メディアの未来
■メディアの未来
ネット時代においてコンテンツの製作はどういう方向に進むだろうか。可能性として正反対の2つの方向が考えられると思う。1つはこれまで個人ではできなかったことがネットやコンピュータの力でできるようになるため、個人による製作が主体となっていくという考え。
これは多くの人がイメージする方向だろう。一昔前は個人で本を出すハードルは、自費出版や同人誌など非常に高かった。カラー印刷などとんでもない、と。いまやネットなら簡単。さらに動画すら個人で作れる。一人の人間が自分の信念や感性を思う存分発揮できる。一つの究極のあり方ではある。
一方で真逆の方向もあると思う。多くの人間が協力しあって一つの作品をつくり上げる。Wikipediaなんかその典型だよね。またプログラムならむかしからオープンソース開発でやっている。LinuxにしろFirefoxにしろ世界中の多くのプログラマが協力して作り上げたものだ。コンピュータとネットがあればこそできたこと。
でも小説などのように創作物は集団で作るのは難しいんじゃないの?と考える人もいるだろう。たとえばドラゴンボールという作品を集合知で生み出せるか?一人の人間だからこそ生み出せたのではないか。これを多くの人間が「設計」したら支離滅裂なコンセプトになるか、意見対立ばかり生じて全然まとまらないのではないか。
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そう考えるのも無理はないけれど、ソフトウェア開発だってそういう部分は同じだと思うんだよね。既存のコードになにか追加や修正を入れる場合、まずコードの前後を読んで、既存のコードがどういう方針で設計されているかを読み取る。そしてなるべくそれを壊さないような形で新たな追加や修正をしていく。
むろんそれでは不可能な場合もある。既存の方向を大幅に軌道修正しなければならないような大改修。そういうのはあーでもない、こーでもないと話し合って決めるわけだ。当然なかなか結論が出ず、うだうだ時間がかかるものもある。方向性を巡ってコミュニティが分裂してしまうこともある。sambaプロジェクトなんか分裂したよね。
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これは結局一人の人間が脳の中で、あーでもないこーでもないと悩んでいるのと同じ。結局新たなものを生み出す以上は、葛藤や試行錯誤が避けられないものだ。どんな素晴らしいソフトウェアも開発過程は嵐の中を漂う小舟のよう。それをなんとか乗り越えて完成する。
Wikipediaだって編集合戦とかあるよね。意見が対立して互いに自分の都合のいいように修正したがる。なんであれそういう「歪み」を抱えながら成り立っている。むしろそれこそが作品の価値ではないかと思う。産みの苦しみ、苦しみが大きいほどそれまでにないものを作り出したといえる。
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紙の本でもこれまで一冊の本を、各章毎に複数の著者が書くということは行われていたけれど、ネット時代はそれがさらに進むのではないか。一つの文章を複数の著者が追加・修正し合う。まさにソフトウェア開発と同じ。一つのソースコードを複数のプログラマが修正し合う。
当然著者同時の意見衝突もあるだろう。議論の結果対立が解消するケースもあるだろうし、袂を分かつケースもあるだろう。ソフトウェア開発の場合、フォーク(Fork)とか呼ばれる。此処から先はそれぞれ別な方向に進みましょうよ、ということ。オープンソース開発でそれが可能なのは、著作権フリーであるところが大きい。そうでないとそこまで作ったソースの権利をどうするか、面倒なことになる。誰でも再利用・改変自由ですという姿勢が生きてくるわけだ。
