24年前“最後の記者会見”での天皇皇后両陛下

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 6月13日から26日まで、天皇皇后両陛下は、オランダとベルギーを訪問される。もともと両王室と日本の皇室は親密な関係にあり、日本とオランダは昨年で交流425年、ベルギーとは今年、外交関係樹立160年を迎えた。そうした経緯から、両国から要請を受けてのご訪問である。両陛下にとって、海外ご訪問は昨年7月のモンゴル以来約1年ぶり、即位後4度目だが、揃っての複数国ご訪問は2002年のニュージーランド、オーストラリアご訪問以来、24年ぶりとなる。

 それに先立つ11日、天皇陛下は記者会見に臨まれ、「我が国と両国の人々との交流や相互理解、友好関係がさらに深まる機会になればとおもっています」と抱負を述べられた。しかし、その横に雅子さまのお姿はなかった。海外訪問の前に皇族は記者会見に臨むことが通例。しかし、雅子皇后は、上記の2002年のニュージーランド等へのご訪問で記者会見に臨席されてより後、6度公的に海外を訪れているが、会見には一度もお出ましになっていない。2002年以降は、お誕生日の会見も行っていないから、実に24年も会見の場に出ていないことになる。そして今回もその“壁”は突破できなかったわけだ。

24年前“最後の記者会見”での天皇皇后両陛下

 原因のひとつは、最後のものとなっている2002年の会見に表れていた。この席で雅子さまは、それまで8年間、海外ご訪問が出来なかったことへのご心情を吐露された。すると、予期せぬ反応が起こる。発言について宮内庁長官が批判的なコメントをし、世論の一部からは反発を招いたのだ。

 当該の会見で何があったのか。「週刊新潮」では、記者会見当時、その内容と、周囲の反応について詳報している。以下、それを再録し、今に至るまで雅子さまが会見を忌避されるようになった“根本的な原因”を考察してみよう。

(「週刊新潮」2002年12月26日号記事を一部編集の上、再録しました。当時の記事のため、記事中の敬称は平成のものです。すなわち、文中の「皇太子」は現・天皇陛下、「雅子妃」は現・皇后陛下、「天皇」は現・上皇陛下、「皇后」は現・上皇后陛下のことを指します)

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【写真】スーツをビシッときめて…。2年間の英国留学を終え、帰国した際の雅子さま(1990年、成田空港)

相当な心労が

「訪問先でのご様子をニュースで見ると、雅子さまは本当に楽しそうな表情を浮かべています。よほど今回の訪問を楽しみにされていたのだなあとつくづく感じました」

 と語るのは、東宮関係者である。

 皇太子ご夫妻は、12月11日に政府専用機でニュージーランドに向けて出発。首都ウェリントンでの歓迎式典の合間にも、映画スタジオの見学や南極で使われる雪上車に試乗されるなど、すっかりご旅行を楽しまれている様子だった。

 ご夫妻が揃って国際親善のために外国を公式訪問されるのは、平成7年1月の中東訪問以来のこと。雅子妃にとっては、実に8年ぶりの海外旅行になる。しかし、これまで国内に閉じこめられていた状況に、雅子妃には相当心労があったようだ。

 出発に先立つ記者会見で、雅子妃はその間の真情を率直に吐露したのである。

身を乗り出す記者

 12月5日、東宮御所の檜の間で、その会見は行われた。集まったのは、宮内記者会に所属する15社と、外国メディア3社の記者約40人。冒頭、

「約8年ぶりの両殿下そろっての外国親善訪問になりますが、どのような感慨をお持ちでしょうか」

 といった質問に対して、皇太子殿下の答えは、まず型通りの内容だった。続く雅子妃の答えに、思わず記者も身を乗り出すことになる。

適応することに努力が要った

雅子さまは、一言一言、噛みしめるように慎重に発言されていました。普段よりも緊張しているご様子でした」

 と先の東宮関係者はいう。雅子妃はこう話された。

「最近の2年間は私の妊娠そして出産、子育てということで最近の2年は過ぎておりますけれども、それ以前の6年間、正直を申しまして私にとりまして、結婚以前の生活では私の育ってきた過程、そしてまた結婚前の生活の上でも、外国に参りますことが、頻繁にございまして、そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから、6年間の間、外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます」

