・イビサ(1984年)
スペインのセアトは1953年に最初の自動車生産を開始したが、自社モデルを生産するようになったのは1984年以降のことだ。それまではすべてフィアット車のライセンス生産だった。
イビサは、ポルシェがチューニングしたエンジン(一部のモデル)と、超現代的な5ドア・ハッチバックのデザインを採用し、セアトにとって新章の幕開けとなった。

セアト・イビサ(1984年)
(翻訳者注釈:この記事は「後編」へ続きます。)
