Wikipediaだって編集合戦とかあるよね。意見が対立して互いに自分の都合のいいように修正したがる。なんであれそういう「歪み」を抱えながら成り立っている。むしろそれこそが作品の価値ではないかと思う。産みの苦しみ、苦しみが大きいほどそれまでにないものを作り出したといえる。

   *   *   *

紙の本でもこれまで一冊の本を、各章毎に複数の著者が書くということは行われていたけれど、ネット時代はそれがさらに進むのではないか。一つの文章を複数の著者が追加・修正し合う。まさにソフトウェア開発と同じ。一つのソースコードを複数のプログラマが修正し合う。

当然著者同時の意見衝突もあるだろう。議論の結果対立が解消するケースもあるだろうし、袂を分かつケースもあるだろう。ソフトウェア開発の場合、フォーク(Fork)とか呼ばれる。此処から先はそれぞれ別な方向に進みましょうよ、ということ。オープンソース開発でそれが可能なのは、著作権フリーであるところが大きい。そうでないとそこまで作ったソースの権利をどうするか、面倒なことになる。誰でも再利用・改変自由ですという姿勢が生きてくるわけだ。

   *   *   *

本もそういう方向に進むのではないかと俺は思う。というか進んでほしい。これはネット時代で初めて可能になることだ。もう一つの方向である個人がすべてを行うというのは、結局は職人の世界であり、なんか先祖返りに見える。いや、それはそれで価値のあることだと思うのだけど、やっぱ過去の時代にないスタイルも魅力的ではなかろうか。

アニメやドラマも複数の脚本家が、エピソード毎に交代で担当してたりするよね。むろんてんでバラバラではダメだから大枠をまとめて調整する仕組みは必要だろうけど。

   *   *   *

ということで、どうもクリエイティブというと属人的な方向、もっといえば「一人の天才」をイメージする人が多いけれど、むしろ未来は、複数の人間がいかにして一つの作品をつくり上げるか?という方向にこそ、かつてない可能性が広がっていると俺は思うのだけどね。

コンピュータとネットワークが出現したがゆえに初めて可能になる世界。それは創造性の属人性を否定し、天才をも否定するものだ。少数の天才ではなく多くの凡才(といってもそれなりのレベルの人)によって生み出される創造。

「創造性とはそういうものじゃない!」と拒絶反応を示し人も少なくないだろう。でもそれこそ過去に囚われた頭の硬い発想ではなかろうか。単にこれまではネットワークがなかったから手段がなかっただけで、創造性の本質には無関係。