「お世継ぎを産む責務」

 雅子妃が、宮中での生活の苦労を公式の場で口にするのは、おそらく初めてのことであろう。

 雅子妃が本音を漏らしたのはそれだけで、その後は両殿下とも、再び当たり障りのないお答えに終始したのだが、会見の最後に記者が重ねて質問すると、雅子妃はさらにこう答えた。

「やはり国民の皆さんの期待というものが、いろいろな形での期待があって、その中には子供という期待もございましたし、他方、仕事の面で外国訪問なども国際親善ということでの期待というものもございまして、そういう中で、今自分は何に重点を置いてというか、何が一番大事なんだろうかということは、随分考えることが必要だったように思います」

 つまり外務官僚としてのキャリアを皇室外交で活かすことと、お世継ぎを産むことの責務との狭間で葛藤があったと告白したのである。

はっきりとした意思表示

 雅子妃はあからさまに苦情を言ったわけではない。今回の訪問が実現したことへの感謝の言葉を述べ、随所に両陛下や宮内庁関係者への気遣いも示されたが、

「これだけ率直に気持ちを表すことは異例のことでしょう」

 と、東宮関係者は雅子妃の胸中を察してこう話す。

「会見での質問事項は、あらかじめ記者会から提出されていたものです。それだけに、事前に考え抜いた末に、この際、はっきり意思表示しておこうという強いお気持ちが雅子さまにあったのでしょう」

戸惑う宮内庁長官

 愛子さまをご出産になって1年、雅子妃もお世継ぎ問題の重圧からひとまず解放されて、自身の気持ちを表明する余裕も生まれたのだろう。だが、雅子妃の思わぬ答えに困惑したのが宮内庁である。

 12月12日に行われた宮内庁の湯浅利夫長官の定例記者会見に、その戸惑いぶりが表れていた。長官はまず、

「外国訪問をあれだけなさりたかったのかと、正直言って驚いております」

 と感想を述べた上で、

「外国訪問を積極的に進めることは結果的に難しかった。いわゆるお世継ぎの問題が決して小さな問題ではなく心配してきた。国内のご旅行も軽くしてご静養をおとりいただくべきだという助言もあった。事務当局の立場としてみれば、そういう事情があったという点をご理解いただきたい」

 と釈明したのである。

美智子さまの衝撃

「宮中に入って、雅子妃はなかなか気持ちの切り替えができず、フラストレーションが溜まったと思います。宮内庁ももっといろんな場面で雅子妃が登板する機会をもたせてあげれば、ああいう発言もしなかったでしょうね」

 というのは、皇室ジャーナリストの岸田英夫氏。

「宮内庁には、雅子妃がそれほど深く考えられていたのかという自省があるでしょう。最近の皇族は、率直にものを言うようになりました。美智子皇后もスイスで開かれた児童書の国際大会を単独で訪問しました。これまでは陛下と一緒が普通で皇后単独ということはありえませんでしたが、女性皇族が積極的になってきた。そういう風潮が生まれてきたんですね」

 もっとも衝撃を受けたのは、天皇皇后両陛下であるかもしれない。宮内庁関係者は打ち明ける。

「雅子妃の発言は、翌日の新聞で断片的に報じられましたが、おそらく陛下も新聞を読まれて心配されたのだと思います。これも極めて異例なことですが、その日の朝のうちに、陛下の侍従職から、宮内庁に対して、両殿下の会見のテープ起こしを持ってきてほしいと要望があったのです」

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 冒頭で述べたように、現在のところ、雅子さまにとってこれが最後の会見となっている。そしてこの2年後、雅子さまはご静養に入り、その翌年「適応障害」と認定されて以後、現在に至るまで療養生活を続けられているのだ。会見の何が雅子さまの心に影を落としたのか。

「週刊新潮」2023年6月22日号記事で、宮内庁関係者はこう述べている。

「1993年1月の婚約内定会見以降、皇后陛下はご自身のお考えを歯切れのよいお言葉で語ってこられました。02年12月の会見も、そのスタイルで臨まれたのですが、意に反して言葉尻を捉えられる形で批判され、挙げ句、身内であるはずの長官にも突き放されてしまった。“公の場でありのままをお話ししても、内容が曲解されて独り歩きしてしまう”といった恐怖心も芽生えた」

 それ以来、雅子さまは会見を忌避されるようになったのだ。

 今後も、皇后陛下は海外ご訪問の機会を重ねられることであろう。「記者会見」でその喜びや抱負を伺える日が来るのは、いつのことだろうか。

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デイリー新潮編集部