カル・クラッチローがMotoGP初優勝 なんと英国人は35年ぶり
カル・クラッチロー(LCRホンダ)の第11戦・チェコGP優勝は、多くのイギリス人に笑顔をもたらした。なにせ、英国人が最高峰クラスで優勝するのは、1981年・スウェーデンGPのバリー・シーン以来、35年ぶりの快挙なのだ。MotoGPのパドックでは、各チームスタッフやレース主催者、運営オーガナイザー、メディア関係者など各分野で多くのイギリス人が働いている。決勝レース後の彼らは、いちように満ち足りた笑顔をうかべているようにも見えた。
タイミング、という意味でも今回の快挙は理想的な勝利だった。
クラッチロー自身にとっては、愛妻との間に初めての娘が生まれてから2週間後。優勝直後には、「妻の出産は人生で最高の瞬間だったから、今回はどんな気持ちになるかと思ったけど、やっぱり娘が生まれたときが最高だった。でも、今日は別の意味ですごくうれしいし、レース人生で最高の1日になったよ」と、幸福の極みにある素直な気持ちを述べた。
また、イギリスのレース関係者やファンにとっては、上記のとおりバリー・シーン(生没:1950年〜2003年)以来、35年ぶりという非常に象徴的な勝利である。バリー・シーンは1976年と1977年に500ccクラスの総合優勝を達成した人物で、それらの功績により英国王室から大英帝国勲章を授与されており、イギリス・モータースポーツ界を代表する存在だ。その重みを理解すれば、今回の快挙にイギリス人が沸き立つのも納得できるだろう。
クラッチローがMotoGPに参戦を開始したのは2011年。ヤマハ・サテライトチームに3年間在籍し、1年間のドゥカティ・ファクトリーを経て、2015年に今のチームへ移籍した。
「MotoGPに来てこの6年間は一度も勝ったことがなくて、優勝したのは自転車レースくらいだったからね」とジョーク混じりに話すとおり、自転車好きとしてもよく知られた人物だ。クラッチローは現在、英国領マン島に暮らしており、同島出身のプロフェッショナル自転車ロードレーサー、マーク・カヴェンディッシュとも親交が深い。タイミングが合えば一緒にトレーニングをする間柄で、このエピソードをみても、サイクルロードレーサーとしてクラッチローが高い競技水準を備えていることがよくわかる。
以前、カヴェンディッシュについて訊ねた際に、「ああ、カヴかい? あいつは俺より遅いぜ」と冗談めかした言葉が彼から返ってきたことがあったが、それくらい彼らふたりは仲がよく、また、それぞれの競技のトップアスリートとして敬意を抱く間柄だということがよくうかがえる口ぶりだった。実際、カヴェンディッシュはクラッチローの優勝直後に、自身の公式ツイッターアカウントで祝福メッセージを贈っている。
今回のレースに話を戻せば、金曜日と土曜日の走行はドライコンディションで推移し、決勝レースの行なわれる日曜日が朝から雨になった。特に朝の時間帯は大粒の雨が降り続くなかで、午前9時40分から20分間のウォームアップ走行が行なわれた。レースウィーク初のウェットセッションで水量が多いなか、選手たちは限られた時間でタイヤの見極めとウェット用のセットアップを行なった。
決勝レースが始まる午後2時には雨は上がっていたものの、路面は濡れており、スタート後にふたたび雨が降り始めるかもしれないという予測も飛び交った。このまま路面が乾いていけば、レース中に別タイヤのマシンへ乗り換える「フラッグトゥフラッグ」の展開になるだろう。
そう予測した多くの選手は、初期作動性は優れる一方、タイヤライフが短いソフト側のコンパウンドを選択した。あるいは雨がふたたび激しくなれば、このソフト側レインタイヤが正解になる可能性もある。だが、クラッチローのチームは路面状態の推移や天候の変化を予測し、前後ともハード側コンパウンドのタイヤを装着して決勝に臨んだ。
10番グリッドからスタートしたクラッチローは、レース序盤にタイヤの作動性に苦労して15番手まで下げたものの、徐々にラップタイムを上げていき、前にいる選手を次々とオーバーテイクしてポジションを上げていった。
「路面に水があるときはタイヤがスピンして厳しかったけど、すぐに水が減ってきた。やがて5周目くらいに先頭集団が見えてきて、『よし、ウェットでトップグループが見えるならチャンスがあるぞ』と思った。普通なら、5周くらいしたらトップグループが見えなくなってしまうんだけどね(笑)。先頭集団の後方に追いついたときも、彼らはどんどん厳しくなってきてタイムが落ちていたけど、僕はどんどん速くなっていた。その段階で、『これは勝てるかもな』と思った」
2位に入ったバレンティーノ・ロッシ(モビスター・ヤマハ MotoGP)や、3位でランキング首位を確保したマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)が、レース直後に笑顔でクラッチローと抱擁を交わして祝福した事実にも、皆から愛される彼の人柄がよく表れている。
次戦はシルバーストーン・サーキットで開催される第12戦・イギリスGP。イギリスの人々にとっては、まさに最高の形で自国のレースウィークを迎えることになる。
西村章●取材・文 text by Nishimura Akira